安同3  老いて貨殖に

拓跋燾たくばつとうが外征する拓跋嗣たくばつしに代わって国政を取り仕切ると、安同あんどう左輔さほとした。


拓跋嗣が劉宋をぶっ叩くために出撃。安同はこのとき右光祿大夫みぎこうろくたいふとなった。拓跋燾が北魏北方の国境線にまで出向くと、安同と拓跋彌たくばつびは平城詰めとなった。


拓跋燾が即位。安同は高陽公こうようこうに封じられ、光祿勳こうろくくんとなった。また征東せいとう大將軍だいしょうぐん冀青きせい二州刺史にしゅうししに任じられた。


この頃安同の長子の安屈が太倉たいそう、要は国庫の管理を司っていた。安屈はその立場を利用して盜数石の米や籾を盗み、親の食費に充てたいと考えた。安同はそれを聞き激怒、上奏し安屈を処刑し、また自身も子の教育が行き届かなかったことを理由に自殺したいと申し出た。拓跋嗣はその申し出を嘉し、敢えて罪には問わズ、むしろその米を与えたことにした。それだけ拓跋嗣よりその公正さを信頼されていた、と言うことである。


安同は官職にあって明察を示し、調練をも得意とし、家内の法も厳正に整えた。こうしたことを世から讃えられていたが、やがて冀州きしゅうにて年老いると、大いに貨殖に走り、寺塔を大いに立て、人々を苦しめた。


429 年に死亡。高陽王こうようおうが追贈され、恭惠きょうけいと諡された。




世祖監國,臨朝聽政,以同為左輔。太宗征河南,拜同右光祿大夫。世祖出鎮北境,同與安定王彌留鎮京師。世祖即位,進爵高陽公,拜光祿勳。尋除征東大將軍、冀青二州刺史。同長子屈,太宗時典太倉事,盜官粳米數石,欲以養親。同大怒,奏求戮屈,自劾不能訓子,請罪。太宗嘉而恕之,遂詔長給同粳米。其公清奉法,皆此類也。

同在官明察,長於校練,家法修整,為世所稱。及在冀州,年老,頗殖財貨,大興寺塔,為百姓所苦。神䴥二年卒。追贈高陽王,諡曰恭惠。


(魏書30-5)




安同さんの公正ぶり、本当でござるかぁ~? なんつうか魏書ってちょくちょく北朝鮮の大本営発表なんじゃねえのって感じの記事が混じるよね。安同さんもなんかもろもろ怪しい。そんなんでいいのかほんとに。

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