第80話 思い上がり
昔は自分に自信が無い人間だった。
何をやっても愚図でのろまで。成績が良くないから評価もマイナス。それで散々言われたから、余計に自分は『何も出来ない人間なんだ』と思い込んでいた。
そのことについて否定してくれるような相手も無く、相談出来る人もいなかったため、自分はそう言うものなんだと自分自身で決めつけて、下を向いて生きてきた年数は随分と長い。もう一生、自分はこの泥のような暗闇の中から出られることは無いのだろうと。そうやって諦めてずっとずっと生きてきた。
そんな私にも転機というものはあったらしい。
それは一冊の自己啓発本と出会ったことが切っ掛け。
人生に悲観し、本格的に死を意識し始めた頃に書店で見つけたのがその本。店頭に平積みされているようなものでは無く、棚の隅に追いやられて申し訳程度に居座っていたこの本が、何故かとても気になってしまい、思わず手に取ってしまった。
この時点では当然買うつもりは無かった。しかし、ページを捲っている間に色んな思いが込み上げてきて、立ち読みは無理だと判断したところでレジに向かう事を決める。決して安い買い物では無かったが、この本との出会いがあったからこそ、今、こうやって『私』という存在が輝けているのだということは分かる。
それほどにまで、この本は私にとってかけがえのない一冊だった。
たった一冊の本で救われるなんて馬鹿げていると思う人もいるだろう。だが、この本のページを捲る度、私の中で燻っているモヤモヤがすーっと晴れていくような気がしてならない。
『無理をせず、弱い自分を認め、何事もマイナスと捉えずに、ポジティヴに考える。そうすれば薄暗い人生は、少しずつ好転し輝かしいものへと変わります』。
まるで魔法のような言葉に、落ち込んでしょぼくれていた私の心は大いに勇気づけられた。
長年培ったネガティヴな自分を受け入れる事は中々難しかったが、それでも、今のままではいけないと前を向き努力を続けた結果、私の人生は驚くほど変わったのだ。
気が付けば周りに人が自然と集まり、輪の中の中心には必ず私が居る。私の言葉にみんな耳を傾け、私の言う事に賛同し拍手を贈ってくれる。何も出来ない愚図な私が、漸く世の中に認められたんだ。そう思うと嬉しくて涙が溢れ出た。
それからは、毎日がとても楽しくて仕方なかった。
自分の居場所があるという事は、やはり嬉しいものだと再認識する事も多い。
誰かに必要とされることが、こんなにも喜ばしいことだと感じてしまう。だからこそ、もっと頑張らなきゃと思って努力を続けてきた。
その結果、微々たるものだが私にも、人に誇れる価値を生み出すことが出来るようになったのだ。
それを披露すれば、友人達は無条件で私の努力を称えてくれる。褒められると言うことがこんなにも心地良いなんて、幼少期の私に是非教えてあげたい。
何故なら今、私はこうして成功を掴み取ることが出来ている。世の中に、私という存在が認められたという事実が何よりも大事な事なのだ。
だが、世の中にはその成功を妬むものも存在していたりする。
私が世の中に認められるようになってから暫く経った頃からだろうか。少しずつ、嫌がらせを受けるようになってきた。
大きな被害というものは無いのだが、厭味を言われたり、伏せ字で文句を書き込まれたりすることが度々ある。
当然、私自身も人間なのだ。こういう事をされると精神的にキツイと感じるし、悲しくなって落ち込むのも当たり前。それでも、そういう相手に屈して泣き寝入りをするのは、私のプライドが許さない。頑張って掴み取った地位なのだ。これくらいで手放す訳にはいかなかった。
だからもっともっと、私は努力を重ねることにした。
私が頑張れば頑張るほど、周囲は私を応援し支えてくれる。
有り難いことに師事を仰ぐ声も頂けたりし、私も漸く人の上に立つ存在になることが出来たのかと喜びで涙が滲む。
私の経験が誰かの役に立つならば。そう思って惜しみなく私の技術を披露し教授した。それで得られる賞賛が、確かに私の心を満たしていったのは間違いない。
『あのさ。前から思ってたんだけど』
その一言が私の転落の序章曲。
『あんた、ちょっといい加減にした方が良いと思うよ』
それは、付き合いの長い大切な友人から告げられた言葉だった。
「どういうこと?」
突然何を言うのだろう。親友だと思っていた友人の呆れた顔から視線を逸らしながら、私は必死に考える。
「アンタ、ネット上で何て言われてるか知ってる?」
友人はそう言うと、携帯端末を操作しながらこう言葉を続けた。
「調子扱いてる嘘つき女。そう言われてるんだよ」
何故、友人がそんな風に言ってくるのかが分からない。私は何も嘘を吐いている訳では無いし、調子に乗っているつもりもない。
「……それって、妬んでる人の嫌がらせだよね?」
なるべく平常心を保ちながらそう問えば、友人は深い溜息を吐きながらこう答えた。
「実力に見合わない虚栄は、身を滅ぼす事に繋がるんだよ。思い上がりが行きすぎると、きっと破滅するだろうね」
私は再三忠告はしたよ。そう友人の目が物語る。
「自分が思っているよりも、周りの目は冷静で冷ややかってこと、アンタには分かんないんだろうね」
「…………」
「まぁ、だからこうやって、ぬるま湯のような状態に甘んじてるんだろうけど」
言い終わったタイミングで鳴った友人の携帯端末。ちょっとゴメンと一言断った後、彼女は私の事を放置して通話に応じてしまう。
彼女が電話をしている間、私は言われた言葉の意味をずっと考えていた。
自惚れている積もりなんてなかった。
何故なら、それ相応に努力を続けてきた結果が今という状態だから。
それなのに、目の前の友人は私のことを思い上がっていると突き放してしまう。
こんなのは知らない。こんな言葉は求めていない。握りしめた拳が小さく震え出すのを止められない。
「私、用事できたからもう帰るね。取りあえず、あんたはもっと周りの事を見た方が良いよ。これは私からのお節介。じゃあね」
通話を終えた友人は、一方的にそう告げ伝票を手に取る。
「ここは私が持ってあげる。まぁ、頑張れ」
彼女が私に背を向ける。最後にかけられた言葉は暖かい賞賛などではなく、感情の籠もらない淡泊なもの。それがとても悔しくて、悔しくて。咄嗟に手を伸ばし掴んだフォークを握りしめると、遠ざかる彼女に駆け寄り思いっきり突き立てる。
「きゃああっっ!!」
彼女は必死に抵抗するが、私はそれを許すことが出来ない。彼女に向かって何度も、何度も、鋭く尖った切っ先を振り下ろし彼女の衣服を真っ赤に染めていく。
「煩い、煩い、煩い、煩い」
滲む視界。昂ぶる感情。沸騰しそうな程の怒りが私を強く突き動かし、もう、止める事が出来なくなってしまっていた。
「煩い!! 黙れ!!」
私は居場所が欲しかった。
私を認めてくれる相手が欲しかった。
それが例え思い上がりで生温い夢だとしても、その暖かさに包まれていたかった。
突きつけられた現実は、私を容赦無く奈落の外へとたたき落とす。
結局私は、どう足掻いても光りの中を歩くことは出来ないのだろうか。
そう思うと、途端におかしくなり、私はただ、力なく笑うことしか出来なくなってしまったのだった。
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