叔孫俊2 安城元王故事
後に大功があったり皇帝よりの寵愛が厚かった重臣が死亡したとき、みな叔孫俊のときの葬礼が基準となったが、叔孫俊以上の手厚さでなされることはなかった。
ところで叔孫俊が死亡したとき、拓跋嗣は叔孫俊の妻、
「夫が生きていたときに繁栄をともにしていたのだ、ならば夫と同じ墓穴に入ることがよろしかろうな。むろん殉葬とは任意になされるものであるが」
凄まじい脅迫である。任意もクソもない。なので桓氏は首をくくって死に、叔孫俊と合奏された。
父の
しかし叔孫隣と鎮の副將であった
泰常元年卒,時年二十八,太宗甚痛悼之,親臨哀慟。朝野無不追惜。贈侍中、司空、安城王,諡孝元。賜溫明祕器,載以轀輬車,衞士導從,陪葬金陵。
子蒲,襲爵。後有大功及寵幸貴臣薨,賻送終禮,皆依俊故事,無得踰之者。初,俊既卒,太宗命其妻桓氏曰:「夫生既共榮,沒宜同穴,能殉葬者可任意。」桓氏乃縊而死,遂合葬焉。
俊既為安城王,俊弟隣襲公爵,降為丹陽公。少聰慧知名。稍遷北部尚書,有當官之稱。轉尚書令。出為涼州鎮大將,加鎮西將軍。隣與鎮副將奚牧,並以貴戚子弟,競貪財貨,專作威福。遂相糾發,坐伏誅。
(魏書29-11)
普段列伝のエピソードをあまり拾おうとしない資治通鑑さんが、叔孫俊夫人の自殺強要だけは載っけてて笑った。
https://kakuyomu.jp/works/16816452219408440529/episodes/16817139554788077696
オメーそこだけ載っけると臣下の妻を殺すクソ暴君にしかうつんねーだろーが! いやここ読んでもクソ暴君な印象変わりませんが。いくら最愛の臣下が若くして旅立ったからって、冥婚を押し付けてんじゃねーですわよ! これで俊くんも寂しくないね☆ じゃねーんだわ!
ここまでにもしばしば「叔孫俊故事に倣って葬られた」って記述がしばしば登場してきましたが、ここに至ってようやくその意味を理解できました。しかし叔孫俊故事って表現、妻の殉死まで含んでない? 自分が母を殺されたからって重臣死亡時に妻を殺すことで憂さ晴らししてない? だいじょうぶ?
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