南伊勢の戦乱

「此度は北畠の猛攻凄まじく、奮闘も空しく安濃津を奪われた次第にございまする」


 三月中旬、逼迫する戦況に悲鳴を上げた長野工藤家から、分部光恒と名乗る使者が壬生野城を訪ねてきた。光恒の表情には憤懣やるかたない怒りがありありと浮かんでいる。分部は長野工藤家の分家であるが、光恒は現当主・左京亮光定の弟だという。


「使者殿、北畠は如何ほどの戦力を向けてきておるのだ?」

「およそ七千と聞き及んでおりまする」


 七千という軍勢の規模に家臣らがどよめく。驚いたな。南伊勢二十万石余を領する北畠にとって、ほぼ全力に近い戦力を向けてきたことになる。


 それほどの戦力を一挙に動員するということは、今回の戦で長野を必ずや討ち滅ぼさんという晴具の本気の表れなのだろう。現状では史実のように大和に兵を割く必要がなく、背後の志摩は制圧したばかりで襲われる心配も薄い。こうなってしまえば長野もさすがに独力で退けることは難しい。


「ふむ。七千とはどうやら此度ばかりは北畠も本気のようだ。使者殿。どのような戦況か、詳しく聞かせてはもらえぬかな?」

「はっ。我ら長野家は分部、細野、雲林院、川北など一族の全兵力、三千の軍勢で対抗致し申した。されど野戦をするには分が悪く峯治城にて籠城したものの、北畠の勢いは食い止められず一旦安濃津を放棄した次第にございまする」


 安濃津は地の利もない平野だ。倍以上の軍勢に正面から野戦を挑めば兵力の差は如何ともし難く、籠城戦を選んだ長野の判断は間違ってはいない。だが籠城策は、たとえ城の防御力が高いとしても、相手の兵糧切れや農繁期による時間切れを狙うか、あるいは味方の援軍を待つしか勝つ方策はない。


 安濃津はかつて日本三津に数えられるほど栄えた港湾で、本来なら全力を挙げて死守すべき要所だ。しかし肝心の安濃津が明応の大地震による津波で壊滅的な打撃を被っており、四十年近く経った今もなおかつての繁栄を回復するには至らず、伊勢では大湊や桑名の後塵を拝する状況にある。史実では二十年ほど後に分家の細野によって安濃津城が築城され、ようやく復興が始まるわけだが、現在は安濃津城は存在しないため安濃津には籠城できる程の大規模な城郭がない。


 籠城した峯治城は丘陵に築かれた平山城で一定以上の防御能力はあり、兵法では城攻めには三倍の兵数が必要というセオリーを考えれば、三千の長野軍が七千の北畠軍にそうも簡単に敗れるはずはないと思うのだが、英主・北畠晴具が自ら率いている北畠軍の攻めがそれほど凄まじかったのだろうか。それとも峯治城の防御力が予想以上に低かったか内応者が出て、これ以上は守り切れないと判断したのか、あるいは……。


「よもや長野一族から内応者が出たはずはあるまい。……となれば春先で兵糧の蓄えが心許なく、兵の士気が低下したのではないか?」

「はっ、ご明察のとおり兵糧が足りず、このままでは田植えの時期まで守り切れぬと……」


 やはりそうか。だが籠城ができなくなるほど兵糧を減らすのは余りにも変だ。おそらく北畠が大湊の商人を使って正月前に米を相場よりもかなり高く買い上げ、その金で酒などを買わせるように仕向けた策謀に、長野はまんまと嵌められたのだろう。推測でしかないが、さすがは北畠晴具、恐るべしだな。


 分部家は安濃津周辺のまとめ役を担っていたからか、分部光恒は失意の念を拭えないようだ。言葉が所々詰まっている。


「左様か。それで長野宮内大輔殿はなんと?」

「それが……。左近衛権中将様に急ぎ救援を頼みたい、と」


 冨樫というより、六角は以前より北畠との関係にかなり気を遣ってきた。六角も北伊勢に兵を進める決断を下したとはいえ、北畠とは正式に開戦したわけでもない。


 そんな時に客将である冨樫に援軍要請をするということは、北畠と六角が直接衝突することを意味する。それを自覚しての後ろめたさを感じているのか、光恒の口調は歯切れの悪いものだった。


「なるほど。大切な同盟相手である長野家に手を貸すことは、個人的な心情とすればやぶさかではござらぬ」


 俺の言葉に光恒の表情がパッと明るくなる。しかし、俺は無条件で手を貸すつもりはなかった。この援軍要請に対する判断は、俺が以前抵抗を抱えていた「六角と北畠の全面戦争」を表面化させるものだからだ。ここでもし俺が六角も北畠との対決を予定しているから問題ない、などと言ってしまえば光恒の後ろめたさは霧散するのだろうが、リスクだけを甘んじて受け入れるわけにはいかない。


 ここまで長野の劣勢にこちらから干渉するのを控えていたのは、恩をできるだけ高く売りつけるためだ。こちらから前向きに手を差し伸べるのと、窮状に喘いで助けを求める長野工藤の手を引き上げるのとでは大違いである。北畠と敵対するリスクはこちらにとって交渉の重要な手札になるのだ。


「されど援軍を送れば当家は北畠と敵対する事態となり、御家存亡に関わる累卵の危うきを強いられるのはお分かりであろう。となれば当家としてもそれ相応の対価を求めねば見合わぬが、それについて使者殿は如何お考えかな?」

「そ、それは……。されど昨年末に甲斐工藤家の者が冨樫家に仕官した縁で盟を結んだではございませぬか?」


 明確な答えを避けた光恒は、視線を彷徨わせながら話の流れを逸らそうとする。


「確かに盟は結んだ。だが盟の中身は関税を免除するなど交易で便宜を図る取り決めと、お互い敵対せず、戦を仕掛けないという不戦の約定だ。援軍を送る約定などしておらぬぞ」


 無論この事態は見越していたが、援軍を前提とした約定ではなく、その論理に破綻はない。


「それでは、このまま当家が北畠に屈しても構わぬ、と申されますのか?」


 微かに強い物言いが響き渡り、沈黙が場を支配した。光恒は固唾を飲んでこちらを見つめ、額に汗を滲ませている。


「使者殿は何か考え違いをされておられる。当家は長野家の主家だとでも申されるのかな? 主君であれば家臣の危機を救うのは当然ではあるからな」

「……それはすなわち、北畠に屈するのが嫌ならば、冨樫家に臣従しろ、という意味にございまするか?」

「それは私がここで口にすべきことではない。長野宮内大輔殿が考えるべきことであろう。違うかな?」

「……」


 俺の言葉に光恒は黙り込んだ。使者という立場からすると、どう切り返すべきか悩ましい部分だろう。


「使者殿が今ここで悩んでいても状況が悪化するだけで何の解決にもならぬ。使者殿が為すべきことは、今の話をそのまま宮内大輔殿に伝えることではないかな?」

「……左様でございますな。某は急ぎ戻り、主君にお伝えいたしまする。では御免」


 いずれにせよ使者自身の一存で決められることではないので、当主に判断を仰ぐため足早に壬生野城を去っていった。


 長野稙藤は数日の内に返答を寄越すことはなかった。御家の存亡が掛かった大問題だから悩むのも当然だろう。この窮地を独力で切り抜ける道を引き続き模索したようだが、長野の重臣である家所刑部少輔祐友が北畠の猛攻に耐えかねて敵の軍門に降る憂き目を見た。それを聞いてようやく決心がついたのか、五日後に再び使者を送ってきた。


 結論としては長野工藤家は冨樫家に臣従した。この時代の慣例として臣従の証に長野家に冨樫一門で坪内綜讃の孫である坪内藤七郎勝定が婿入りし、長野工藤家の家督を継いだ。冨樫家の家臣となってからすぐに頭角を表した藤七郎は、すでに冨樫家になくてはならない存在となっている。婿入りに際して偏諱を与え、長野嗣定と名乗った。


 しかし、それだけでは嗣定を討って反逆する恐れもあるので加えて人質を取ることとなり、長野稙藤の嫡男の長野源次郎を俺の近習として冨樫で預かることを要求した。源次郎は十二歳なので来年には俺が烏帽子親となって元服させるとともに、重臣の本折筑前守の娘を嫁がせるとの婚約を交わし、長野一族は冨樫家の重臣の末席に組み込まれる形となった。


 長野稙藤も他家の人間に家督を譲ったうえに嫡男を人質に取られ、実質的に御家を乗っ取られたも同然だから、決して心の底から喜んではいないだろう。しかし俺は史実の北畠のように長野父子を暗殺するつもりは微塵もないし、この辺りの葛藤はいずれ冨樫の支援で援助を行い、長野の地を伊賀のように豊かにしていけば自ずと心証も変わってくるはずだ。そのためにもまずは長野城に迫りつつある北畠軍を退け、安濃津を奪還することが絶対条件だ。臣従に見合う恩恵を与えなければ、御恩と奉公による健全な主従関係とはなり得ないからだ。


 既に軍師の菅助と策は練ってある。気合を入れて掛かるとしよう。

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