叔孫建5 沉敏多智

叔孫建しゅくそんけんは柔軟で思考速度も早く、加えて知略にも優れていた。北魏ほくぎにおける東西の征伐においては、常にトップ参謀としての存在感を示していた。配下に行き渡らせる軍令は透徹されたものであり徹底がなされていた。


また常に人士を歓迎する振る舞いをなし、賢人を礼遇し、勇士を歓迎した。


平原にあること十年あまり內外を綏撫し、国境地帯での名声はとどまるところを知らなかった。魏初の名將たちであっても、叔孫建の名声に及ぶものはわずかであった、とすら言われている。


劉宋諸将は叔孫建の武威知略を恐れはばかり、結局青州せいしゅう兗州えんしゅうの奪還に踏み出しきれなかったほどである。


437 年、73 歳で死亡。拓跋燾たくばつとうはその死を悼み、また大いに惜しんだ。曰襄王じょうおうと諡され、拓跋珪たくばつけいの陵墓である金陵きんりょうに陪葬された。




建沉敏多智,東西征伐,常為謀主。治軍清整,號令嚴明。又雅尚人倫,禮賢愛士。在平原十餘年,綏懷內外,甚得邊稱,魏初名將尠有及之。南方憚其威略,青兗輒不為寇。太延三年薨,時年七十三。世祖悼惜之。諡曰襄王,賜葬金陵。


(魏書29-9)




うーん、北魏初期名将序列……要りますね、これは要りますわ! 拓跋珪は二期か三期、拓跋嗣は一期か二期。いや、ここは少しでも多く分けるべきか、合計五期の名将序列を作りたい。拓跋珪と拓跋燾に収斂されちゃっるのマジもったいない。


史実を尊重した上で、迂闊に北魏初期の名将たちを盛り上げられる何かができるといいなあ。北魏が強くなきゃ、劉裕の強さが引き立たんのですよ。「こんな奴らすらビビらせた劉裕!」のためにも、北魏将たちはめちゃくちゃ強くあっていただかねばならんのだ。

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