魏書巻26 拓跋珪初期を支えた将軍

長孫肥1 拓跋珪の側近

長孫肥ちょうそんひだい人だ。拓跋什翼犍たくばつじゅうよくけん健在のときには 13 歳で、內侍ないじに選ばれていた。


幼い頃より落ち着いたふるまいで、果断であり口数は少なかった。拓跋珪が獨孤部どっこぶ賀蘭部がらんぶの間を渡り歩かねばならなかったとき、常に側にて護衛をし、拓跋珪からも深い信任を得、大いに頼られていた。


拓跋珪たくばつけい魏王ぎおうと名乗るようになると、莫題ばくだいらとともに大将となる。劉顯りゅうけん征伐に従軍し、濡源だげんにて庫莫奚こばくけいを撃破、また賀蘭部がらんぶ討伐にも従軍。どちらでも戦功を挙げた。


拓跋珪が柔然じゅうぜんを討伐し、大破したときに、長孫肥は柔然軍の軍主である匹候跋ひつこうばつを降伏させた。このあたりはのちの柔然伝に詳しい。


匈奴きょうど鉄弗部てつふつぶ劉衛辰りゅうえいしんとその同盟者である叱干部しつかんぶの攻撃に従軍、完膚なきまでに滅ぼし尽くした。


柔然の別の主である縕紇提うんきつていの子である曷多汗かつたかんらは部民らを率い、縕紇提を見捨てて西方に逃亡した。長孫肥は軽騎を率い追撃をかけ、上郡じょうぐんにて捕捉。とらえ、殺した。





長孫肥,代人也。昭成時,年十三,以選內侍。少有雅度,果毅少言。太祖之在獨孤及賀蘭部,肥常侍從,禦侮左右,太祖深信仗之。

登國初,與莫題等俱為大將,從征劉顯,自濡源擊庫莫奚,討賀蘭部,並有戰功。太祖征蠕蠕,大破之,肥降其主匹候跋,事具蠕蠕傳。又從征衞辰及薛干部,破滅之。蠕蠕別主縕紇提子曷多汗等率部落棄父西走,肥以輕騎追至上郡,斬之。


(魏書26-1)




うーん強い、ただただ強い。


一回、どこかで拓跋珪麾下の将軍たちの功績まとめておきたいなあ。あわせて拓跋部との地位的な意味での距離。拓跋珪の時代は、まだまだ鮮卑や匈奴的な意味での貴種しか大きな軍権は持ててなさそうなんですよね。そうした距離感と軍功が否応なしに比例してくるとは思うのだけど、どうだろう。


この時代、貴種に生まれたらいやでも強くなきゃいけないですものね。このへんの論理をきっちり拾っとくと匈奴漢きょうどかんとか後趙こうちょう冉魏ぜんぎって「北土の常識的継承論を中元で展開しました」となる。ただ、その継承論は中原人の倫理観にえらくバッティングした。そういう話なんだと思うんだ。

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