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「佐藤啓とデートをしろ?」

 唐突な提案に来栖美優は怪訝な顔をした。

 急に呼び止めてきた生徒会長、近衛環奈。激しい選挙戦を勝ち抜いた、稀にみる優秀な人物だと記憶していた人物であり、彼女から改まってされた頼み事。

 何事かと身がまえた美優であったが、生徒会室に連れられるころには十中八九、スカウトではないかと辺りを付けていた。

 美優は自他ともに認める学問に秀でた生徒だ。学年には同じように別のベクトルに秀でた三才という括りで噂されるほどには。そしてその中でも、生徒会のような運営、事務の業務に向いている能力を持っているのは自分だろうと。むしろ、それ以外に何か思い当たる節がなかった。特に問題行動を起こしたことも、校則を破ったつもりもないからだ。

 しかし、そんな予想と裏腹に環奈の口から出てきたのは、隣人とのデートだった。

「どういうことかしら?」

 問いかける美優。

 しかし、その内心には権力の濫用だとか何かしらの罠だとかいうマイナスな感情はなかった。むしろその逆。美優はその申し出を好都合とさえ捉えていた。

 何せ、美優は啓に対して好意を持っていた。しかし、明晰な頭脳を持っていても色恋については一介の女子高生。いや、それ以下のものしか持ち合わせていない。

 つまるところ、素直になれずに拗らせていたのだ。

 辛うじて隣人という立場や嫌がらせをするという最初の意思表明から会話の機会はつなぎとめているがそれも時間の問題だろう。席替えやクラス替えがあれば、きっと疎遠になってしまう。一年で解決できる目途すら立っていないのだ。

 だからこそ、デートを強制されるというのは願ってもいないチャンスに他ならなかった。

「いや何、啓とは幼馴染でね。けれども彼は、あんな感じだろう? だから老婆心ながらちょっと異性に対する免疫でもつけさせてあげようと思ってね」

「……もしかして、前々の呼び出しも」

「流石は察しがいいね。そうだよ。この前、猪川綾乃と一回目のデートを終えたところさ」

「猪川、綾乃……」

 スポーツ方面の三才、の一人だ。

「もしかして三才をあてがっているのかしら?」

「やっぱり気が付いたかな」

 美優の憶測に環奈はちろっと舌を出して肯定の意を示す。

「……随分な身分ね、佐藤啓は」

「ははは、そうだね」

「これは彼の指名なのかしら?」

 微かな怒りを込めて聞く。

 すると環奈はやや驚いたように目を見開いた。

「気になるのはそこなのか……けれども答えはいいえ、だね。三才は私のチョイスさ。まあ、ちょっとしたサービスだね」

「……そう」

 それを聞いてほっとする美優。

 ならば言うことは決まった。美優は環奈に向き直る。

「生徒会長さん」

「うん?」

「あなたの依頼は、佐藤啓が異性を克服すること、でいいのね?」

「別にトラウマとか負ってるわけじゃないけど、あれは一種の呪縛みたいなもんだから……まあそうだね。その認識で大丈夫だよ」

「その克服、とは具体的に彼女を作ること、としていいかしら?」

「ああ、それで間違いない」

「そう」

 環奈から確認するように聞いて美優は、再度咀嚼するように二つ頷く。

「ちなみに私の次はもう一人の三才、皆神さんに声をかけるつもりなのかしら?」

「そうだね。まだ声はかけてないけれど」

「そう。それなら好都合ね」

「え?」

「その皆神さんへの依頼は、しないで大丈夫よ」

「……それはどういうことかな?」

 美優の言葉に訝しげな表情を浮かべるのは環奈の番だった。

「だからこれ以上、別のデート紛いのことをして異性と触れ合わせる必要はない、と言ったのよ」

「……それを判断するのは君じゃないじゃないかな?」

「いいえ、私よ」

 環奈の言葉を美優ははっきりと否定する。


「何故なら、私が佐藤啓を落とすからよ」


「……はい?」

 美優の言葉を解するのに環奈には少しの時間を要した。

 おとす、オトス、落とす、堕とす、墜とす…………? いろいろな意味合いのある動詞だが、文脈的に判断するに恋愛的に、以外は当てはまりそうになかった。

「――っ! それはダメ!」

 美優の発言を理解して環奈は弾かれたように立ち上がった。声のボリュームの叫ぶような大きさだった。

「ダメ、とはどういうことかしら?」

 そして環奈の言葉に美優は問う。

 幼馴染が異性と上手く出来るか心配、で今回のようなことをしたのならば環奈に反対する理由はないはずだ。

 しかし、環奈は反対した。その様子からも何かしらの理由があることは美優にも分かった。だが、そのどんな理由かは分からない。

「一体、どうして私が佐藤啓と付き合うことに反対なのかしら?」

 続く言葉は無意識に高圧的になった。乙女の直感とでもいうのか、目の前の相手が敵だと分かったのだ。恋敵という名の敵であると。

「それは……」

 言い淀む環奈。

 自分が啓を好きだからと言うか。いや、できない。だとすれば、どうして三才とデートをさせることに至ったのか、裏側を言わねばならなくなる。そしてそうなれば、啓の昔の約束のことも話すことになる。それは出来なかった。

 環奈にとっては忌々しい約束でも、啓にとっては大切な思い出だ。それくらいは環奈も分かっている。だからそれを勝手に環奈から言うような真似は出来なかった。

「そう。何も言わないのね」

 少しの時間が経って美優が言う。

「だったら次の皆神さんへも声をかけるといいわ。佐藤啓を落とす云々の一幕はなかったことにしましょう。だから、くれぐれも当初の予定通りにしなさい。さもないと、分かるわね?」

 美優は一方的に告げると生徒会室を後にした。

「……ふう」

 少しして環奈は椅子に腰を下ろす。

「さもないと、分かるわね、とは。まったく困ったな……」

 環奈に分かったのは、ライバルに特大の塩を送ったこと。まさか練習台に選んだ相手の中に本命が混じっていたとは。

「けれども、啓の話まで聞かれなかったのは僥倖、いや情け、かな」

 もはや環奈にできることは啓を信じることだけだった。

 あんなにも邪魔だと感じていた約束の相手への想い。まさかそれが頼みの綱になるときが来ようとは。

 今となっては建前だったと言わざるを得ない、と環奈は思う。

 啓に対してしたこの提案は、約束に縛られて生涯を一人で終えることになるよりは、その相手が自分でなくても啓が誰かと恋愛できるようになれば、いやできると言うその証拠を見ることができればいいと思っていた。

 しかし、いざ啓を好きだという相手を目の前にすると、どうにも抑えきれない想いがある。

「…………あー、やっぱり嫌だな。啓が誰かと付き合っちゃうの」

 その呟きは誰にも届くことはなかった。

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