黄昏

@a_tomi

第1話 夫:吉野浩紀

代表権のない会長職。16時にはやることもなくなる。

今日も妻のいる部屋に向かう。

しばらくすると妻が目を覚ます。

おはよう。夕方だけど。

そう言って彼女は微笑む。

いつものように手櫛で髪を整えてあげる。

彼女は目をつむって身を任せてくる。

ひとしきりなでつけたら椅子に戻り、自分の手を彼女の手の上下に置き、優しく握りながら今日の出来事を報告する。

彼女はうなずいたり、「まあ」「それで」「そうなの」「私には少し難しいわね」等と相槌を打ってくれる。

それだけでも私の考えがきれいに整理される。こう指示すればもっとよかったな。明日はこうしよう。あの企画、少し修正するともっとよくなる。内助の功とは正にこのことだな。

涙腺が緩むのを我慢する。


彼女と一緒になれたから、今の私がいる。


気が付くと窓の外は薄暗い。もういい時間になった。

病室を後にする際、おでこにそっと口づけをする。

まあ。

怒っていない口調で抗議する。弱々しく腕を布団から出し、おでこをぬぐう。

ああ、変わらない。やはり私の妻だ。

腕を布団の中に戻し、頬を撫でて病室を後にする。


彼女と一緒になったから、今の彼女がいる。


自分で会社を興し、がむしゃらに経営してきた。彼女を幸せにするために。

もっと稼ごう。もっと会社を大きくしよう。もっと有名になろう。

会社は大きくなり、資産も増えた。

家族というべき社員も増えた。

しかし。家庭にいる時間が減った。減らさないと怖くて仕方がなかった。

私の会社は大丈夫だろうか。社員たちを路頭に迷わせないだろうか。

いつしか、妻を幸せにしているだろうか、と考えなくなった。


あの日。あの日曜日に彼女が倒れた時も。そばにいていられなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る