魏書巻29 劉宋攻撃大将ふたり

奚斤1  父・奚箪

奚斤けいきんだい人である。元々は拓跋部の馬を管理する一族の出であったが、父の奚簞けいたんが拓跋什翼犍に気に入られた。

この頃代国には「騧騮かる」と言う名の名馬がいた。ある夜その騧騮が忽然と姿を消してしまう。いくら探せど、見つかる気配もない。後に南部大人なんぶたいじんであった劉庫仁りゅうこじんに盗まれ、洞窟の中に隠されていることが判明した。奚簞はすぐさま騧騮のもとに駆けつけ、奪回。しかし劉庫仁も拓跋の姻戚として立場を持つ身である。この事態を招いたことに恥じ入り、逆恨みして奚簞を返り討ちにしようとした。追手に襲われた奚簞は髪を切られ、また胸にも大きな怪我を負った。

やがて代が滅亡。苻堅ふけんがその旧領の統治を劉庫仁と劉衞辰りゅうえいしんに任じる。奚簞にとってはたまったものではない。すぐさま市井に紛れ込もうとする。無論劉庫仁も優先的に奚簞に追手を放つ。奚簞は西方、劉衞辰のもとに亡命した。

拓跋珪たくばつけいが劉衞辰を滅ぼすと、ようやく奚簞も復帰が適った。その地位は旧来の臣下に次ぐものとされた。


そんな奚簞の息子、奚斤。優れた見識を持ちあわせていた。拓跋珪が後燕こうえんを破り、皇帝の座につくと、長孫肥ちょうそんひらとともに宮廷の衛兵を統括した。やがて侍郎じろうとして拓跋珪のそばを固めた。

そうした立場であるため、当然慕容寶ぼようほうを打ち破った戦い、参合陂さんごうはにも従軍している。また中山ちゅうざん制圧戦にも参加。奚斤は征東長史せいとうちょうし、すなわち拓跋儀たくばつぎの副官として越騎校尉に任じられ、拓跋珪本営まわりの衛兵を統括した。

中山を落として後、拓跋珪が平城へいじょうに帰還すると、博陵はくりょう勃海ぼっかい章武しょうぶの各郡で群盗が決起、各地の役所を襲撃して回る。奚斤は拓跋遵たくばつじゅんらとともに山東さんとうの諸軍を率い討伐、平定した。

また高車こうしゃ諸部の大破に功を挙げ、厙狄こてき宥連こうれん部を撃破の上その部民らを塞南さいなんに移し、更には侯莫陳こばくちん部を撃破、奴婢や十万を越す家畜を獲得。大峨谷たいがこくに至ると、そこに砦を築き帰還した。

平城にて都水使者とすいししゃに任じられた後、外鎮として晉兵將軍しんへいしょうぐん幽州刺史ゆうしゅうししに任じられ、山陽侯さんようこうに封じられた。




奚斤,代人也,世典馬牧。父簞,有寵於昭成皇帝。時國有良馬曰「騧騮」,一夜忽失,求之不得。後知南部大人劉庫仁所盜,養於窟室。簞聞而馳往取馬,庫仁以國甥恃寵,慚而逆擊簞。簞捽其髮落,傷其一乳。及苻堅使庫仁與衞辰分領國部,簞懼,將家竄於民間。庫仁求之急,簞遂西奔衞辰。及太祖滅衞辰,簞晚乃得歸,故名位後於舊臣。

斤機敏,有識度。登國初,與長孫肥等俱統禁兵。後以斤為侍郎,親近左右。從破慕容寶於參合。皇始初,從征中原,以斤為征東長史,拜越騎校尉,典宿衞禁旅。車駕還京師,博陵、勃海、章武諸郡,羣盜並起,所在屯聚,拒害長吏。斤與略陽公元遵等率山東諸軍討平之。從征高車諸部,大破之。又破厙狄、宥連部,徙其別部諸落於塞南。又進擊侯莫陳部,俘虜獲雜畜十餘萬,至大峨谷,置戍而還。遷都水使者,出為晉兵將軍,幽州刺史,賜爵山陽侯。


(魏書29-1)




なるほど、前巻までがバリバリの生え抜き、ここからはやや遅参組という感じですね。となるとその区切りとして、また処刑組たちの名前が挙げられることになるのかな。どうかしらね。にしても奚簞さんのエピソードが面白かった。劉庫仁と言えば忠節の人ってイメージだったけど、馬泥棒とかやらかしちゃうのか。どう考えてもバリバリな重犯罪でしょうにねえ。このへんもうちょっと聞きたいところですが、まあ続報を望むのは無駄なんでしょうね。北魏初期遊びのコツは面白そうな情報をそこで諦めることなのだ(菩薩face)


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