第19話 生贄
彼は、汗をかいたグラスのハーバードクーラーを飲みながら、些か緊張した面持ちで語り始めた。
「私の身なりを見てお分かりになられると思いますが、私は事業で成功し、それなりの生活をさせていただいております。唐突に自慢話のようになって申し訳ありません。ただ、それもこれも大切な友人の支えがあったからです」
確かに彼は最年少でありながら、この夜会では品質の良いであろうスーツを今風に着こなしていた。
「私は昔、宝石を取り扱う小さな店を経営していて、一度は破産しかけたこともありますが、今はなんとかそれなりに事業を展開させていただいております。その時の話なのですが、私が今夜お伝えしようと思っている物語は、直接的に、その友人のことを話そうと思っているわけではありません」
私には、それほど暑くも感じられない部屋で、彼はハンカチを取り出して額の汗を拭いた。
「私の事業が破産寸前から何とか切り抜けようかと思えた時期、急に故郷の叔父から連絡がありました。その内容は彼の息子を雇ってほしいとのことでした。余りに唐突な話の内容に私は非常に嫌な予感がしました。叔父の一人息子は、幼い時から人付き合いが悪く、ともすれば人を簡単に傷付けてしまえるような人物だったからです。それでも、叔父には両親がお世話になったこともあり。断るに断れないと思いました。しかし、なぜ、この大事な時期に、とは思いましたよ。でも、叔父曰く、彼の一人息子は、どう言う訳か急に改心したように非常に人付き合いが良くなってきた、と言うことでした。例え、それが嘘であっても、お世話になった叔父故、お断りするには申し訳ないので、叔父の言うことを信じるしかありませんでした。そして、彼が私の店にやってきた時には、びっくりするほど愛想が良く、まんざら叔父の言っていたことも嘘ではなかったのかな、と思いました。また、私の店には数人の営業マンがいたのですが、彼らを傷つけるどころか、至って円満で、それどころか、どの部下に聞いても彼の評判は良いことばかりでした。しかし、昔の彼を知っている私は、そのままを受け入れることができず半信半疑であったことは分かってもらえるでしょうか。ある日、遠方で大きな商談があり、残念なことに誰もが、その日の予定を空けられない状況なことがありました。でも、あと一押しどころか、既に先方とは連絡済みで、後は契約書にサインを頂ければ良いだけの状態でしたので、彼に行ってもらうことにしました。ある意味、それは不幸中の幸いであったかもしれません。私の部下達は、既に過労状態で、身体中の筋肉に痛みを訴えるものまで出てきている始末でしたから。遠方への出張で休息の時間を削ってやりたくはなかったのです。そして、彼が出張する前夜に、叔父が心筋梗塞で倒れたと連絡がありました。仕方なく、眠る暇もない現状の私が出張を引き受けようとしたのですが、彼は、にこりと笑って、大丈夫です、と言ったのです。彼の出張中に彼の父親である私の叔父は、次の日に亡くなりました。更には、彼が帰る途中の列車が脱線事故を起こし、彼はその死者の一人としてニュースに名前が流されました。不幸とは続くものだと思いながらも、私は仕事の合間を見て、彼の一人暮らしのアパートへ行き、遺品処理をすることになりました。そして私は、遺品の処理をしている途中で、彼の押し入れの中に、見てはいけないものを見てしまうことになったのです。それは、一つのダンボール箱に詰められていました。木で作られた人形でしょうか? 決して上手な彫り物とか言うものではなく、小学生でも作れそうなもので、十字架のように交差させた二本の木の一番上に彫刻刀で彫ったのか、目と口のようなものがあるだけのものでした。ただ気味悪い事に、その手作りの木の人形には、無数の針が刺さっていたのです。そしてさらに気味の悪いことは、いいえ、気味悪いなどと言う言葉ではなく、その人形の一体一体には、私の部下の一人一人の名前が彫られていたのです。彼が如何にして人付き合いが良くなったのかを、私は知ったような気がしました。また、そのダンボール箱の横には、済み、と書かれた紙袋がありました。其処には二つ、一つは彼の父親の名前が書かれた人形が新聞紙に包まれていました。人形の胸の位置くらいであろう其処には、大きな釘が刺さっており、裏側まで貫通していました。そして、もう一つの新聞紙に包まれた人形は? また、気味の悪いことに、誰の名前が書かれていたのか、お分かりになりますか?」
震えるような声を押し殺して一人の婦人が言った。
「列車の事故で亡くなられた、その息子さんの名前でしょうか? でも、どうしてかしら?」
「意地悪な質問をして申し訳ありません。実は彼の名前ではなかったのですよ」
それに応えるようにして同じ女性が言った。
「では、誰なのですか?」
「その木の人形に彫られていた文字は、悪鬼、でした。でもどういう訳か、そこに突き刺された釘は途中で硬いものにでもぶつかったように、釘の頭の方が「く」の字型に曲がっていて、裏側にまで貫通できなかったようでした」
「・・・・・・・・・。」
「私には、これは彼にとって最後に残された、たった一つの良心の表れであり、しかも、彼の中の悪鬼に最後まで抗えなかった心であり、悪魔とは全ての人々の心の中に住んでいて、他所からやってくるものではなく自分自身で戦うしかないものだ、と思えたのです」
長い間、沈黙が続いたが、別の婦人が尋ねた。
「その残された人形達はどうされたのですか?」
「それですね、この話の冒頭にお伝えしましたように、私には一人の大切な支援者がいました。彼に、この人形達を見せると彼は、邪悪なエネルギーに満ちている、そう言うと彼は、まるで鳥の嘴のような強固で鋭い口で針を捉え、人形から一本一本と針を抜いていってくれました」
その言葉を聞いて、また別の婦人が言った。
「もしかして、その人は、人ではなく本当は鳥だったのかしら?」
一同から明るい笑いがこぼれ、中には何度も頷く人さえもいた。
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