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ともあれ、今回は時間稼ぎなしで生徒会に向かう。
だが、生徒会室の前には先客がいた。
「あれ、佐藤くん、だっけ?」
向こうからこちらに気づいたようで声を掛けられる。疑問形なのは俺のことをはっきりと覚えていないからだろう。
「ああ、うん。あってる、あってる。それでここにいるってことは、もしかして猪川も生徒会に呼ばれた感じ?」
「う、うん。そう……ってことは佐藤くんが練習相手ってことかー。へえ、なんか意外かも」
「……え、意外? まあそうかもな、あははは……」
空笑いの前には、何のことか分からないけど、が隠れてるわけだが。
にしても、まさか本当に猪川綾乃が来るとは。放課後になったことだからバリバリ身体を動かしたいことだろうと思ったが、環奈のやつ、一体どんなトリックを使ったんだ?
なんて話している間に生徒会室の扉が開いた。
「なんだなんだ、来てるじゃないか」
中から顔を覗かせたのはもちろん、環奈。
「ささ、入って入って」
「あ、会長さん。失礼しまーす!」
そういう猪川に続いて俺の生徒会室へ入る。
今日も開けて貰っているのか、生徒会室には他の役員の姿は見当たらない。
「あれ、他の人はいないんですか?」
疑問に思ったのか猪川が問う。
「うん。彼らには外してもらっているよ」
「俺が前来た時もだけど、生徒会ってもしかして暇なのか?」
猪川の問いに答える環奈に、俺も質問する。
「うわ、佐藤くん、失礼……」
猪川から半眼を向けられる。
あ、確かに環奈といつも通りに話してしまった。俺と環奈が知り合いと知らない猪川からしたら変に見えるか。大人しいクラスでの印象も相まって。
「おほん。暇か、と言われたら、私以外の役員の前ではそういう旨の発言をしないことをオススメする、とだけ言っておくよ」
「……なるほどっす」
一応、語尾にっすを付ける。敬語風だ。
そして、生徒会が暇ではないことだけでなく、会長が仕事を押し付けてる可能性まで分かってしまった。ブラック生徒会である。
「あー、またやってる」
と口を開いたのは猪川。あ、余計な事を。
「うん? また、というのは?」
そして環奈も食い付くんじゃない。
「実は佐藤くん、この前、先生との会話で何々っす、っていう体育会系の敬語を使って注意されてたんですよ」
「へえ、そんなことがあったのか、啓」
猪川の告げ口に、生温かい目を向けて来る環奈。露骨にいじってきやがる。
「いや、あれは――」
「――啓?」
俺が反論しようとしたその時、訝し気な声を上げたのが猪川だった。
「会長、今、佐藤くんのことを下の名前で……」
バレた! 猪川の言葉に緊張が走る。
いや、別にやましいことがあるわけじゃないし、バレたところで別にいい事ではあるが。しかし、落ち着かない。例えるならば、そうだ。友達に母親がどんな風なのかバレる感覚に似てる。
「もしかして佐藤くんと会長って」
「ああ、猪川、実はな……」
何か誤魔化そうと口を開く。しかし、所詮は見切り発車。続く言葉は皆無だった。そして、ちらりと環奈の顔を見るが、特に焦りの類は見えない、いつも通りだった。確かに隠すことでもないのだが、これが男と女の感性の違いか、或いは年上の側だからか。
「――付き合ってたりします?」
という猪川の問い。
予想してなかった方向の答えに一瞬、理解が遅れる。
「いやい――」
「はい」
否定しようとした俺の横から環奈が肯定。
「いやおい!」
「……は。すまない私は何を」
我に返る環奈。
「やっぱり!」
しかし、一方で盛大に納得する猪川。
「いや違うんだ、猪川! 誤解だ」
「もう、佐藤くんたら結構隅に置けないんだから。クラスでは片隅にいるのに」
「お?」
即座に訂正しようとするが、その前に今、喧嘩売られた?
「大丈夫。私、言いふらしたりしなから。にしても、佐藤くんと会長が。へえ、へえ」
と、全く信頼できない前置きと冷やかしの視線で俺と環奈を交互に見る猪川。ああ、めんどくさい!
「ちょっとお前からもなんか言ってくれ!」
「あ、ああ、そうだな。えっと、猪川さん。私と啓は、別に付き合っては……付き合っては……駄目だ。これ以上、私には否定できない!」
頭を抱えだす環奈。
「ええ!」
驚く俺は、同時に猪川の目が一層輝くのも確認する。鼠を見かけた猫の目だ! 恰好の獲物として見つかってしまった!
「……あのな、猪川。俺と生徒会長の関係性はな」
「おおっ!」
改まった俺の口調に目を輝かせる猪川。見様によっては照れくさがっていた彼氏が吹っ切れたようにも見えるのだろう。だが、そんな事実はどこにもないのである。まあただ、誤解されっぱなしというのもまずいから、幼馴染なだけという関係性を明かすだけのだが気恥ずかしさという面では、カップル宣言と似たようなものだ。
「……昔からの知り合いで、いわゆる幼馴染とか腐れ縁ってやつだよ」
「……はぇ?」
グラデーションで目の光が失せる猪川。期待外れなことはいったが、残念ながらそれが事実だ。
「ま、まあ、そうなんだ……うん」
ギギギ、と猪川が視線を向けた先で環奈も気まずげながら肯定する。良かった、ここでも返事を渋られたらさらに話がこじれるところだった。
「ホントに?」
猪川は疑り深いことにさらに問う。それに俺と環奈は揃って首を縦に振る。
「はぁ……」
乾いた溜息を一つ、下を向く猪川。
そんなにもショックなのか。けれども、これは俺と環奈が付き合っていなかったことが、というよりは面白そうなスキャンダルがなかったことに対するものなのだろう。学園一のアスリートと言われるようにいつもスポーツの事ばかり考えてるのだろうと思ったが、こういう部分は普通の女子高校生だ。色恋沙汰には興味があるのだろう。
「まあそうでなくては、こんなこと頼まないだろう?」
「……ああ、まあ確かに、そうですね」
力なく環奈の言葉に同意する猪川。
「こんなこと?」
「そうそう。会長さんから知り合いを異性に慣れさせて欲しいって頼まれっちゃってね」
問いに答えたのは猪川だった。
「ああ、そういうことか」
なるほど、三才に対してどんなトリックを使ったかと思えば、ストレートにお願いと来たか。
「啓と猪川さんはクラスメイトなんだよね? だったら分かると思うけど啓はこんな感じでね、このままじゃ華の高校生活が灰色で終わってしまうと思ってね。それはほっとけないだろう。啓を昔から知るお姉さんとして、ね」
ここぞとばかりにお姉さんぶる環奈。話を合わせろと背中を小突かれる。
「まあ、確かにこんな感じじゃ彼女なんて夢のまた夢ですからね」
そして、うんうんと頷く猪川。
うんうん。君、ちょくちょく喧嘩売ってくるよね? ナチュラルに。
「ま、まあな。そうなんだよ……」
しかし、苛立ちは表に出さずに話を合わせる。俺だってそれくらいの空気は読める。
「それに猪川さんなら、啓みたいな異性への免疫がない男でも安心できる。変なのに引っかかる心配がないからね」
「いやー、信頼されてますね」
不意に、環奈が猪川の肩を組み、俺に背を向ける。
「もちろんだとも。――大丈夫だよね?」
「あ、はい。……会長さん、なんか怖い?」
「怖い? まさかまさか。さて、それじゃあ、後は若い者たちに任せて、邪魔者は去るとしますか!」
と、猪川と何か小声で会話した環奈は、流れるように生徒会室から出ていく。
「とりあえず今日のうちにデートの日にちは最低限決めてくれ。決まった後はざっくりと内容とか話しつつ親睦を掴めてくれ。それでは今から一時間。この扉は決して開かないからよろしく!」
「はあ?」
俺の抗議も虚しく、一方的にそう言った環奈は外へ。しかし、影はそのまま扉の前に待機。まさかの人力で扉を抑えるらしい。……まあ、鍵は内側付きだし仕方がないか。
「……なんかやけに強引だな、環奈ねえ」
つか、デートまでするのか。全く予想してなかったわけじゃないけど。
こうなった環奈は何を言っても無駄、かどうかは分からない。何しろ、今回の三才云々の他に例がないのだ。環奈こうも俺を振り回すことなど。そう。俺の知る環奈はもっと大人というか、いつもどこか一歩引いていて、あんまり我儘を言うようなタイプじゃないというか。だからと言って流されるわけじゃないが、自分の主張はなるべく自分一人の労力で抑えられる範囲に留めている人だ。
だからこそ、それほどまでに環奈が本気であるとも思うし、俺としても一度、受け入れたことだ。可能な限り環奈のお膳立てには乗っかって行こうと思う。
「……へえ、環奈ねえ、って呼ぶんだ。会長のこと」
と、この状況を受け入れたらしい猪川は俺をからかうように言う。
「あー、癖みたいなもんだ、これ。環奈ねえの前ではそう呼ぶように言われててな」
声に出す時は無意識的に環奈『ねえ』、と付けてしまう。言うなれば敬称のようなものなのである。
「なんか、ごめんな。猪川もこれに関しちゃ完全に巻き込まれだもんな……」
「気にしないで全然平気。会長さんから頼まれちゃったからね」
そう笑う猪川。
「けど、デートだぞ、デート? 頼まれたくらいで……もしかして何か弱みでも握られてるのか?」
「いやそんな悪人じゃないんだから。単純に性分なだけだよ……頼まれたら断れない」
「……いい奴なんだな、猪川」
素直にそう思った。さっきまでの無礼を帳消しにしてやってもいいくらいだ。
「へっ? い、いやそんなんじゃないって!」
だが、猪川は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後、あたふたと手を振って否定する。つい口から出た言葉にそんなに動揺するとは。
「そ、そんなことよりもデートの予定たてましょ! それをしないと帰らせてもらえないんでしょ?」
話題を変えるように猪川は言った。
「ま、まあそうだな」
実際、猪川が嫌ならなかったことにして無理やり帰ってもいいが、猪川も協力的な以上、俺が流れの首を折ることはない。
ともあれ、ここに来てようやく椅子を持ち出して座る。
「それで、何か案とかあるわけ?」
「……いやこれとっては全く」
「サイテー、あり得ない。やる気あんの?」
いや、やる気もなにも……って、そうか。猪川には俺が女子と慣れるために、っていう名目だったな。
「佐藤が女の子の扱い方を学びたいなら、私はそのコーチをするつもりでやるからね!」
とふんす、と鼻息荒く付け加える猪川。
「お、おう。悪い」
謝りつつ、それならばとデートの案を考えてみる。
遊園地とか、映画館みたいな定番は案外、中身がフワフワしているし、遊園地は高校生の懐事情的にもそこそこのウェイトだ。出せないことはなくとも、何が悲しくてこの組み合わせで感は否めない。一方で映画にしては特に俺が観たいものは思い当たらない。猪川の方にあるのなら別だが。
そもそも定番デートプランというのは好き同士、或いは片方の好きがあって成り立つのだ。双方に好意がない今回のケースでは定番から考えるのは方向性が違うかもしれない。それならばむしろ、友人との遊びのスポット、か。
「……グランドワン、とか?」
総合アミューズメント施設、グランドワン。
学生だけでなく家族連れでも楽しめるスポットで、ゲームセンターやカラオケ、ボーリングの他にも、アーチェリーやバッティンセンター、ビリヤードにさらには卓球やバドミントンなどの屋内スポーツなどがなんと一棟の中に集約されている。
まあ、目的がないのなら、これ以上に出来ることが集まっているスポットは他にないだろう。ちょうど、最寄り駅の近くにも一軒、あるし。
「なるほど。まあ無難かもね」
「よっし」
「よし、って。無難としか言ってないけど」
とつい小さくガッツポーズをした俺に猪川から冷ややかな視線が飛ぶ。
「その無難っていうハードルが結構高いんだよ」
「そういうもの? まあいいや。じゃあ行先は決まりね。次に日程は?」
興味なさげに猪川は先に進める。
ふむ。デートの予定を立ててるとは思えない味気のなさだ。意中の相手でもなければこんなものなのか。
して、日程か。ぶっちゃけると早めに終わらせたいから今週末か? いや、待てよ。土日にするということはそれだけデート時間が伸びるということだ。放課後だって立派なデートだし、学校のある日に設定すればそれだけで半日稼げる。
けど、それでこっちから学校のある日を指定したらどうなる思うだろうか? やはりデートなら、休みの日、一日か? くそ、猪川はどっちのつもりなんだ。いや、待てよ? そもそも猪川はそんなに暇なのか? 俺は暇だが、猪川は何種目ものスポーツを掛け持ちする人気者だ。学校の無い日は練習で立て込んでいるのではなかろうか?
「……猪川はいつ空いてるんだ? 俺は基本暇だけどさ」
結果、取った選択は相手に委ねる。
だが、これはこれでナイスな選択じゃなかろうか。
「なるほどなるほど。相手の予定に合わせる紳士だね」
そう分析して見せる猪川。けれども、悲しいことにただの事実です。
「まあ有難く甘えさせてもらうけど、もっと強引に決めてくれても乙女心的にはいいかも」
「……なるほどなー」
乙女心、というワードと猪川とのミスマッチさに吹き出しそうになるがなんとか堪える。その代わりに感情の無い相槌を打った。……意外とノリノリだな、猪川のやつ。
「それじゃあね……えっと、どっか空いてる日は」
と、猪川は書き込みでボロボロになった手帳を取り出して考える。
物凄い手帳だ。俺も高校受験に当たり、塾の講師から勉強時間とか予定を付けてみたら、と言われ以来、その名残で今も鞄に忍ばせているが、日の目を見ることなんて週に一遍あればいい方で、授業で宿題が出たり、テストや行事を記入するくらいだ。いや、俺なんかは特に少ない人種ではあるが、それでも一介の高校生が抱えるキャパシティとしても猪川の手帳はおかしい。中を見てないから、実は書き込みは落書きでした、なんてオチはあるかもしれないが。
「お、ちょうど今週の土曜日、空いてる!」
予定の空きを見つけたらしい猪川。しかし、俺の意識は猪川の言葉ではなく、不意に見えた手帳の表紙に釘付けになっていた。
『スケット手帳』
書き込みで膨れたであろう手帳の表紙にあった文字。
「あれ、聞いてる? 土曜日なんだけど大丈夫?」
「……ん? あ、ああ。大丈夫、だけど猪川、それ」
聞かずにはいられなかった。
「スケット手帳、ってそれもしかして全部、頼まれたことの予定表、か?」
「え? う、うん。そうだけど」
あっけらかんと頷く猪川。
話しながら思う。そういえば猪川ってどんなスポーツでもできるオールマイティーなアスリートってイメージだけど、専心している競技ってなんだ?
「あ、もしかして女の子なのに手帳がぼろいってこと。お恥ずかしいっ! 確かにそうなんだよね。すぐにこうなっちゃって。まあ、それだけ人気者ですからね。マネージャーが欲しいくらいで……って、大丈夫? なんか深刻な顔してるけど……」
耳には見当違いな弁解をする猪川の声が届いていた。しかし、どこか遠い。それほど俺は考えていた。猪川に対するある仮説を。
「……猪川ってさ、もしかして実は運動するの嫌いだったりする?」
すなわち、猪川は頼まれたら断れない性格なのではないか。
運動は得意なだけで、けれども好きではない。ただ、頼まれたから断れずにやっているのでは? だとしたらそれは……。
「いや、そんなことないけど?」
しかし、これまたけろっと猪川は言う。
「身体動かすの私、大好き」
それどころか表情をふにゃっと蕩けさせる。
正直、その表情は違う場所で違うものに対して向けて欲しかったというくらいのデレ顔だった、というのはともかく、俺の思考は止まる。
「だ、だよな」
思考が止まる、というよりはさっきまでが動きすぎていた。だから、今は冷静になっただけ。
考え過ぎだった。猪川が頼まれた断れない性格で、それでしたくもないことをさせられて、苦しんでいるなんて。
けど、いきなり高校生らしからぬウェイトの詰め込まれた手帳を目の前にしたらそう誤解もするだろう。そうだ、誰にでも起こり得る間違いだ。いや、仮に普通はそこまで思い至らなかったとしても、それは俺の推理力は人よりも優れていただけの話だ。というか、何よりもまだ一つ質問しただけで、猪川とて俺が何を思っていたかまでは分かっていまい。
「……大丈夫? なんか汗、すごくない?」
「いいや、全然! それじゃ、土曜日に決まりな。で、時間は? 集合時間とか希望はある?」
早口でまくしたてる。オタク特有のものではなく焦りを誤魔化すための早口である。
「え、ああ、それじゃあ十時に改札口にしよっか」
「分かった。それで行こう……うん」
本当ならば頭を抱えて転げまわったり、床に頭を打ち付けたりしてのたうち回りたかったがなんとか抑えて取り繕う。まあ、本当ならばって言っても実際にしたいわけじゃないけど。それだけ恥ずかしいってだけだ。
だが、話も決めなきゃいけない部分はこれで終わり。誤魔化すために進んできた話のレールは無くなり、新たな話題を投じなければ、必然的に辿り着くのは沈黙だ。
「ていうか、もしかしなくても土曜日って明日か?」
幸いなことにまだ会話を続けられる話題は俺の中にあった。
いや、ふと思ったことだが、これって案外、由々しきことじゃないか?
「うん? そうだけど。あっさり決まったの意外だったけど、やっぱりなんか用事あった?」
「いや、それはない、けど……」
急展開というか、心の準備というか。
「けど?」
言葉尻を盗むようにして猪川が問いかける。
けれども、猪川が平然としている以上、俺の方からそんな女々しい事は言えないわけで。それくらいの男としての矜持は持ち合わせているわけで。
「……いや、なんでも。楽しみだなって!」
「そんな大げさな……って言えることでもないのか。佐藤にとっては」
わざとらしく後半を強調する猪川。
それは異性と気軽に遊びに行ったりすることがないことを揶揄しているだろうが、残念ながら格が違う。
「そうなんだよな。家族以外の誰かと出かけることがないからな」
「……あー、そっちも。やっぱり格が違うわ、佐藤」
「うん。他人から言われるとちょっとへこむから止めて」
なんてその後軽く雑談をして、その日は解散した。デートをその翌日に控えて。
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