第26話 求婚
「ジリアン・マクリーン嬢、どうか私と結婚してください」
答えあぐねて戸惑うジリアンに、テオバルトは苦笑いを浮かべた。
「お返事をいただけませんか?」
テオバルトが指輪を差し出したままの姿勢で問う。その姿に、ジリアンの胸がギュッと締め付けられた。
『恋ですよ』
そう言って、アレンへの恋心に気付かせてくれた夜も、彼はこうしてジリアンの前に
「……ごめんなさい」
ジリアンの小さな声は、それでも確かに届いていた。テオバルトは少しばかり眉を下げてから、スッと立ち上がる。
「フラれた男の恨み言を、少しだけ聞いていただけますか?」
テオバルトはジリアンの返事を聞かないまま、背を向けた。
「初めは、打算でした。『
開け放った窓からそよそよと入り込む風で、テオバルトの黒髪が揺れている。
「それなのに、あなたの剣と魔法に。そして、あなたの人となりに、すっかり魅せられてしまった。この国の人々があなたに心酔する理由が、すぐにわかったのです。……恋をせずにはいられないのですよ。自分自身を犠牲にしてでも人のために働こうとする姿は、本当に美しい」
一息で言ってから、テオバルトが振り返った。
「あなたは『
翡翠の瞳が、ジリアンを見つめている。
「あの時、この石が共鳴を起こしました」
テオバルトが胸元の『
「そして、私はあなたのことを思い出したのです。『
ジリアンが神秘の扉に至った時、共鳴を起こした『
「私は国に戻って、この石の謎を解き明かします。……あなたのために」
真摯に見つめられて、ジリアンの胸が温かくなった。けれど、それはアレンに対して感じるようなときめきとは違う。
「ありがとう。でも、それは私のためではなく、魔法の進歩のために」
ジリアンが言うと、テオバルトの眉がまた下がった。
(ごめんなさい。傷つけて)
ジリアンには、心の中で謝ることしかできない。謝罪を口にする権利はないのだ。傷つけると分かっていて言っているのだから。
「私がそばに居れば役に立てます。私が、必ずあなたを守ります。ですから、どうか……私と共に生きてください」
「その時が来たら考えるわ」
「あなたは魔族の血を引いています。いつか、この国で居場所を失うかもしれませんよ」
さらに言い募ったテオバルトに、それでもジリアンは首を横に振った。
「それも、その時に考えるわ」
ジリアンは居場所を失う。いずれ、その時は来るだろう。
「でも、それまでは、ここで生きていくわ。……大切な人がいるから」
「……彼は、自分の気持に従わない。あなたの気持ちに応えてはくれませんよ?」
アレンのことだ。彼が覚悟を決めたことを、テオバルトも気付いていたのだ。
「そうね」
「それでも、彼を愛している?」
「ええ。……あなたが気付かせてくれた気持ちを、ずっと大切にしたいわ」
ジリアンの答えにテオバルトの瞳が揺れる。彼にはその切なさが、痛いほどわかるのだ。
「……待っています」
テオバルトは再び背を向けて言った。
「卑怯だと言ってくれても構いません。私は、その時が来て、あなたが居場所を失うのを待っています」
「テオバルト……」
「そうすれば、あなたは私のところに来てくれますよね?」
背を向けているので、彼がどんな表情をしているのかジリアンには分からなかった。ただ、切なく震える声だけが、ジリアンの胸を締め付けた。
「これは、その証に置いていきます」
テオバルトは扉の脇のチェストに、そっと翡翠の指輪を置いた。
「では」
去っていく背中に、かける言葉は思い浮かばなかった。
* * *
さらにその二日後。
主だった貴族たちが王宮の会議室に集められた。
「一連の事件について、すべて
静まり返る中、国王が告げた。その表情には、隠しきれない怒りが見える。
楕円の大きな机の上座には、国王と三人の王子、そして外交官と補佐であるテオバルトが座っていた。その隣から、爵位の順に高位貴族がずらりと並んでいる。ジリアンはマクリーン侯爵の隣に席を設けられていた。
「昨年のオニール男爵と
続けたのは王太子だった。書類を読み上げるように、次々と告げていく。
「その後、『
すでに
「そして、ジリアン・マクリーン嬢の誘拐事件。これには、明らかに魔族が関わっている。我々には未知の魔法を使われたのだ。そして、先日の事件だ。これらは全て、『再び戦争を起こすこと』を目的として企てられた」
──バンッ!
王太子が手元の書類を机に叩きつけた。
「我々は、これらの事件に関わった者を徹底的に追求する。そして、しかるべき罰を与える。……我々が心から望み、そして手に入れた平和の時代を壊そうとしているのだ。決して、許さない」
会議室の中から、拍手が起こった。主に国王派の貴族たちだ。特に年配の……戦争を知る世代から大きな拍手が送られる。
「そして、この件について魔大陸の皇帝と改めて協定を結ぶことが決まった」
その言葉に、王太子の隣に座っていた外交官とテオバルトが頷いた。
「マルコシアス侯爵の助けを借りて、決して破ることの出来ない魔法の誓約を結んだ。我々は手を取り合い、再び戦争を起こそうと企む者たちと徹底的に戦うことを、ここに宣言する!」
『
「続いて……」
王太子が別の書類を手に取った。
「先日の事件について、我々は辛くも
『月を動かした英雄』、それは事件翌日の新聞の大見出しだ。ジリアンの顔写真と共に掲載されたその見出しは、この数日で国中に広がった。
視線がジリアンに集まって、ジリアンはたじろいだ。正式な場で、こんな風に自分のことが取り
「ジリアン・マクリーン嬢!」
「は、はい!」
呼ばれて、慌てて返事をして立ち上がった。
国王と三人の王子たちも立ち上がってジリアンの方を見ている。
「そなたの機転と勇気により、多くの命が守られた。そして、この国が救われた。心からの感謝を」
国王が告げて、王子たちと共に頭を下げた。前代未聞のことである。つまり、ジリアンがしたことは、それ程のことだったということだ。
静まり返る会議室の中で、真っ先に拍手したのはチェンバース公爵だった。大蔵卿を務める人、すなわち貴族の筆頭である。それを見た他の貴族たちも拍手でジリアンを讃えた。
ジリアンは曖昧に微笑みながらも、淑女らしくおじぎをした。
「ジリアン・マクリーン嬢には、シュマルド勲章を授ける。改めて、盛大に授与式を行おうではないか」
(国いちばんのレディに、また一つ近づけたかしら)
心のなかで呟いて、マクリーン侯爵の顔を窺った。嬉しそうに微笑んで、口だけを動かして「おめでとう」と告げる侯爵。ジリアンは、その言葉が何よりも嬉しかった。
その後は細々とした対応が話し合われた。
* * *
数時間に及んだ会議の後、改めて話をと呼び出されたジリアンは、国王と二人きりで向き合うことになった。国王の執務室で、柔らかいソファに座ってお茶を勧められた。もちろん、緊張で口を付ける気にはなれないが。
「改めて、礼を言う」
「そんな……」
「君がいなければ、この国は危機に瀕していたことは言うまでもない。まさに、英雄だ」
国王が手元の新聞を広げた。
「『月を動かした英雄』か……。よい見出しだな。勲章にも、この言葉を刻むことにしよう」
ジリアンは恐縮して肩を縮こまらせた。
「さて。……本題に入ろうかの」
国王が座ったまま身を乗り出した。
「そなたには、勲章とは別に褒美をやりたい」
「褒美、ですか?」
「そうじゃ。そなたの働きに報いたい」
「いいえ、勲章だけで十分です」
シュマルド勲章は、ルズベリー王国で最も権威のある勲章だ。それを受章できるだけで、ジリアンには望外のこと。これ以上に望むものなどない。
「ふむ。とはいえ、そなたに褒美をやりたいというのは、わしだけの望みでもない」
国王がニヤリと笑った。
「そなたに褒美をやりたいのは、王太子なのだ」
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