叔孫建2 王懿滑臺に

東晋で権勢を伸ばしてきた将、劉裕が後秦の姚泓を討伐すべく立ち上がった。


劉裕は部将の王懿に前鋒を命じ、北魏が抑えていた滑臺にまで軍を迫らせる。滑臺を守っていた尉建うつけんは配下を引き連れ滑臺を放棄、黄河を北上した。こうして王懿にまんまと滑臺を与えてしまった。


ただし、王懿は宣言する。

しんはもともと布帛七萬匹を贈呈し、魏に道をお借りしたいと思ったまでのこと。よもや魏将がすみやかに城を放棄するなどとは思ってもみなかったのである」


拓跋嗣たくばつしはこの報せを受け、叔孫建しゅくそんけん河內かだいから枋頭ほうとうに向かわせ、その動静を観察させた。王懿は結局滑臺にひと月あまり留まっていた。そこで拓跋嗣は改めて叔孫建に黄河を南下させ、威嚇のために陣容を整えた。そのうえで尉建を捕らえ、斬罪に伏し、遺骸を黄河に投げ込んだ。


王懿軍の人間を呼び出し、北魏領内に侵入したことを糾弾する。すると王懿は副官の竺和之じくわしを派遣してきた。叔孫建は公孫表こうそんひょうに命じ、会談させる。竺和之が言う。

「王懿将軍は劉裕様より派遣されたわけでございますが、目的は黄河づてに西に向かい、洛陽を落として晋の代々の陵墓のまわりに巣食う賊を追い払う、と言う者にございます。魏との境界を冒したい、などとは思ってもございませぬ。劉裕様もまた御自ら使者を発され、魏帝に通り道をお貸しいただきたく乞うてございます。しかしながら、御国の兗州刺史殿がそうした状況を理解されず、我が軍容を見て逃亡なされたため、空の城をお借りしたまでのこと。もとより戦意なぞござりませぬ。魏晉和好の義は、先ごろより廃されてはおりませぬ」


公孫表は言う。

「尉建には滑臺防衛を損ねた罪がある。このため既に刑に伏され、現在代わりの良将を派遣する手立てが整った。そなたらよ、迅うに西に向かわれよ。一城の問題で和親を損ねたくなぞあるまい」


竺和之は言う。

「王懿将軍がここに留まっておるのは所詮仮住まい。大軍が集まれば、すみやかに西に向かいます。さすれば滑臺は魏に返還されるのです。どうしてそうも軍旗をてて我らを威嚇なさるのです?」




司馬德宗將劉裕伐姚泓,令其部將王仲德為前鋒,將逼滑臺。兗州刺史尉建率所部棄城濟河,仲德遂入滑臺。乃宣言曰:「晉本意欲以布帛七萬匹假道於魏,不謂魏之守將便爾棄城。」太宗聞之,詔建自河內向枋頭以觀其勢。仲德入滑臺月餘,又詔建渡河曜威,斬尉建,投其屍於河。呼仲德軍人與語,詰其侵境之意。仲德遣司馬竺和之,建命公孫表與言。和之曰:「王征虜為劉太尉所遣,入河西行,將取洛城,掃山陵之寇,非敢侵犯魏境。太尉自遣使請魏帝,陳將假道。而魏兗州刺史不相體解,望風捐去,因空城而入,非戰攻相逼也。魏晉和好之義不廢於前。」表曰:「尉建失守之罪,自有常刑,將更遣良牧。彼軍宜西,不然將以小致大乖和好之體。」和之曰:「王征虜權住於此,以待眾軍之集,比當西過,滑臺還為魏有,何必建旗鼓以耀威武乎?」


(魏書29-6)




一ヶ月近くも実質支配して何言っとんだこいつらwww

いやー、下に見てますねー王懿さん。北魏のこと。ただこんなクソ舐めた動き、劉裕の承認がなかったはずもないし、ともなれば王懿の動きはセミイコールで劉裕の意向でもありそうです。えげつねえなあ。


ここで晋に義理立てする必要のない魏書のはずなのに王懿が王仲徳おうちゅうとく呼ばわりなの、これは単純に「そう呼ばれているのを拾った」なのでしょうね。こう言う「見聞きした情報」のみでの記載は情報量が多そうです。


この手のやつで個人的に好きなのは、宋書では五斗米道将として語られる荀林じゅんりん。けど実はこのひと後秦からの派遣将で、後秦のトップ支族のひとつである「こう」氏出身だったりするんですよね。たぶん東晋的に苟氏は見慣れなかったもんだから(一応西晋末に苟晞こうきとかいましたけど)、うっかり中の口に横棒が入っちゃったんですね。こう言う情報格差が見れるのが、両史書に書かれている人物や事件の面白さだと思います。

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