第16話「先輩の夢はなんですか?」
「美味しかったです。ありがとうございました」
晩御飯を食べ終えた僕は手を合わせてごちそうさまをした。
まゆみさんは「お粗末様でした」とにこにこ笑っている。
詩織も嬉しそうに「全部食べてくれましたね」と言う。
「美味しかったからね。特にポテトサラダが」
「そんなに褒めても何も出ませんよ? ふふふ、でもありがとうございます」
詩織が何気なく食器を片付けようとする。
僕は「手伝うよ」とお皿とお茶碗を重ねた。
「礼儀正しいわねえ。詩織にもったいないくらい」
「ちょっと、お母さん。どういう意味?」
「姉ちゃん、そのまんまの意味だと思う」
勝利くんはどうでも良さそうに言う。
俊彦さんは食事中、不機嫌なままだった。
うーん、ちょっとフォローしたほうがいいのかな?
「あ。そういえば、先輩に本を貸すんだった」
「そうだね。今日一緒に見た映画の原作のやつ」
このやりとりに俊彦さんが「なに!? お前たち、デートしたのか!?」とかなり驚いた。
あちゃあと思いながら「はい。してきました」と正直に答えた。
「そんなに驚かないでよお父さん。その、付き合っているんだから、デートくらいするよ」
「し、詩織にはまだ早い! この間、中学を卒業したばかりだろ!」
「もう四か月経ってるよ。それに高校生なんだから」
俊彦さんはこの世の終わりみたいな顔になった。
僕は不謹慎だと思いつつ失笑してしまった。
「……何がおかしいんだ、内藤くん」
「ああ、すみません。なんだか安心しちゃって」
俊彦さんの疑問に対し、僕は安心と答えた。
あの人との食事や女の世話とは違った、家族の温もりを感じたからだ。
生まれて初めて気の置けない仲というのを知れたのだ。
「詩織が羨ましいです。とても大切にされているんだなって、心から思えます」
僕の言葉に、俊彦さんもまゆみさんも勝利くんもよく分からないという顔をした。
詩織だけがそんな僕を理解しているので、ただ微笑んでくれた。
「先輩、私の部屋に行きましょう。本はそこにありますから」
「いいの? いきなり入っても」
「ええ。これでも毎日掃除しているんですよ」
そういう意味ではなく、彼氏を部屋にあげてもいいのか、ってことなんだけど。
あ、詩織の顔を見て分かった。全然考えていないんだ。
「ちょっと待て! 二人きりになるのは許さん!」
俊彦さんが僕と詩織の間に割って入ってきた。
それをまゆみさんが「いいじゃないの」と制した。
「内藤くんなら変なことにならないと思うわ」
「だ、だがな、母さん。俺は――」
「大丈夫です。本を借りたら帰りますから」
やんわりと言うけれど、詩織が「えっ? もっと居ましょうよ」と言ってきた。
勝利くんが「姉ちゃん、やるなあ」と手を叩いた。
「……そうだね。行こうか詩織」
「はい! お母さん、お父さん止めておいて」
まゆみさんが「任せて!」と親指を立てた。
俊彦さんは最後まで抵抗したけど、僕たちが部屋に行くのを止められなかった。
二階の詩織の部屋は整然としていて、それでいて女の子っぽいところだった。
青のパステルカラーに彩らえていて、カーテンもベッドの布団もそれで統一されている。
本棚も整っていて床にゴミも落ちていない。毎日掃除しているのは本当らしい。
勉強机も整頓されていて毎日勉強しているのが分かった。
詩織は「座ってください」とカーペットにクッションを置いた。
僕は座りながらきょろきょろと見渡してしまった。
「女の子の部屋って感じだね」
「あはは。どんなの想像していたんですか?」
「もっとこう、ミリタリーなのを想像していた」
クッションに座ると「まあ夢が夢ですからね」と詩織はベッドに座った。
自然と見上げる形になって、気恥ずかしい気分になる――そうだ。僕は今、彼女の部屋にいるんだ。
気づいた途端、無性にどうしていいのか分からなくなった。
「うん? どうしたんですか、内藤先輩? 顔が赤いですよ?」
この状況がまるで分かっていない詩織。
緊張感が増す中、僕は「ほ、本ってどこにあるの?」と話を逸らした。
「ああ。本ですか。確か、ここに……」
そう言って本棚を探し始めた詩織。
よく見ると自衛隊関係の本がいくつか見えた。
広報誌なんかもあったりする。
「本当に自衛隊、入りたいんだね」
ぼそりと呟いたつもりだった。
だけど聞こえていたらしく「ええ、そうですよー」とのん気な声が帰ってくる。
「そういえば詳しく訊かなかったけど、どの自衛隊に入りたいの?」
「どの? ああ、陸海空のどれか、ですか?」
「そう。僕でもその三つは知っているよ」
「えーっとですね……あ、ありました」
詩織は本を見つけたらしく僕に手渡す。
映画のタイトルとは違う題名の原作の本。
受け取った僕は詩織の返事を待つ。
「陸上自衛隊ですね。私、憧れているんですよ」
「そうなんだ……詳しく聞いてもいい?」
「単純な話ですけど、いいですか?」
僕は詩織の目を見て頷いた。
「私、実は被災したことがあるんです。十年前の大きな地震で。そのとき助けてくれたのが、自衛隊員のお姉さんだったんです」
お兄さんではなく、お姉さんか。
もし男の人だったら、憧れを抱いたのだろうか?
そんな邪推が生まれたけど、言葉にしなかった。
「そのお姉さんに憧れて、私も誰かを守りたいって思えたんです。だから自衛隊を志願しているんです」
「……そうか。いい夢だね」
素直な感想だった。見ず知らずの誰かを守れるのは素敵なことだと心から思える。
だからこそ、僕のことも助けてくれたのだと思えてしまう。
「先輩の夢はなんですか?」
「僕の夢?」
いきなりの問いに面食らった僕。
そういえば、考えたことはなかった。
あの人が望む生活を送ることしかなかったから。
「特にないな。目指すものも、憧れるものもない」
「将来、こうなりたいとかもない感じですか?」
「……うん」
情けない話だけど、将来こうありたいという願いなんて、小さい頃からなかった。
ただひたすら暴力と流血に明け暮れた中学時代。
そして今は、何かを渇望している。
「じゃあこれから作っていきましょう」
明るい声で詩織は僕の手を握った。
ぎゅっと握りしめて放さない。
顔は紅潮していて、希望にあふれていた。
「……うん、そうだね」
そう答えるのがやっとだった。
詩織のことが眩しくて見られなかった。
もう、過去のことは引きずらないと決めていたのに――
ごめんよ、詩織。
まだまだ僕は汚いままなんだ。
こうやって詩織に好かれる資格なんて無ければ。
詩織を好きでいる権利すらないんだ。
「……それじゃあ、そろそろ帰るね。本、ありがとう」
立ち上がって帰ろうとする――詩織が手を握ったまま放さなかった――驚く間もなく、二人してベッドに倒れ込んでしまう。
詩織が小さく「きゃあ」と言った――その顔が近くにあった。
「え、あ、先輩……?」
顔の距離がかなり短い。
心臓がバクバクと鼓動を高鳴らせる。
一瞬、覚悟を決めたような表情をした詩織が、目を閉じた――
「ご、ごめん!」
詩織から離れて後ろに尻餅を突いた。
はあはあ、と自分の息が荒いことに気づく。
あどけない顔をした詩織は僕のことを不思議そうに見つめている。
「なんだ。キスしてくれると思ったのに」
「……ごめん」
「謝らなくていいですよ。ちょっと残念ですけど」
詩織に恥をかかせてしまったような心地がして、悲しい気分になる。
もう少し度胸があれば……詮のないことだ。
「内藤先輩、一つ言っておきますね」
ちょっと悪戯っぽい表情のまま、詩織はウインクした。
「部屋に招いている時点で――女の子は覚悟しているんですよ」
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