syringa vulgaris ④

人々はこの日を待ち望んでいた。刑台の真正面、特等席を前日の夜から陣取っている者もいた。娯楽の少なかったこの時代。圧政の下で生きる低階級の者達にとって、これが唯一の楽しみだと言っても過言ではなかった。


 最初に襲ってきたのは女だった。群がる男達を掻き分けて、凄まじい形相で掴みかかる。少女は「嫌だっ!」と叫んでいた。しかし誰も聞いていない。誰の耳にも届かない。


 女の目当ては少女の髪。檻車の中に押し入ってくるなり、少女の髪の毛を鷲掴みにした。ものすごい力だった。抵抗は意味をなさない。少女は自らの足で檻車から飛び出した。そうしなければ、毛髪が地肌ごと引き抜かれてしまう。


 女の腹に正面から、頭を下げて突進したような格好だった。女と少女はもつれ合うように檻車の扉から出てきた。二人はそのまま、転げ落ちるように落下した。鈍い音が響く。



「痛ッ、ぅぅ――」


 視界が霞んでいる。少女は大地にと叩きつけられていた。女の方は檻車の巨大な木製車輪に頭を打ちつけていた。うめいている。見ればその身なりはいい。貧民ではない。


 しかし女の髪色はくすんでいた。天日に晒した海藻のように色素は抜け、潤いはなく、ばさばさに枝分かれしていた。美に対する嫉妬が、中年女を突き動かしていた。



 ここで少女は現状に気づく。見下ろされている。幾人もの男達が、少女を中心に取り囲んでいた。男達の視線は澱んでいる。少女の背筋に冷たいものが駆ける。


 ひとりの男が少女に覆い被さった。馬乗りの格好。上半身裸の大柄な男だった。とてつもなく重い。腹部を圧迫された少女は息苦しさに呻いている。



 男の腕には肩口にかけてまで、ひどい火傷の跡がある。肌色は変色していて筋肉が異様な発達をしている。鍛冶などの炎を扱う仕事を生業としているのだろう。



 男は顔を近づける。少女を睨みつけたままだ。目の前。その言葉通りの距離。そしてお互いの額と額がぶつかった。それでも男は目線を逸らさない。男の吐息が少女の鼻を衝く。生暖かくて生臭さかった。


 少女は顔を背けようとしたが視線が絡みついてほどけなかった。恐怖で体も動かない。男の瞳は潤んでいた。白目の周囲には赤い毛細血管が走っている。


 鐘の音が聞こえる。怒号と雑踏の中、確かにそれは少女の耳に届いていた。神様を讃えるための聖なる鐘。




 ここは聖都。神様の坐す都――

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