13 

 朝が握り飯だったせいか、経木きょうぎを開くと見慣れぬ物体が鎮座していた。

「懐かしいな。お偉いさんが良く食ってたやつだぜ」

 とむはふんふんと鼻を近づけると、そのまま全部食べてしまいそうな勢いだった。

「食うか」

 手で気泡の多いはんぺんのようなそれをつかむと、とむの鼻先に近づけた。

「うへっ、毒入りだ」

 文句を言いながら挟まれた野菜だけをぺっぺと吐き捨てて、とむはしぶしぶ私の昼飯を食べた。

「猫とは相性の悪い野菜ですが人体には影響はありません。ねぎの一種ですから。ちなみに昨夜出されたニラも私共の体には悪影響がございます」

 毒入りと言う言葉に身構えた私を見て、ふらんそわが説明をした。

「なるほどな。今後はとむに飯一つ分けるにも、色々考えなけりゃならん訳だ」

「ご配慮を頂ければ幸甚こうじんでございます」

 ふらんそわは昼食を食べてきたようで、私たちのそばに座って日光浴をしていた。


 私は気泡の多いはんぺんのようなものをえいやっと押し込んだ。

 はんぺんのようなもので挟まれたかすかな辛みのする野菜と、塩の利いた燻製の鮭の香りが口中を満たす。

「これは何という食べ物なんだ」

 二つ目に手を付けるそぶりも見せずに前足を舐めているとむに聞いてみた。

「サンドウィッチだよ。自分で作るにゃ手間がかかるから俺みたいな独り者の船乗りにゃ縁が無い食い物さ。お偉いさんの分は船の賄いが作ってくれるがな」

 さんどうぃっち、さんどうぃっちと耳慣れない言葉を繰り返して私は二個目のさんどうぃっちに取り掛かった。

 二個目にはつぶしたゆで卵が入っていた。


「そう言えば今日は両方当てたぞ」

「何をだよ」

 どろんとした目を私に向けながらとむが尋ねた。

「衣服の色は上下水色、今日は握り飯ではなくきるけえの故郷の軽食」

 とむに朝告げた言葉を私は繰り返した。

「どうするよフランソワ。おまけで正解にしてやるか」

 いきなり会話の輪に誘われたフランソワは一瞬ぎょっとしたような顔をしたが、いつもの真面目そうな表情に戻った。

「すこしおまけが過ぎやしませんか」

「でも似たような食べ物はあっちにもあっただろう」

「パン類に具を挟む食べ方自体は珍しいものではないでしょうが」

「じゃあ正解な」

 とむは深く考え事をしないので、あっさりと私の答えを正解にした。


「そう言えば、きるけえの故郷の島とはどのあたりなのだ。とむの故郷はいんぐらんどでふらんそわの故郷はしゃんぱーにゅなのだろう。きるけえが言うには、ここよりはるか西の小島と言っていたが」

 ふらんそわととむが同じタイミングで答えた。

「エーゲ海沿岸」

「ローマ沖」

 そうかと納得しかかった私を横目に、二頭の獣はお互いの答えに疑問を呈した。

「ローマ沖じゃねえのか。あの辺りで潜水艦がいかれちまったからよう」

「しかしキルケ様はギリシア神話に逸話が残されているではありませんか。となればエーゲ海あたりではありませんか。ローマ沖ならキルケ様がおられた島はアドリア海に位置する事に」

「でもお前だってローマ沖で時化しけにやられたんだろ」

「確かにローマ沖もギリシア神話の地域内に入るのかもしれませんが」

 納得いかなそうな顔で黙り込んだふらんそわを横目に、とむは大きくあくびをして横になった。


「この後はまた墓場歩きを日暮れまで続けるんだろ。せいぜい頑張りな」

 確かにあの幽鬼のような歩き方は、墓場歩きと言われるとぴったりと来る。

「面倒だ。どうして普通に操舵そうだできるような設計にしなかったんだ」

 私はとむに言っても仕方がないと思いつつも、不平をこぼした。

「そりゃよ、あの船が『パイケーエス式』だからに決まってるじゃねえか」

「だからぱいけーえす式って何だ。ここでの暮らしは耳慣れない言葉ばかりで頭がおかしくなりそうだ」

 私はいらいらとしながら、乱暴に空になった経木きょうぎを丸めた。

 もし私がこの瞬間に猫型に変化したら、とむのようにいらだちでしっぽを何度も岩場に打ち付けていることだろう。


「パイケーエス式っつのはよ、パイケーエス人から採った名前なんだよ。オデュッセウスって男が四十数人の手下どもと一緒に、昔キルケが住んでいた島に来たって話を覚えているか」

 私は水筒の水を飲みながらうなずいた。

海豚いるかの坊さんの話によれば、オデュッセウスは元々よその国の王様だった。キルケの元を去った後も何だかんだとひどい目に遭いながらも何十年越しに国に帰るんだが、いよいよ帰るって時に乗った船がパイケーエス人が漕ぐ船だったんだ」

「そのぱいけーえす人とやらの操舵そうだ法があれって事か」

「当時からパイケーエス人の漕ぐ船は勝手に進んで目的地に安全に着くってんで、大評判だったらしい」


 私たちのような目に遭う者は珍しいだろうが、それでなくても船旅は危険との戦いだ。

 勝手に進んで目的地に安全に着くなどと言う船があれば、誰でもそれを手に入れたいに違いない。

 だが、あの操舵法はぱいけーえす人だったからこそ可能だったのではないか。

 それでなければ海豚いるかの顔の男のように、人間離れした能力を持つまで訓練した者でなければ到底無理だろう。

 気の遠くなるような訓練から逃げ出したくなった私は、深いため息をついた。


「だから全身にチップを入れたんだろ。俺たちが今頼れるのはニヘイさんだけなんだからしっかりしてくれよ」

 がっくりと肩を落とす私を影が覆った。

「良い脱力です。その調子で行きましょう」

 海豚いるかの顔をした男が私を迎えに来た。


 日が傾くまでうんざりするような訓練を行い、迎えに来たふらんそわに連れられて館の自室に戻った。

 とむは寝台の真ん中に伸びたまま私をちらりと見た。

「もう、駄目かも」

 ぼすっと音を立ててとむの横に座った私は、頭を抱えて深いため息をついた。

「どうしたんだよ急に。嫁さんと子供に会うんだろ」

「それが、どうしても妻の顔がきるけえの顔にすり替わるんだ」

「大方術でも掛けられてるんだろ。水はちゃんと飲んでるのか。解呪の呪文は唱えているのか」

「教えられた通りにやっているつもりなんだが、どうにも……」

 私は頭を抱えたまま、再度妻の顔を思い起こそうとした。

 だが輪郭があやふやににじんだかと思うと、きるけえのはにかんだような顔と、私の肩口に寄せる髪の匂いばかりがくっきりと浮かび上がった。

「駄目だ、やっぱり妻の顔がきるけえの顔に書き換わる」

 とむがぐわっと牙をむき出しにあくびをした。


「子供の顔は分かるんだろ」

「赤ん坊だったから今ではどの位育ったやら」

「そうよな。ここでの一日が元の世界のどのぐらいの日数かが判らねえと話にならんが、時間の流れがいびつだってんだからどうにもならねえや」

「その件なんだが、法主ほっす様は何か言っていなかったか」

法主ほっす様って堅苦しい呼び名はやめてくれ。あんなのは海豚いるかの坊さんで十分だ」

 しかめつらをしながら前足で顔を洗うと、とむは全身を弓なりにそらせた。


「坊さんから俺が聞いたのは、この間説明したのが全てだ。俺に言わせれば、時間の流れがいびつなら、結果には原因ありきって常識が通用しないだろ。だから何を考えても無駄だと思うことにした」

 私は、因果律が働かない世界に放り出されたと言う訳か。

 どうりて、神の普遍性と因果律の対極にあるわがまま放題のいしゅたるが我が物顔で神を名乗れるはずだ。

 私はとむの言葉に妙な説得力を覚えた。


「いしゅたるはここは死の世界と思えばそうなり生の続きだと思えばそうなる世界だと言っていた。ならば、自分にとって都合の良い時間の流れだと思えばそうなる可能性があると思わないか」

 名案だと自分では思ったが、とむの反応は冷ややかだった。

「人間暇だとロクな事を考えねえや。眠くなるまで墓場歩きでもしてきたらどうだ」

「そんな事をしたらきるけえに構われる」

「いっそ構われたらどうだよ」

 面倒くさそうにとむが吐き捨てた。


「きるけえに体を許すなって、水神様も法主様もとむも言っただろ」

「そうだけどよ。正直、吐き出すものを貯めこみすぎてりゃ余計におかしくなるばかりだろ。一度で獣にならなかったフランソワって手本もあるわけだし」

「今のところは獣になる危険を冒してまで欲に呑まれている訳じゃない」

「それじゃ海でエイと仲良くなっておく事だ。彼女らは七つの海を渡る船乗りの恋人だからな」

「冗談じゃないぞ。私は人間だ」

 私は憮然としながらため息をついた。

「エイが嫌ならくそったれ女以外に相手はいねえからな。猫やウサギの侍女達は手の出しようがないしつれないぜ」

「出したのか」

 私はぎょっとしてとむを二度見した。

「俺じゃねえよ。今じゃもぐらになっちまった漁師のおっさんが、給仕の猫の侍女に手を出しかけてな。ありゃひどいもんだった。顔面をずたぼろに引っかかれた上にその場でもぐらにされて中庭に放り投げられた。もぐらは明るい所にいられないから地面にもぐっちまってそれきり姿を見てねえけどな」

 とむはぶるっと毛を逆立てた。


「うさぎの女工さんもひどいもんだった」

 工場で機織りをしている彼女たちの姿を私は思い起こした。

「春先になると海岸でわかめやのりの刈り入れを皆でするんだ。ちょうど刈り入れをしたわかめをせっせと干している時に、全裸の男が波間から現れた。何を思ったか奇声を上げながらわかめを干している女工さんたちの方に突進して」

「それでその男はどうなったんだ」

 私は思わず身を乗り出した。

「うさぎは足は速いし脚力が凄いだろ。若い女工さんを逃がして、おかみさん達が輪になって全裸の男を蹴り倒してな」

 足をすっぽりと隠す長い履物で目立たないが、確かに元がうさぎなら脚は相当強いだろう。

「俺が知る限り、あの男はくそったれ女の心を奪わなかったたった一人の男だった」

「そりゃ全裸でいきなり女の群れに突入するなぞ正気の沙汰じゃなし」

「いやいやそうでなく。くそったれ女の目につく前に蹴られ続けて、な」

 とむは、『我らの罪を許したまへ』と言って私を見た。

「ああ、そう言う事か。そりゃ災難だったと言うべきか、この島でずっと過ごし続けずに済んである種救われたと言うべきか」

「まあどちらが本人にとっての救いだったかは分からねえけどよ。ニヘイさんは脱出するために墓場歩きも人体改造もやってるんだ。そんなに諦めたような事を言うな」

 とむが珍しく優し気な声で告げた。

「その通りだが、私はこう見えて短気なんだ」

「知ってた」

 とむは一言返答すると丸くなって寝始めた。



 墓場歩きを数時間続けた私は、ひとたび湯船につかると力が抜けて立つのもやっとの状態になった。

 ひのきの湯船に腕を引っかけたままぼんやりと天井を見るが、小刻みに太ももが震えて膝の関節が悲鳴を上げている。

 私はこんなに体が弱かったか。

 商人として下船して陸路を何里も歩く事など日常茶飯事だったし、小一時間ぐらいは蹲踞そんきょの姿勢を取る事もあった。

 ここに来てから太陽の昇り沈みは五日も無いが、私の体の反応からすれば何年も怠惰な生活をしているような体の衰えぶりである。


「旦那さま、お加減はいかがですか」

 湯屋の外からきるけえの声がしたかと思うと、音もなくきるけえが湯船にすべりこんできた。

「随分お疲れではないですか」

 言うや、きるけえは全身を私に絡めつけてきた。

「いきなりどうしたと言うのです。もっと時間を掛けてから、互いの事をゆっくり」

 私の言葉の語尾は、きるけえの唇に吸い取られてしまった。

「わたくしは言葉で思いを伝えるのが不得手なのです」

 私の答えも聞かず、きるけえは再び私の唇をふさいだ。

 それでなくとも妻の顔がきるけえの顔に書き換わるぐらい、私の脳裏はきるけえに侵されていると言うのに、このままではきるけえの手管に今度こそ負けそうだ――。

 私は全身を蛸のように絡めて来るきるけえからのがれようと身じろぎした。

「いっそ、拒むなら冷たく拒んでくださいませ。旦那さまは誰よりお優しく、誰より残酷なお方です」

 いつもの、どこか商売めいたたおやかな口調ではなかった。

 切羽詰まった響きに私はおや、と思った。

「互いの事を分かろうにも、旦那さまは直ぐに館を出られて夜になるまで戻ってこない。戻ってきたかと思えばヤマネコとずっと一緒で直ぐに部屋でお休みに」

 私の胸板に顔をうずめたきるけえは、くぐもった声で不平を漏らした。

「分かり合う気などないくせに。いつだって旦那さまはするりとはぐらかすだけ」

 胸板から顔を上げたきるけえと目が合った。

 黒真珠の瞳が涙の膜でにじんでいた。


 ああ、いけない――。

 私はきるけえに乗っ取られまいと、私を見据える黒真珠の瞳から目線をそらした。

「旦那さま、もし旦那さまが永遠とわにこの地におられるのだとしても、わたくしを愛していただくわけにはいかないのですか。妻子とは、永遠に会えないのだとしても忘れる訳にはいかないものなのですか」

 私は、そっときるけえの背に右手を回した。

 劣情からではない。

 父も母も知らず、呪いを掛けられ気の遠くなる年月を独り孤島で暮らしてきたこの妖女に、少しばかりの慈しみを不意に与えたくなってしまったのだ。

「旦那さま――」

 胸板に、きるけえのくぐもった泣き声が響いた。

「私に出来るのは、ここまでです。これでどうか、お許しください」

「旦那様は、残酷です。どこまでもお優しいのに、わたくしを受け入れてはくださらない」

「あなたが憎いわけではないのです。ただ……」

「イシュタルの呪いさえ無ければ、殿方を獣にしてしまわなければ、旦那さまはわたくしを」

 顔を上げたきるけえの目は、すこしだけ腫れていた。

「もし呪いが無ければ、あなたが私を欲する事はなかったでしょう」

 きるけえはきつくきつく私を抱きしめると、私の両の足をさすって何事かつぶやいた。

 一瞬で足の痛みが消えた私を残して、きるけえは静かに湯屋を後にした。



 魔法のように足の痛みが消えた私は、自分の体を鏡で確認しようとしてある事実を思い起こした。

「そう言えば、この館には鏡がなかった」

 ふらんそわの前で指摘した際に、お気づきになりましたかと小声でつぶやいたのを私は聞き逃していなかった。

「鏡があっては不味い理由があるのか」

 私の頭は久方ぶりに鋭く働き始めた。

 鏡それ自体が無いだけでなく、窓の類もほぼ小さく、半透明の物や模様で彩られて顔全体が映らない物が殆どだ。

 例外と言えば中庭に面した大広間の窓と、私のいる寝室の明り取り窓ぐらいだ。

 しかし大広間の窓は日が暮れると布で覆われるし、明り取りの窓は全身を映すには細すぎる。

 きるけえは毎日趣向を凝らした衣服を着ているのだから、その衣服を仕立てる際には鏡を使っているはずだ。

 工場の紡績棟に行けば鏡はあるのだろうか。

 しかし女が鏡を見ずに、どうして毎朝髪を結う事も出来ようか。

 いびつな愛情なれど男を愛している女が、自分の容貌に無頓着でいられるものだろうか――。

「きるけえは囚われの男に鏡を使われたくないのだ」

 私ははやる気持ちで湯船から飛び出した。


 いても立ってもいられなくなった私は、体をぬぐうのもそこそこに寝室のとむの元へと走った。

「眠いんだよ」

 体をゆさゆさと揺さぶると、とむは明らかに不機嫌な声を上げて寝台から飛び降りた。

「なあ、もしかしたら皆人間に戻れるかもしれない」

「何だって?」

 とむがぴくりと耳をひくつかせた。

「鏡だ。この館には鏡がない」

「それがどうしたんだよ」

「だからな。ふらんそわに鏡がないって言ったら小声で『お気づきになられましたか』ってぼそっとつぶやいたんだ」

「ならフランソワに話を聞くのが先だぜ」

 私が扉を開けると、とむは太ましい脚で廊下を蹴って一階へと駆け下りた。


「おい、フランソワ。話があるんだちょっと顔貸せよ」

 食堂前の廊下で、とむがきるけえのそばにいるふらんそわに声を掛けた。

「なあ、獣体同士の会話はきるけえには聞こえないのか」

 私の想念は筒抜けらしいのに、あっけらかんとふらんそわを呼ぶとむの姿に私は思わず問いかけた。

「人体と発語形態自体が違うからな」

 怪訝そうな表情を隠すことなく食堂の外に出てきたふらんそわに、とむは開口一番に尋ねた。

「なあ、鏡の秘密を知ってるんだろ」

「鏡の秘密?」

 ふらんそわは何を言っているのか心底分からない様子で、困惑したように私ととむを交互に見た。

「ニヘイさんが鏡がない事に気が付いた時、何て言ったよ」

 とむはガラの悪そうなうなり声で、態勢を低くした。

 これではまるで喧嘩か素浪人の言いがかりだ。

「とむ、もう少し順を追って話した方が」

「ニヘイさんは黙って飯でも食って来いよ」

 すっかり気が立っているらしいとむに食堂に追いやられると、きるけえがにこやかに私を出迎えた。


「ご飯は良いのかしら」

 二頭の獣をきるけえは心配げに見やった。

「腹が空けば食べに来るでしょう」

 彼らの会話に水を差されては困るので、私はさっさと席についた。

 今日は随分と変わった料理だった。箸すら無い。

「いつものまかないさんの代わりに、工場の賄いさんが作ったのです」

 工場の賄いさんがが光沢のある深い大皿を運んできた。

 勧進相撲かんじんずもうに出てくる全身が弾力に満ちた球のような大男で、見たことも無い極彩色の鳥の顔が特徴的だった。

 どんと音を立てて置かれた皿の中には赤色の変わり飯が一杯に盛られていた。

「この館に詰めている方以外は工場辺りに住んでおられるのですか」

「ええ。旦那さまが通われている工場の奥に、皆さまの住まいがあるのです」

 給金はいくらかと聞きかけて、きるけえは暮らしを立てると言う言葉の意味も知らなかったぐらいだからただ働きなのだろうと思い直す。

 給金をもらった所で娯楽も金の使い所もないのだから、金はこの島においては何の意味も成さないのではあるが。


「あら、ご飯にしましょうか」

 重大な話を終えて食堂に入ってきたふらんそわととむを見て、きるけえはぽんと手を叩く。

 猫の耳を持つ給仕は慣れたもので、きるけえの足元にふらんそわの飯を、暖炉の前にとむの飯を置いて立ち去った。

「食うか」

 とむに蒸した里芋とほぐした魚を持っていく。

「ありがとよ」

 とむは大きな牙を見せながらうまそうに食いつき始めた。


「こちらは香草の風味が強いですからお気に召されるか」

 光沢のある深い銀器に盛られた赤色の変わり飯は、きるけえの呪いの薬草でも入っているのではないかと言うほど強い芳香を放っていた。

 給仕が平たい皿に取り分けたそれを私は恐る恐る口に入れた。

 きるけえが初日に出した粥以上に表現のしようもない味だった。

 舌がわずかに痺れてきた。

 

 自身の皿を空にしたとむが物欲しそうな目で赤色の変わり飯をじっと見ていた。

「これが好きなのよね」

 きるけえは赤色の変わり飯の上に置かれた鶏の直火焼きを指さした。

「これはとむの体には良くないだろ」

「俺は人間だって言ってるだろ」

 とむが不服そうに唸るので、私は赤色の変わり飯に鶏の直火焼きを片手一杯分取り分けてとむにやった。


「この旨さが分からないとは人生半分損してるぜ」

 人生半分どころかもはやちっぷとやらを入れられて改造人間化しつつある私は、損も何もあったものではない。

 きるけえは赤色の変わり飯に困惑する私を見かねたのか、猫の給仕を呼んだ。

 私用に、蒸した里芋と味噌だれが置かれた。

「変わり飯の大皿を見ろ」

 里芋をつついていた私は、不意にとむの声を拾った。

 はっとした私と、ふらんそわが一声吠えて立ち上がったのはほぼ同時だった。


「どうしたの」

 立ち上がったふらんそわにしがみつかれたきるけえは、子供をあやすようにその背を撫でた。

 猫の耳を持つ給仕はまだ飯を終えていないと言うのに、そそくさと変わり飯の大皿を下げていった。

 確かに、銀製の大皿は鏡ほどではないが周囲を映し出していた。

 私は自分の仮説が正しい事を確信した。

 しかしこのまま頭を働かせれば、きるけえに私の考えが丸分かりになってしまう。

「ごちそうさまでした」

 私はそれだけ言うと、駄々っ子のようにしがみつくふらんそわをあやすきるけえをそのままにしてそそくさと部屋を出た。


「あの野郎邪魔しやがった」

 寝室に入るなりとむが忌々し気に毒づいた。

「ふらんそわの事か」

「それ以外に誰がいるんだっての。今すぐ海豚いるかの坊さんに連絡を取れよ」

 とむは片目を閉じて私に提案した。

「どうやって」

 私は真っ暗な中工場まで行き来すればきるけえに怪しまれると思い、気が乗らなかった。

「チップが入ってるだろ。呼べよ、坊さんをよ」

 ちっぷがあれば何でも出来ると誤解しているんじゃないのかとうんざりしている私の背後から、不意に聞きなれた声がした。

「お呼びになりましたね」

 空中であぐらをかいた状態で、海豚いるかの顔をした男が漂っていた。

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