第四章 恋に落ちた暗殺者

第19話 標的は十五歳

 斧をにぎっていた僕の手が、プルプルと震えている。


「ハァ、ハァ、ハァ……」

「よし、これで終わりだ。ごくろうだった」

「お……お疲れ様でした」


 木こりとはなんて体力のいる仕事なんだろう。鍛えているからと自信を持って挑戦したけれど、思いあがりだった。

 同時に、鍛錬にはもってこいだと思った。これを続けたら、きっと――


「ずいぶんと真面目なんだな。ダグラスの息子にしては」

「――っ!」

「ほれ、金だ」


 ぶっきらぼうに投げられた小銭袋。中には数日をすごせるくらいのお金……顔に当てられても痛くはない。

 痛いとしたら心のほうだ。疲れきった体がますます重くなる。




 ダグラスの息子にしては。




 僕のこと誰かが評価するとき、どうしてもついてまわる言葉。


「ありがとうございます……」


 慣れている……そう、慣れたことじゃないか。くちびるを噛みながら自分に言い聞かせた。

 いつか必ず、言われない……言わせないほど立派になってみせる!




 帰り道が夕日で真っ赤に染まっていたが、沈みきるまでにはまだ少し余裕があった。

 涼しいそよ風にも踏んばりきれず、そのまま倒れこんでしまいそうなほどの疲労感をかかえたまま……どこまでやれるのか。挑戦しよう。




 すこし道から外れ、枯れ木と土ばかりの……僕だけの訓練場にやってきた。

 こんなところにやってくる人はいない。お手製の道具をたくさん置いてあるが、無くなったことなど一度もない。




 カカシに練習用の剣を打ちこむ。力が入らないにもかかわらず、その音がなかなかのものだった。

 再度、一連の動きをくりかえして分析してみる。


 足運びは地面をすべるように。そこから体の回転が無駄なく剣先へと運ばれ……カカシへ。

 剣を『振った』というよりは『空気のすきまに滑りこませた』感覚。

 さっきは見てなかったけれど、カカシの足元が大きく傾いていた。


「脱力ってやつなのかな……」


 手にかえってくる衝撃は大きくなかった。なのに音は大きい。音の源となる力……このほぼすべてがカカシに行き渡ったのだとしたら。


「これはすごい威力なんじゃないか……?」




 何度も同じ動作をくりかえしてコツを全身に染みこませる。意識しなくても、明日もできるように。何度も、何度も。

 そのうちに要領がわかってきたので『脱力しつつ全力』で一撃!


 するとカカシの胴がボキっと折れた。こんなことは今までになかったことだ。


 僕はいま、自分の限界を破った!

 充実感に任せて剣を天につきあげた。


「よし、この動きを『剣のつむじ風』と名付けよう!」


 さっきまでの暗い気持ちはすっかり吹き飛んでいた。

 この高揚をまだ冷ましたくなかった。


 よし、弓だ、弓の訓練もやろう。




 父さんは弓も得意だったと聞いている。

 狩りに出かけては百発百中の腕を発揮して、たくさんの部下に料理をふるまったとか。


「僕だって……!」


 木にくくりつけた的に狙いをさだめる。矢は十本。

 弓の弦がいつもの何倍も固い。だからこそ、力がもっとも伝わるところを使わざるを得なくなるのだろう。

 しなやかな手ごたえを指に感じた一点、背中の筋肉をつかって矢をひきしぼり……はなつ!


 的に描かれた『印』にみごと命中した。


 息をふぅー、と吐きだして大きく吸う。つづけて二発目。


 命中。


 三、四――


 命中。


 五、六、七、八――


 命中。


 九――


 命中……そして、十発目は――




「誰だ!」


 背中の方向、首にチリチリと感じる視線は気のせいではない。誰かいる。もしも悪意ある相手ならば、この矢をうちこむ!




「フム、なかなか鋭いじゃないか」


 陰から見ていたのは黒いローブに身をつつむ老人だった。彼は手のひらをこちらに向けながら言った。


「ワシはこのとおり丸腰だ。弓を下げたまえ」


 十本の指すべてに宝石のついた指輪がはめられていた。かなり裕福な人物なのだろう。

 ひとまず盗賊の類ではなさそうだ……危険はない。そう思って弓を降ろした。


「さきほどから見ていたぞ。すばらしい腕じゃないか。さすがはダグラスの息子だ」

「! 父を知っているのですか?」


 父さんの子として『さすが』なんて言われたことがない。言い知れぬ高揚感に、疲れがどこかへ吹き飛んでいく。




「よく知っているよ、トーマスくん。ククク……共にカランド公に仕えたころがなつかしいのう」

「カランド公……!?」


 それは、父が仕えた、主君の名。しかも僕の名前を知っているということは――!


「もしやあなた様は、ユンデ卿では!?」

「よく知っているのう。その通りだ」


 僕は反射的に膝をついた。かつて『剣のダグラス』と並び『賢のユンデ』と称されたお人が、こんなところに!


「そうとは知らず弓を向けるなど、とんだ無礼を。もうしわけありません!」

「苦しゅうない。むしろ、たゆまぬ『武』に感心したぞ……褒めてつかわす」

「あ、ありがとうございます!」




「……さて、わざわざここまで来た理由だが」


 ユンデ卿はこちらの目をのぞきこみ、僕が人生でもっとも待ち望んでいた言葉を口にしてくれた。


「トーマスくん、父ダグラスの汚名をすすぎ、かつての名家を再興したくはないか?」




「はい!!」


 最後まで聞き、返事をするまでがもどかしくてたまらなかった。

 ああ!

 なんども夢に見た、僕の生きる意味であり、すべて。


 二十年前から『乱心のダグラス』などと、悪の代名詞になってしまった父さん……何があったのかは詳しく知らない。わかっているのは――

 今、やれるのは僕だけという一点のみ。


「亡き両親にかわって、なんとしてもやりとげる悲願であります!」

「よくぞ言った!」


 肩をポンとたたかれた。

 僕の人生で何かが始まる。そう知らせる合図に思えてならなかった。




「単刀直入に言おう。ダグラスの仇をとるときが来た」

「父の仇でございますか……!?」

「とはいえ、その者はすでにこの世におらんがな」


 喉に冷たい刃をそっと当てられた。そう錯覚するほど絶望的な寒気。

 僕は再興こそが一番だと信じている。だけど、もし誰かが父さんをおとしめたのなら。そのせいで僕らの今があるのだとしたら。恨みがないといえばウソになる。





 目を閉じて、努めてゆっくりと息を吸った。おさえろ! 卿の前で感情的なふるまいをしてはみっともない。


 そもそも今の話が本当なら――

 

「この世にいないとなれば、『仇をとる』とは……どのように?」





「『やつ』には娘がいる。十五になったばかりの、一人娘がな」

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