穆崇2  諡曰丁公

拓跋珪たくばつけい魏王ぎおうとなると、穆崇ぼくすう征虜將軍せいりょしょうぐんに任じた。


後燕こうえん討伐にも従軍、歷陽公れきようこう散騎常侍さんきじょうじに任じられる。後に太尉たいいとなり、侍中じちゅうが加えられ、安邑公あんようこうに転封となった。


高車こうしゃ征伐にも参加、大勝し帰還。


東晋が確保していた洛陽らくよう姚興ようこうが包囲すると、東晋将の辛恭靖しんきょうせいは北魏に救援を求めた。拓跋珪は穆崇に六千騎を与え派遣するも、到着よりも前に洛陽が陥落。拓跋珪はその報せを受けると、穆崇には洛陽にほど近い野王やおうに駐屯するよう命じ、豫州刺史よしゅうししに任じ、征虜將軍の官位に再度つける。のちに平城に召喚され、帰還すると太尉に戻され、宜都公ぎとこうに転封となった。


406 年に死亡した。これより以前、拓跋儀たくばつぎが拓跋珪の暗殺を計画、穆崇もそこに参与していた。拓跋珪は拓跋儀を処刑こそしたものの、穆崇についてはその功績を惜しみ、事件を封印した。


有司ゆうしが穆崇の諡について提議すると、拓跋珪は自ら諡法を紐解き、「述義不克曰丁」の記述を見出す。義を示そうとしたが、果たし得なかった、の意である。拓跋珪は「これぞまさしくではないか」と語り、このため丁公と諡された。





太祖為魏王,拜崇征虜將軍。從平中原,賜爵歷陽公,散騎常侍。後遷太尉,加侍中,徙為安邑公。又從征高車,大勝而還。姚興圍洛陽,司馬德宗將辛恭靖請救,太祖遣崇六千騎赴之。未至,恭靖敗,詔崇即鎮野王,除豫州刺史,仍本將軍。徵為太尉,又徙宜都公。天賜三年薨。先是,衞王儀謀逆,崇豫焉,太祖惜其功而祕之。及有司奏諡,太祖親覽諡法,至述義不克曰「丁」。太祖曰:「此當矣。」乃諡曰丁公。


(魏書27-2)




この暗殺未遂事件、どう取るべきかなあ。明らかに色々情報が足りてないから馬鹿正直に受け止めるわけにもいかないけど、魏収先生の書きぶりだと「おれを殺してくれても良かったのだぞ」みたいに受け取れてしまいます。まぁ、物語なら一も二もなくその解釈に飛びつくでしょう。暴走をしていると気づき、それをどうにか自宅と求めきれなかった拓跋珪の悲哀……!


しかしこうして読んでると改めて拓跋珪親征し過ぎだなおい。


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