第14話 女子大生
高校時代からモテていた黒髪と、全くモテない茶髪がなぜ仲良くなったのか、茶髪自身よくわからないでいる。キラキラしていて目立つ存在の黒髪(当時は黒髪が茶髪で茶髪が黒髪だったが)と友達でいるのは鼻が高い反面、引き立て役にならざるを得ない自分が惨めだとも思っていた。それでも、無鉄砲なくせにたまに繊細な面も見せる彼女のことを嫌いになれないでいた。
勉強などそっちのけで遊びほうけていた彼女とまさか同じ大学になるとは思わなかったが、彼女はどこまでも要領がよかった。高校三年間を優等生で通し、かつ必死に受験勉強をしなければならなかった自分とは大違いだ、と茶髪は思う。黒髪は、二年、三年への進級を茶髪からノートを借りたり追試の時だけ猛勉強したりしてどうにかこなすと、あとは要領の良さと押しの強さ、はったり、愛想笑いとしらじらしい理想論を臆面もなく並べ立てることでAO入試を手玉に取り、学業における優秀さだけが自慢だった彼女と同じ大学に合格してしまった。
自分の人生目標は、大学のミスコンで優勝し、アナウンサーになることだ、と合格が決まったあと、黒髪はしたり顔で彼女にそう語った。
茶髪に大学デビュー、つまりイメチェンを勧めてきたのは黒髪だった。
「あんたもさあ、その地味な髪を染めるぐらいしてみたら。そんで、ばっちりメイクも決めて、大学生活を満喫しなよ。高校じゃ、散々あんたに世話になったから、今度はあたしが恩返ししてあげる」
かくして、地味な黒髪がり勉眼鏡だった彼女が、人生で初めて髪を茶色に染めた。その一方で、長らく茶髪を保っていた遊び人の友は、これからは清楚なイメージで行く、と黒髪になった。その黒髪の指導の元、茶髪は重たげな一重瞼を接着のりで二重にし、ゲジゲジのようなつけ睫毛をつけ、黒目の大きく見えるカラーコンタクトを入れ、平坦な顔に陰影を駆使してメリハリをつけるメイク術、さらには今時のモテファッションを学んだ。
その結果、高校時代と比べれば見違えるように垢抜けた茶髪だが、やはり黒髪の側に居るとかすんでしまう。一緒に合コンに参加するなど自爆行為だと分かっていながら、ナンバーツーの男子ぐらいならどうにかなるのではないかと淡い期待を抱いて、今日も撃沈した。
一体何をやっているのだろう、と思う。
大学生活が始まってはや二ヶ月、周囲では新たなカップルが着々と誕生し、自分は相変わらず一人で、黒髪がもはや何人の男性とベッドを共にしたのか当人ですらわからなくなっている間に、自分は未だに、一人。イケメンの男性に地下鉄の中で声をかけられたが、彼だって当然、お目当ては黒髪のほうで、彼女はといえば、さきほどから何やら賑やかなイケメンの部屋で正体をなくしているけど、誰一人気にしてくれる者はいない。
「一体何を考えているんだ、君は!」
淀んでいた意識が呼び覚まされ、茶髪は薄目を開いた。天井は回転するのをやめていたが、視界にはまだ霞がかかったままだった。
いくら陽気な宴会でも少し騒がしすぎないだろうか、と根が真面目な茶髪は混濁した意識の中で危惧する。隣近所から苦情が寄せられるのではないか。
驚いたことに、声を荒げているのは、彼女の隣に座る真面目そうな眼鏡だった。アルコールのせいで集中して耳を傾けることが難しかったが、「そういうものは、一度でも手を出したら身の破滅」だの「幻覚や幻聴、禁断症状に苦しむことになり」云々――合コンで黒髪を口説いていた男より、余程まともなことを言っている、と茶髪は感心した。
しかし、眼鏡の熱の入った演説は、黒髪を鼻白ませただけだった。
「この人、ノリがわるーい」
「まあ、こいつは堅物だからな」
イケメンの同意を得た黒髪は、ぴったりと体を寄せて、彼の肩に火照った頬をのせた。
「お前は、こんなものからは足を洗ったんじゃないのか」
シンイチはトーマを睨み付けた。
煙草、飲酒、ドラッグと、かつてトーマは山ほど問題を抱えていた。ときには殴り合いも交えて(腕力ではシンイチはトーマには全く敵わないのだが、それでも)、心を入れ替えないならば絶交だと脅し、なだめすかし、泣き落として、最終的にはトーマのほうが根負けしたのだった。
「真面目に仕事をして、工場の親父さんにも認められるようになったって聞いて、嬉しかったのに。もう大丈夫だと思っていたのに」
「しらけるようなこと言うんじゃねーよ。こんなもん、クスリの内にも入らねえよ。たまにはめを外すのが、そんなに悪いことか? お前もたまにはバカの一つもやってみろよ。ジジイになってから『あの頃は無茶したな』って言えるようなことを一回でもしたことがあるのか?」
「そんなものは、必要ない」
「ねえ、そんな石頭放っておこうよ」
黒髪が、トーマの膝の上によじ登り、首に腕をからませ、彼の耳元に唇を寄せた。
「キメてすると、病みつきになるんだって」
「勝手にしろ」と捨て台詞を残し、シンイチはローテーブルの上に置かれた小さなバッグを鷲掴みにした。
乱暴にドアが開く音でいつの間にかまどろんでいた茶髪は目を覚ましたが、目は閉じたままでいた。
遠ざかる靴音、それに向かって浴びせられる罵声。
ドアが叩きつけられる音。
眼鏡は既にこの部屋にはいないということが茶髪にもわかった。自分とは寝る気になれなかったのだと彼女は思った。別に今日どうしてもあの眼鏡としたかったわけではないし、怪しげなクサを吸わなくていい理由を考える手間が省けて、かえってよかったのだと自分に言い聞かせる。
しかしその後、黒髪と筋肉質の男の間で勃発した不穏な空気は、茶髪を不安にさせた。
「つまんない奴。なんであんた、あんな冴えない眼鏡とつるんでんの?」
「大きなお世話だ」
「美女と野獣――じゃないけど、合わないよね、あんた達」
「うるせえぞ」
「あんな眼鏡に説教されて、バカみたい」
「黙れ」
「ねえ、あの眼鏡の元カノとやっちゃったの?」
「いい加減にしろ」
男の声が明らかに苛立ちをエスカレートさせていくのに構わず挑発を続ける黒髪に対し、茶髪は心のなかでヤメテヨと呟いた。リスカをするたびに画像を送りつけてくる困った趣味を持つ黒髪にとっては、これも自傷行為の一種なのだろうか。悪い癖だ。
「ねえ、レコード聴こうよ」
「触るなって言っただろう。酔っ払い」
「いいじゃん、ちょっとぐらい。あ」
ガラスの割れる音。狼狽える黒髪。どたどたと速足で台所に行って戻ってくる足音。黒髪が話しかけても、男は返事をしない。
「ねえ、弁償すればいいんでしょ。怒んないでよ。そんなカビが生えたみたいな古いレコ」
最後まで言えなかった黒髪の悲鳴に、何かが倒れる音、悲鳴、男の罵声、泣き声でやめて痛いと懇願する黒髪が引きずられて遠ざかっていく音、勢いよく開閉する襖。
すべてが非現実的で、このまま酔っぱらったふりをしていよう、と茶髪は思う。
「暴れるなよ、おい。お前が誘ったんだろうが」
隣室から大きな声がしたのはそれが最後だった。それ以降黒髪は抵抗をやめたようだったので、茶髪は安心して眠りにつくことができる。彼女は本当に酒に弱いのだ。
あの眼鏡はハンサムではないが、真面目そうでよかったのに、とまどろみながら思った。
ああいう真面目な男なら、違法な薬物を無理強いされる心配もなく、性行為に及んだとしてもきっと淡泊で保守的だろうから、そっちは嫌だやめて痛いやめてと懇願して張り倒されることもないだろう。
隣の部屋では黒髪が押し殺した短い悲鳴を上げ続けていたが、じきに静かになった。そして、すすり泣き。
彼の言う通り、自分で蒔いた種なんだから、我慢すればいいのに。わたしはそんな痛そうなのは絶対に嫌だけど。でもまあ、あっちなら望まない妊娠をする心配は、ない。
どれだけ眠ったのか、目を覚ましたとき、茶髪の体は冷え切っていた。
「おい」と腿の辺りを蹴られて目を開けると、裸の男に胸ぐらを掴まれ、頭と背中がカーペットを離れ宙に浮いていた。
まったく、ほれぼれするようないいカラダをしている、と茶髪は感嘆の息を漏らした。どうしても目を逸らすことができなかった。
ダンサーみたいに、逞しいがしなやかで、無駄がない。顔だって、切れ長の目に鼻筋が通っている。自分みたいな女には絶対に手に入らないタイプの男。その男が、茶髪の瞳を覗き込んでいた。
「お前の番だ」
隣の部屋はいつの間にか静かになっていて、襖が開いていたが、部屋の電気はついておらず、なかの様子はわからなかった。
そういえば黒髪は一度も助けを求めなかった、と茶髪は思った。
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