第14話 インスマス
「さて、モーリス。首謀者のお前は、工場主のように楽には殺さない。銀行から借りた金や、魔石の密売で儲けた利益をどこに貯め込んでいるのか、洗いざらい話してもらう。私は拷問が嫌いだ。例え、相手が父上と兄上の仇でもな。しかし、やらなければならない。どういう手順がいいと思う? まず皮膚を焼けばいいのか? それとも爪を剥がそうか? 一切傷をつけずに、ただ痛みだけ与えるという魔法もあるぞ」
「金は……もうない……私を拷問しても無駄だ……」
「そうか。アリスデル、家令は口が重くて喋りにくいらしい。少しマッサージして軽くして差し上げろ」
「はーい」
アリスデルはひょいと腕に力を込めた。
椅子の脚が折れ、モーリスの体が床に投げ出される。それと同時に彼は、左肩を抑えてのたうち回る。
「あ、ごめんなさい。やりすぎちゃいましたね。新しい椅子、持ってきましょうか?」
「そのままでいいんじゃないか? もともと家令は、椅子がお嫌いな様子だったから」
セリカはモーリスを見下しながら、新しい画像を投影する。
「ほら。これも五年前のだ。お前のアカウントからの操作で、衛星警戒システムが解除されたとログに残っている。システムを解除した隙に、魔石をどこに打ち上げたんだ?」
するとモーリスが体を丸めながら、ブツブツとなにか呟きだした。
ようやく白状するのかと耳を澄ましたが、違う。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!」
とても人間の言語とは思えない。まるでこの宇宙そのものを冒涜するかの如き、名状しがたい響きだった。
「お前、なにを言っている!?」
セリカはモーリスの体に手をかけ、仰向けにした。
その腹にはナイフが突き刺さっていた。内臓がはみ出ているのに、自分自身で傷口を押し広げ続けている。
「いあ! いあ! くとぅるふ ふたぐん!」
刹那、目に見えないナニカがこの部屋に降り立った。
弾かれたようにセリカは後ろに飛び退く。
「マスター、この気配は……」
「ああ……規模は比べようもなく小さいが……間違いない。あのとき師匠を殺したのと同種だ!」
ナニカがモーリスに溶け込んでいく。
邪悪だ。
悪や善といった概念は場所や時代によって流転するが、これは絶対的な邪悪だと断言できる。
モーリスは起き上がった。
ナイフに腸が絡みつき、腹の中に引き込む。
顔の皮膚が溶け、人相がドロリと変わっていく。
皮膚が青い。首にエラのような溝が走る。
そして目が丸くなっていく。驚いて見開いたのとは明らかに違う。そもそも瞼が消えてしまった。コンパスで真円を描いたような、魚類のような、魂を感じない死んだ目だった。
変わったのは外見だけではない。
魔力が爆発的に膨れ上がった。これでは並の魔法師どころか、イグナイトの司令官ブリジットにさえ匹敵する。
「モーリス。お前『くとぅるふ』と唱えたな。その呪文は、その姿はなんだ。答えろ!」
「答える 必要は ない お前たちは ここで 死ぬのだから」
モーリスは腰を落として沈み込み、カエルが跳ねるような動作で加速した。
間抜けな恰好だが、笑えるものではない。なにせ床板が砕けるほどの力だったから。
彼の右腕がセリカに迫る。指の間に、水かきに似た膜ができていた。
セリカは左手で防御障壁を作り、それを防ぐ。と同時に、モーリスの心臓部に右手を添え、光の矢を放った。
光の矢は窓ガラスを破壊して空の彼方へ飛んで行く。
胸を貫かれたモーリスは、大の字になって床に倒れた。
普通なら即死する傷だ。なのに彼は、辛うじて息があった。
「いあ……いあ……くとぅるふ……ふたぐん…………」
最後にそう言い残し、ピクリとも動かなくなる。
邪悪な気配も消えた。
セリカとアリスデルは肩の力を抜く。そのとき初めて、自分たちの肩に力が入っていたと気づいた。
「なんだったんでしょう……? あのナイフ、魔力を強化する古代文明のアイテムとかでしょうか? クトゥルフとどんな関係が……」
「さあ、な。とにかく尋常ではない。この死体、保存して徹底的に調べる。横領された金などより、ずっと重要だ」
だが、それは不可能だった。
セリカとアリスデルが見ている中、死体は腐り、泡のように消えてしまった。
跡にはナイフさえ残っていなかった。
△
「……ほう。モーリスがインスマス・ナイフを使い、邪神の元へと召されたようだ。あの小心者にしてはもったいない死に様よ」
「そう言ってやるな。奴は十年に渡って、ヴォルフォード男爵領から資金を巻き上げた。それなりに役立ってくれたよ」
「それはそれとして、もっと大きな資金源はないものか。ヴォルフォード男爵領のような小さなエサ場をいくら用意しても、我らの大願成就は近づかぬぞ?」
「それですが、一つ心当たりがあります。セリカ・ヴォルフォードを婚約破棄したサイラスという王子……彼はなかなか邪悪な心を持っています。そのくせ小物のようだ。操り人形にするには最適な人物かと」
「なるほど。それを利用し、エルトミラ王国を乗っ取るとしようか。それでは諸君、祈りを捧げよう――」
闇の中で、その者たちは言葉を重ねる。
人間の言語とは思えぬ、冒涜的で名状しがたき響き。
「いあ! いあ! くとぅるふ ふたぐん! 我らダゴン教団に邪神の加護あれ!」
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