第7話 彼シャツを使った、たった一つの冴えた解消方法(火野栞視点)
今日の分の動画は撮り終わった。
編集は私がやることになった。
巧に任せておくと、モザイクやピー音などの編集が甘くなりそうだったからだ。
動画は酷い出来だった。
巧が浮気紛いなことをしたせいで、台本よりも余計に怒ってしまった。
私の暴言をカットしないといけない。
後ろ手で鍵を閉めると上着を脱ぐ。
ほとんど下着姿になって、リラックス状態になる。
スマホで音楽を流すのは、万が一にも、巧に独り言を聴かれたくないからだ。
椅子に掛けてあった服を鼻に近づける。
巧が今日着ていた服で、キスマークがついているやつだ。
「女の香水の匂いがする」
キスマークだけじゃなく、香水まで服につけるなんて許せない。
ギルティだ。
こんなマーキング、私に対する牽制を疑ってしまう。
本当はもっと巧のことを問い詰めたかったのだが、そうなると泥棒猫の思う壺だ。
必死に怒りを抑えた。
だけど、服を洗濯しただけじゃ、私の気は収まらない。
そもそもこの服をもう一度巧に着せたくない。
「捨てよう」
袋に入れてクローゼットに仕舞う。
この部屋に、まず巧は入らない。
ゴミ収集日までここに隠すことはできるが、ゴミ出しの時に見つからないようにしないと。
何で捨てるのかを質問された時に、上手い言い訳が思いつかない。
服がなくなることを、巧は気が付かない。
洗濯は私の担当だし、実際、巧の服をちょくちょく失敬しているのだが、少し疑問に思うぐらいだ。
どこ行ったか知らない?
と、質問されるぐらいで、その質問が来るタイミングで、そっと巧のクローゼットに服を戻しているので、何の問題もない。
「最低の気分……」
こんな気分になった時は、私なりのストレス解消をするに限る。
クローゼットの男物を物色する。
何十着かあってパンツもあるが、今日はシャツの気分だ。
シャツで落ち込んだ分は、シャツで取り返す。
匂いを残すために、シャツにかけていたビニール袋を取っ払う。
そして、無地の抱き枕に着せてあげるのだ。
バフン、とベッドに仰向けになると、シャツを着せた抱き枕の形が変わるぐらい、ギュッと全身で抱きしめる。
ほとんど下着姿で抱きしめるのがポイントだ。
手足の肌面積が多いほど、直に柔らかさを感じることができる。
そして、クンクンと匂いを嗅ぐのだ。
「はあ、癒される……」
最高のストレス解消法だ。
この特別な抱き枕を抱いていると、嫌な気分が吹き飛ぶ。
本当だったら本人を抱きしめたいけど、そんなことできない。
私達は別れてしまったのだ。
「なんで、こんなことになっちゃったんだろう」
同棲してから歯車が狂いだしたのだ。
慣れない共同生活と、違い過ぎる二人の生活習慣。
すれ違いが起きても、動画内では仲がいい振りをしなくてはいけない。
動画とプライベートとのギャップに、壊れてしまった。
巧から別れようと言われた時。
私は涙を流した。
嫌だ、捨てないで、と叫びたかった。
でも、お互いに疲れていたし、巧は一度こう決めたら揺るがない。
言った本人が一番傷ついていた。
それが分かったから、私は別れを承諾した。
でも、私が認めたのは別れることまでだ。
ぽっと出の女に、巧は渡せない。
動画の相方は私だ。
私が一番、巧のことを知っていて、そして巧の隣にいていいのは私だけなんだ。
それだけは誰にも譲らない。
彼の前じゃ、素直になれない。
だけど、今は一人だから本心を呟こう。
彼シャツを身に纏った抱き枕に対して。
「私。巧のこと、世界で一番好きだよ」
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