第2話 初めての人助け

 声の方角へ向かうと二人の男が女性につきまとう光景が見えた。向かいには酒場がある。そこから出てきた客だろうか。


「いいじゃないか、一回でいいからつきあえ。俺とふとくてかたい人脈を作ろうじゃないか、なあ」

「何が一回や、おことわりやっちゅうねん!」

「おーいおいおい、さっきまで愛想よかったのにつれない女だな」

「オラこっちにこい!」


 男たちは酔っているようだ。上半身がフラついており、女性の腕を乱暴に引っ張っている。考えるより先に足が動いた。


「おやめなさい!」

 両者の間に立ち、男たちの顔をまっすぐに見据えた。


「ああ? なんだおまえは!? 邪魔するな!!」


 突然の横やりで手を離した男たちは、邪魔をされたとみるや歯をむき出しにして怒鳴ってきた。顔じゅうが炭火のような熱のこもった赤さだ。


「相手がいやがっているのです。どうか穏便に、このままお引き取り願えませんか?」


「うるさーい! 俺を誰だと思ってる、どいてろ!」


 突きとばそうとする手。右足を一歩さげて体をそらしかわす。相手は勢いあまってヨロヨロと壁に寄りかかる。この隙に女性の腕をとって走り出す。


「今です、さあこっちへ!」

「あっ! こら待て!」


 道が石畳でなくなるまで走っただろうか。建物はまばらになり、男たちの怒号も遠くなった。


「ふぅ……このくらい離れたら大丈夫でしょうか?」

「ちょ、ちょい待ち……ハァ、ハァ……アンタ、見かけのわりに体力あるな……」


 彼女はへとへとの様子だった。袖の長い華やかな衣装に長い髪、踊りに映えそうな女性だ。したたる汗が月の光をあびてきらめき、息をきらせていても艶やかな印象を持たせる。


「あ、すみません……私、夢中で走ってしまって……」

 騒ぎを聞いて駆けつけてから今にいたるまで、考えるより先に行動をとっていたことに気づいた。


「ハァハァ……ええって。助けてもろたんや……ハァ……ありがとうな」

「よかった」


 ほっと胸をなでおろす。結果として目の前の人間を助けられたのだ。さっそく小さな善行ができた気がした。


「お怪我はありませんか?」

「大丈夫や。ハァ……あいつら酒場からずっとからんできよって、しつこかったなぁ」

「だいぶ酔っていた様子でしたね。ところで、あなたも酒場から出てきたのですか? お酒のにおいはしないような……」


「ウチは旅芸人なんや。酒場で踊ったりしても、お酌や酒の相手はせえへん。まっ、そもそも十四歳で飲んだらアカンやろ?」

「ええっ!?」


 思わず声をあげた。


「年上の方かと思ってました」


「おっ、そう見えるか? まあ女一人、ナメられると商売にならんからな。化粧とか立ち姿とか、それなりに見えるよう工夫してん。その反応はウチの狙い通りや、すごいやろ! ……ふーん年上やったんか、人は見かけによらんなあ」


 こちらの顔を遠慮なくまじまじと見つめてくる。こんな視線を受けた経験がなく少し戸惑ったが、目をそらすと失礼だと思い見つめかえしながら言った。


「ええと、そのお年でこんな夜更けまで……尊敬します」

「へっ!? や、やめえや。くすぐったいわ」


 思わぬ反応だったのか、女性は首に手をあててもじもじしながらうつむいた。このしぐさはどことなく年相応さを感じさせた。


「そや、このあたりは確か……うん、間違いない。世話になってるおばちゃんの家の近くやし、あとは一人で帰れるわ。ほんまにありがとう。アンタも早く家に戻ったほうがええで」


「……あ」


 寝泊りのあてがない。


 出てくるばかりに気を取られて全く考えていなかった。だからといって城にもどるわけにはいかない。翌日も町を見て回りたかった。


「ええっと、私は……その、まだ帰る時間ではなくて」

「なんでやねん。もう帰るやろ普通」


「ふつう……そうですよね、ふつうなら帰るのですが……ええと、そう! 門限です! 門限を過ぎてしまったので、帰っても中に入れないのです。おほほほほ」

「開けてもらえばええやろ」


「ほほ……ほ……」


 何も言い返せなくなってしまった。泳ぐ視線がだんだん月にひきよせられる。なんだか苦笑されているように思えてきた。


「……ハァ、なんかワケありみたいやな。なら一緒に来るか?」

「よろしいのですか?」

「助けてもらった礼や。大家のおばちゃんええ人やし、一晩くらいなら大丈夫やろ」


 思いがけぬ提案! まさに渡りに船だった。彼女の手をとって両手で握りしめた。


「ちょっ――」

「ありがとうございます、うれしいです!」

「お……おう。どういたしまして」


 彼女はぱっと手を離しながらどかどかと大袈裟に歩き出した。


「ホラついてきーや! あと、その……なんや。ウチはヒノカっていうんや、よろしくな」




 城下町の郊外にぽつんと二階建ての家があった。夜も遅い時間だが明かりがついている。ヒノカは扉をノックしてから開けた。


「おばちゃん、帰ったで!」

「ヒノカちゃん! なかなか帰ってこないから心配してたんだよ」


 中年の婦人が駆け寄ってくる。大家とはこの婦人のことだろう。


「へへへ、今日が一番の稼ぎ時やったし、ちょっと張り切ってもうたわ」

「この子ったら。たくさん人がいればそのぶん変なのも出てくるし……本当に気を付けてね」


 ヒノカのことをよほど気にかけていたようだ。かける言葉の中に優しさを感じられた。


「うん、ありがとうなおばちゃん。で、一つ相談なんやけど……今夜はコイツも泊めてもええかな?」

「そりゃかまわないよ。あなた、お名前は?」

「はじめまして、ええと……」


 アンナ・ルル・ド・エルミタージュ。などと名乗るわけにはいかない。


「エルミーナと申します。よろしくお願いします。おほほほ」

「エルミーナちゃんね。今はヒノカちゃんしか泊まってないし気楽にしていいからね」

「よっしゃ決まりやな! おばちゃん、ありがとう!」

「おばさま、お世話になります」


 深々と頭を下げた。


「いいよいいよ。さあ、スープがあるからおあがりなさいな」


 初めて手に取る木製の食器。ふだん使っているものより軽くて分厚い。スープの味は……素材を生かしていると表現すべきだろうか。少々の野菜の苦み、それと薄いが塩の味がする。

 今まで口にした食事とはまるで違うせいか、美味かどうかを判断するのは難しかった。


「あー、夜風に当たった体が温まるで……」


 ヒノカはホッと息をつきながらスープを飲んでいる。それを見ていると……


「私もぽかぽかしてきました」

「アンタもわかるか、この良さっちゅうもんが」

「二人ともおおげさだねえ」


 このスープは忘れられない味になりそうだった。

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