穆観   突然の死

穆遂留ぼくすいりゅうの弟、穆観ぼくかん。字は闥拔たつばつ、穆崇の爵位を継承した。幼いころからその文学の能力で知られ、宮殿内部の侍従に選抜されたところ、拓跋珪たくばつけいよりその才覚が国器たり得る、と見なされた。


拓跋嗣たくばつしが即位すると左衞將軍さえいしょうぐんに任じられ、また書庫の管理に当たり、拓跋嗣の命に応じ書籍の出納を管理した。過去のことについて問われればそこに遺漏はなく、拓跋嗣はその博識ぶりに驚いた。拓跋氏の娘である宜陽公主ぎようこうしゅがめあわされ、駙馬都尉ふばといに任じられ、間もなくして太尉たいいに移った。


拓跋嗣が外征するにあたりいまだ幼い拓跋燾が平城を守ることとなった。穆観はその右手側に立つ補佐役となり、朝会に出れば政務を統括、拓跋燾の側に戻れば身のまわりごとを、その大小にかかわらずみな決定した。終日温和さを貫き、怒ることも喜ぶこともなかった。精勤の上よきものごとを率先して引き入れ、自らの立場を理由として他者に驕り高ぶることもなかった。


しかし 423 年、唐突に病を得、死亡。35 歳であった。拓跋嗣は自らその葬儀に参列し、大いに泣き暮れた。その全身が隠れるほどの金の装飾品下賜され、葬礼は安城王あんじょうおう叔孫俊しゅくそんしゅんの故事にならった。宜都王ぎとおうが追贈され、文成王ぶんせいおうと諡された。


拓跋燾が即位して群臣らとの歓談に興じるとき、その精勤ぶりが失われてしまったことを惜しまないことはなかった。泰常年間以来、佐命さめい勳臣くんしんのうちその文武が穆観に及ぶものなどいなかった、とまで言われるほどの称えられようであった。




遂留弟觀,字闥拔,襲崇爵。少以文藝知名,選充內侍,太祖器之。太宗即位,為左衞將軍,綰門下中書,出納詔命。及訪舊事,未嘗有所遺漏,太宗奇之。尚宜陽公主,拜駙馬都尉,稍遷太尉。世祖之監國,觀為右弼,出則統攝朝政,入則應對左右,事無巨細,皆關決焉。終日怡怡,無慍喜之色。勞謙善誘,不以富貴驕人。泰常八年,暴疾薨於苑內,時年三十五。太宗親臨其喪,悲慟左右。賜以通身隱起金飾棺,喪禮一依安城王叔孫俊故事。贈宜都王,諡曰文成。世祖即位,每與羣臣談宴,未嘗不歎惜殷勤,以為自泰常以來,佐命勳臣文武兼濟無及之者,見稱如此。


(魏書27-4)




穏やかで控えめの大功臣……もっとこのひとのエピソードを読ませてもらいたかったところです。きっといっぱいあったでしょ。こんな一瞬で終わっちゃうなんて勿体ない!

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