第13話「大好きですよ、内藤先輩」

 僕たちは今、学校の屋上にいた。

 さんさんと輝く太陽の下、汗が流れるまま、僕は詩織に過去を話し続けた。


「内藤先輩の話、信じられないです。まさかそんなひどいことをしていたなんて……」

「全部本当だよ。嘘なんかついてない。いや、自分でも嘘だったらいいのにって、思っている」


 話終えたのは、昼休みが半ば過ぎたぐらいの時間だった。詩織の顔は青ざめていて、僕を見る目つきはひどかった。

 当然だろう。話している僕でさえ気分が悪くなるのだから。


「……それで、話した理由はなんですか? 私に嫌われようと思ったんですか?」

「違うよ。僕は、なんというか、卑怯者なんだ」


 今いる場所――高校の屋上のフェンスに身を任せる。支えがないと立っていられないほど緊張していた。

 詩織は怪訝な顔で僕の言葉を待つ。


「僕の過去を聞いた上で、君はまだ好きでいられるのか」

「…………」

「悪徳と汚濁でまみれた僕を……好きでいてくれるのか。試したかったんだ」


 ここまで卑怯だと自分の性根はねじまがっていると自覚できる。天性か後天性なのかは分からないけど、あの人と同じように才能はあるようだ――


「そうですね、内藤先輩は卑怯者です。分かっているんでしょう? そう言われても――私が先輩のこと、嫌いになれないって」


 詩織の口から出た思いもかけない言葉。

 弾かれたように彼女を見つめてしまう。

 その顔は覚悟に彩られていて、息を飲むほど、とても綺麗だった。


「正気なのか? 僕がどれだけ酷い人間だって、分かっただろ? できる限り言葉を尽くして話したつもりだけど、理解できていないなら――」

「理解できていないのは、先輩のほうですよ」


 詩織は僕との距離を詰めた。

 後ろに下がることはできるけど、彼女の思いつめた顔を見てやめた。


「内藤先輩は、酷いことをたくさんしてきました。でも、私には優しくしてくれたじゃないですか」

「…………」

「私に酷いことをしなかった。むしろ私を気遣って離れようとした。ていうか、私のほうから酷いことしちゃいましたしね」


 最後はとぼけて言ったけど、彼女自身も分かっているように、上手く笑えていない。


「私は、単純なんです。優しくされたら好きになってしまうくらい。小学校や中学校はデカ女とか女ゴリラとか。馬鹿にされていました。親しい友人に自衛官になりたいって言ったら止められました。でも、先輩は違う。私を一人の女の子として見てくれた。お弁当を美味しいって言ってくれた。それに――」


 詩織はまた、僕との距離を詰めた。

 もう少しで触れそうな間隔。


「私の夢を初めて肯定してくれたんです」

「文月さんが、真剣だったから。否定なんかできないよ」

「さっきも言いましたけど、みんな止めるんです。大変で女の子がやる仕事じゃないって」


 自衛官は大変で、女の子が目指す仕事ではないかもしれない。

 有事の際には人を殺めなければならない。

 災害の時には自分が犠牲になるかもしれない。

 だから務める人は崇高な覚悟があるんだろう。

 僕にはそれが無い。だから詩織が真剣に目指しているのを、応援してしまったのだ。

 要は羨望だったんだ。


「どんな理由があっても、認めてくれたことは――嬉しかったんです。それこそ恋に落ちてしまうほど」

「文月さん、少し気を付けたほうがいい」


 僕は自分の声がかすれているのに気づいていた。


「そんな簡単に恋に落ちたら、悪い人間に騙されるよ」

「ふふ。今がそうですからね。でもいいんです。案外、悪い気分じゃないですし、内藤先輩は悪い人ではありませんから」


 詩織は少し咳払いして「内藤先輩、聞かせてください」と切り出した。


「先輩が過去の話をしてくれたってことは、私を大事に思っているからですか?」


 否定なんてできるわけがなく、否定する気もなかった。


「うん。僕は――文月さんのことを大事に思っている」


 馬鹿みたいに質問の文言を肯定した返事だった。

 それが今の僕には、精一杯だったから。


「その、大事に思っているって、ことは……」


 詩織の顔が徐々に赤くなっていく。

 僕が本音を言うとは思わなかったのかもしれない。


 僕は、もう、自分が止められなかった――


「そうだよ! 僕は――文月詩織が、好きなんだ!」


 やっと言えた、自分の想い。

 詩織の顔なんて、見れない。

 相手の反応を窺う余裕もない。


「こんな僕を好きになってくれただけじゃない! 僕だって、君に惹かれていた! いつも明るくて、楽しく笑ってくれて、ちょっぴり単純なところもあるけど、慕ってくれる優しい女の子を、好きにならないわけがないだろ!」


 気づけば顔中が涙で覆われていた。

 気持ちだけじゃなくて、全てが溢れている。


「でもさあ! 今まで酷いことたくさんしてきた僕が、今更好きになるなんて、許されないだろ! どの面下げて好きだって言えば良かったんだよ! だから昔のことを話して、嫌われようとしたのに……」


 立っていられなかった。

 ずるずるとその場にしゃがみこむ。


「ちくしょう……なんで、僕は……」

「内藤先輩……」


 詩織が僕の傍に寄ってくる。

 思わず見上げた――胸に抱き寄せられる。

 柔らかい感触が伝わる。暖かい。


「私、単純で馬鹿だから、上手く言えないですけど、先輩のこと好きになれて、本当に良かったと思います」

「……なんで、だよ」

「こんなに真剣に考えてくれて、こんなに真剣に好きになってくれた人、初めてでしたから」


 詩織は僕の頭を撫でる。

 それでいて、きつく抱きしめたりしなかった。


「私のために悩んでくれて、ありがとうございます」

「……うううう」

「大好きですよ、内藤先輩」


 僕は詩織の胸に抱かれて泣いた。

 だけど、いつもの寂寥感ではなく、安心感で泣けた。

 多分、生まれて初めてだった――



◆◇◆◇



「ありがとう。みっともないところ、見せたね」

「ううん。結構嬉しかったかもです」


 僕と詩織は並んで座っている。

 もうすぐ昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

 その前に言わないと――


「……あの、文月さん」

「なんですか?」

「僕、君のことが好きだ。だから付き合ってほしい」


 笑顔だった詩織が、驚いた顔になって、それから不満そうに口を尖らせた。

 な、何か悪かったのかな……


「もっと、ムードを作ってから言ってくださいよ」

「え、あ、その、ごめん……」

「初めて男の人に告白されたんですよ、私」


 どうしていいのか、分からなかった僕はとりあえず、詩織の手を握った。

 詩織は嫌がらずに握り返してくれた。


「……なんで握ったんですか?」

「握りたかったから……駄目かな?」

「ふふ。弱気な先輩、可愛いですね」


 どっちが年上なのか分からない。

 僕は落ち込んでしまった。


「やっぱり、駄目だよね……」

「駄目じゃないですよ」

「えっ? それは――」

「付き合いましょう。私も内藤先輩のこと、好きなんです」


 詩織は顔を真っ赤にしていたけど、僕も似たようなものだろう。熱を感じる。


「ふ、文月さん……」

「詩織って呼んでください。名前で呼ばれたいってずっと思っていたんです。その……彼氏には」


 僕が詩織を好きになったのはたくさん理由があるけど。

 その一つに彼女の笑顔が素敵だったことが挙げられる。

 今、彼女は僕の一番好きな表情になっている。


「――詩織。好きだ。大切にする」


 飾り気のないストレートな言葉。

 だけど僕の万感の想いを込めた、誠実な言葉。

 詩織に伝わってくれたら嬉しいと思って言った言葉。


 少しだけ目を見開いて。

 頬を赤く染めて、少し考えて。

 詩織は――はにかんでこう答えた。


「ええ。大切にしてくれないと、拗ねちゃいますから」

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