尉古真  侯引乙突

尉古真うつこしん代人だいじんである。


拓跋珪たくばつけいだいの滅亡を受け賀蘭部がらんぶに逃れたとき、賀蘭部酋長の一族である賀染干がせんかん侯引こういん乙突おっとつらを拓跋珪の住まう屋敷に飛ばし、殺害せんと企んだ。尉古真がそれを知ると、密かに拓跋珪の元に馳せ参じ、賀染干の企みを語る。このため侯引らは計画を実行できずに終わった。


賀染干は尉古真の密告によって計画が漏れたのだと当たりをつけ、尉古真を捕らえ、拷問にかける。車軸に顔を押しつけ、その片目をすり潰した。しかし尉古真は自分が何をやったかを語ることもなく、赦免とされた。


拓跋珪が魏王を名乗って間もなく、庫莫奚こばくけい叱突隣しつとつりんと言った周辺勢力の制圧に従軍、功を挙げた。また鉄弗部からの侵攻にあえぐ賀蘭部救援にも従軍し、劉衞辰りゅうえいしんの子の劉直力鞮りゅうちょくりょくだいを撃破した。參合陂さんごうはにおける慕容寶ぼようほう軍大破にも参加した。更には後燕こうえん領制圧にも参加。

これらの功績から、束州侯そくしゅうこう建節將軍けんせつしょうぐんとされた。


拓跋嗣が即位すると、鴻飛將軍こうひしょうぐんに任じられた。五千の兵を率い、大洛城だいらくじょうの守備に当たった。拓跋嗣の西方巡察に従い、尉古真や奚斤けいきんらは前鋒軍を率い越勒部えつろくぶを攻撃、大破した。馬五万頭、牛や羊二十万頭を獲得、さらに二万世帯あまりをさらい、撤収した。


418 年に死亡した。定州刺史ていしゅうししが追贈された。子の尉億万うつおくまんがあとを継いだ。死亡すると更にその子の尉盛うつせいが継いだ。



尉古真の弟には尉太真うつたいしんがいる。拓跋嗣が即位して間もなくのころ、平南將軍へいなんしょうぐん相州刺史しょうしゅうししに任じられている。




尉古真,代人也。太祖之在賀蘭部,賀染干遣侯引乙突等詣行宮,將肆逆。古真知之,密以馳告,侯引等不敢發。染干疑古真泄其謀,乃執栲之,以兩車軸押其頭,傷一目,不伏,乃免之。登國初,從征庫莫奚及叱突隣,並有功。又從救賀蘭,破衞辰子直力鞮,復擊慕容寶於參合陂。又從平中原,以功賜爵束州侯,加建節將軍。太宗初,為鴻飛將軍,率眾五千,鎮大洛城。太宗西巡,古真與奚斤等率前軍討越勒部,大破之,獲馬五萬匹,牛羊二十萬頭,掠二萬餘家西還。泰常三年,除定州刺史。卒,子億萬襲。卒,子盛襲。

古真弟太真,太宗初,為平南將軍、相州刺史。


(魏書26-8)




賀染干遣侯引乙突等

おい誰だよ(挨拶)


あまりにも意味がわからなさすぎてついったでぶち切れ散らかしたところ、識者より「よくわからん」と言う心強いお言葉を拝領しましたためここではひとまず「侯引」「乙突」で、ふたりの名前にすることにしました。魏収ぎしゅうさんこの辺ご自身でもよくわかっていらっしゃらなくない?


なお北史ほくしにも当たりましたが、北史でもやはり「侯引乙突」でひとりの人名扱いをされているようでした。ただそちらでは魏収さんがお書きになっているその後のお言葉「侯引等不敢發」を敢えて見えないフリなさっています。そりゃねえ……ふつう侯引乙突を一つの名前として考えるなら乙突等不敢發になりますものね……。


こういうのを見ると外来語をカタカナで強引にくくれてしまう日本語は案外悪くない表記方法なのかもしれないよなーと思うのでした。まぁ漢字教育とかいま思うとTHE☆殺意☆って感じですが♪

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