第10話 招待


「あれは、ハワード・キーツです!」


 ジリアンの声に真っ先に反応したのは皇帝だった。同時に、ハワード・キーツが変身を解いてニヤリと笑う。


「貴様ぁ!!」


 皇帝が両腕を広げると、漆黒のモヤがブワリと湧き上がった。黒いモヤはズズズと不気味な音を立てながら形を成し、皇帝の背に大きな翼が生える。コウモリのそれとよく似ているが違う。指の部分が禍々しく隆起し、飛膜には黒々と光る鱗が見える。


 翼が一閃。


 同時に、無数の黒い刃がハワード・キーツに襲いかかった。


 ──キンッ、キキンッ!


 だが、それらは見えない壁に遮られてしまう。その向こうで、ハワードが妖しく笑っている。


「精霊の魔法か……」


 皇帝が唸った。ハワードは複数の精霊と契約を結んでいることが分かっている。


炎の巨人ムスペル族の裏切りも、オルギットを謹慎させて私やテオバルトと引き離すことが目的だったのか」

「さあ、どうかな?」

「オルギットに何をした……!」

「ああ、彼女なら……」


 ハワードがパチンと指を鳴らした。同時に、ジリアンの背筋に悪寒が走る。


 ──バリンッ!


 ハワードの背後で大窓が割れて、そこから赤い肌の巨人がのそりと宴会場に入ってきた。


「オルギット!」


 皇帝が呼ぶが、オルギットは答えなかった。代わりに、虚ろな瞳で虚空を見つめている。


「『死者たちの王女ヘカテー』の魔法!」


 テオバルトの叫びに、ハワードがニタリと笑った。


「父親の裏切りの真相を教えてやるといったら、のこのこ後宮の外に出てきてくれたよ。かわいそうに。結局、何も知らないまま死んでしまったが」


 再び、宴会場の中を炎の渦が走った。


「オルギット以外の炎の巨人ムスペル族は死者ではないようだな」

「そう。彼らは、私の同盟者」

「同盟者?」

「私と彼らの目的が一致したんだよ」


 魔族の兵が炎の巨人ムスペル族に相対するが、かなり苦戦しているのが見える。海上でジリアンを襲った族長のカシロと比べ物にならないほど、強力な炎を操っているのだ。


「その目的のために、『黒い魔法石リトゥリートゥス』を?」


 ここを襲撃している炎の巨人ムスペル族は、『黒い魔法石リトゥリートゥス』によって、その力を底上げしているらしい。


「ええ。族長のカシロだけは『黒い魔法石リトゥリートゥス』を使うことを拒否したので、早々に退場願ったが。今頃は、私の仲間が始末しているところだろう」

「カシロをどう言いくるめた?」

「簡単だよ。皇帝はジリアン・マクリーンを皇后にするつもりだと教えてやった。そうすれば、いずれオルギットは後宮を追放されるだろう、と」

「貴様……!」


 皇帝の背中から、怒りの気配が沸き立つ。ジリアンの身体がビリビリと震え、思わず後退ってしまうほどの感情の渦が迸る。


「さあ、無駄な問答はこれくらいにしよう。あまり長居はできそうにない」


 宴会場の端で、炎の巨人ムスペル族が一人倒されるのが見えた。『黒い魔法石リトゥリートゥス』を使っているとはいえ、ここは皇帝の宮殿。戦力の差によって、徐々に苦しくなっていくのは彼らの方だ。


「貴様の目的はなんだ?」

「もちろん、私のジリアンを迎えに来たんだよ」


 ハワードがうっとりと微笑んで、ジリアンの方を見た。テオバルトがジリアンを背の後ろに隠すが、ハワードはその様子すらも楽しんでいるように見える。


「ふふふふ。こんなところまで私を追いかけてきてくれるだなんて。相思相愛だな」

「気持ち悪い」


 心底嬉しそうな様子のハワードに、ジリアンは思わず吐き捨てるように言った。


「ああ! 最高だよ、ジリアン・マクリーン!」


 だというのに、ハワードはさらに相好を崩して悦に入っている。


「最悪だわ……」


 テオバルトがジリアンの肩をぎゅっと抱いた。


「私から離れないで」

「ええ」


 ジリアンもテオバルトの腕をしかと握る。二人の前には、黒い翼を広げた皇帝が立ちはだかった。その様子を見て、ハワードの眉がピクリと動く。


「ふむ。王子にマルコシアスの小僧に、今度は魔族の皇帝……。相変わらずの悪女ぶりだな、ジリアン・マクリーン」


 ジリっと、ハワードが動いた。

 再び皇帝の翼から黒い刃が放たれ、同時にジリアンも水魔法を練り上げる。


 刹那。


「無駄無駄!」


 ジリアンのすぐ耳元で、ハワードが笑った。


「え⁉」


 驚く間もなく、ジリアンの腕をハワードが掴んだ。


「貴様!」


 テオバルトが振り返るよりも早く、ハワードがジリアンの腕を引く。次の瞬間には、ジリアンとハワードは割れた大窓のすぐ側にいた。


「何をしたの⁉」

「少々、ズルを」

「ズル?」

「『死者の国』から、お越しいただいたのですよ」


 そう言って笑ったハワードの額には、不思議な紋章が浮かび上がっていた。


「『バティン』の能力だ!」


 皇帝が叫ぶ。


「貴様、まさか『死者の国』から呼び出したのか!」


 『バティン』に『死者の国』、聞いたことのない言葉の連続に驚くジリアンを尻目に、ハワードが笑った。


「くくく。実に滑稽だな、皇帝よ」


 皇帝が目を見開いていて、その様子にハワードがさらに声を立てて笑う。皇帝は何かに気づいたのだ。そして、それをハワードが嘲笑っている。


「全て、ことだよ、皇帝陛下。無駄な抵抗はやめたまえ」

「どういうことなの⁉」


 ジリアンの叫ぶような問いかけに、ハワードはニコリと笑うだけで答えなかった。


「君の存在だけが予定外だよ、ジリアン・マクリーン」

「え?」

「だから、特別にご招待いただいたんだ」

「招待?」


 ハワードの榛色の瞳がドロリと歪み、同時にジリアンの周囲の景色もドロドロと溶けるように形を変えはじめた。


「くっ」


 逃げなければと身を捩ったジリアンの身体を、ハワードが羽交い締めにした。


「貴い方の招待にはきちんと応じなければいけないよ、ジリアン」

「いったい、なんなの……!」


 もがくジリアンには構わず、周囲の景色がぐるぐると渦巻いていく。


「さあ、行こう。……『死者の国』へ!」


 その言葉を合図に、ジリアンの意識がブツンと途切れた──。





 * * *





 時を同じくして、ルズベリー王国でも異変が起こっていた。


「全ての城門を閉じろ!」

「騎士の配置を急げ!」


 王城では怒号が行き交い、官僚が大慌てで逃げ惑い、騎士たちが剣を手に走っている。


「なんで、こんなことに……!」


 城壁の上で、アレンは思わず叫んだ。

 王城の西側には、首都ハンプソムを南北に割るように敷かれている大通りがある。今、その大通りを魔法騎士の軍勢が埋め尽くしている。

 旗印は4つ。チェンバース、ウォーベック、アルバーン、そしてマクリーン。


 4つの魔法騎士団が、今まさに王城に攻めかかろうとしているのだ。


「アレン!」

「兄上!」


 王太子であるジェラルドと、第2王子であるマルコムも城壁の上に上がってきた。


「マルコム!」


 ジェラルドがマルコムの胸ぐらを掴む。アレンはそれを止めることはしなかった。なぜなら、この状況に至った経緯を知っているとすれば、それはマルコムだけだからだ。


「いったい、何が起こっているんだ!」


 ジェラルドの叫びに、マルコムは顔色を青くしてブルブルと震えている。


「全て、ことなんだ」

「予定……?」

「誰も逆らうことはできない」

「いったい、何を言っているんだ?」


 マルコムは何かに怯えている。それが目の前の軍勢に対する恐怖でないことは明らかだ。もっと未知の、強大な何かに怯えているように見える。



「『死者の国』から、彼らが来る……!」



 マルコムが叫び、それと同時に西の空に真っ黒な雲が迫ってきた。


「なんだ⁉」


 アレンが目を凝らして西の空を見ると、真っ黒な雲がモクモクと勢いを増しながら大きくなっていく。その向こうでバチバチと音を立てて稲光が走る。


「何が起こっているんだ……⁉」


 その叫び声に、応える者はいなかった──。

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