第17話 死者たちの女王


「『金属働者職人精霊』!」


 薄笑いを浮かべたスチュアート・ディズリーの手元で火花が舞うと同時に、テオバルトが叫んだ。彼が生み出した鉄の壁の向こうで、バラのアーチが燃え上がる。


「剣を!」


 さらに煙の中から二本の剣が生み出される。ジリアンとアレンは慌ててその剣を受け取った。こんな時でなければ、れとながめてしまうほどに美しい剣だ。


「ふむ。『金属働者職人精霊』とは、稀少きしょうな精霊と契約を結んでいるようだ」


 スチュアートがニタリと笑った。


「では、私の魔法もお見せしよう」


 両手を顔の高さまで持ち上げたスチュアート。下に向けた指が、蜘蛛くもの足のように怪しくうごめく。

 その直後、ジリアンの頭上で何かが光った。


(新手!)


 ──キンッ!


 振り下ろされた刃を受け止めた。その持ち主を見たジリアンは、驚愕きょうがくのあまり動けなくなってしまった。


「ケリー!?」


 ソフィーの世話をする、メイドのケリーだ。他の令嬢の侍女と同じように、控室で夜会が終わるのを待っているはず。

 その彼女が、ジリアンに攻撃を仕掛けてきたのだ。


「どうして!?」


 ジリアンは、慌てて剣を弾いて距離をとろうとしたが、


「きゃっ!」


 クリノリンに足を取られて身体がよろけた。それを支えたのはテオバルトだった。アレンが二人の前に躍り出て剣を構える。


「酷い死臭だ」


 ジリアンの肩を支えたまま、テオバルトが自身の鼻を押さえた。その悪臭には、ジリアンも気付いていた


(ケリーの身体から……!)


 黒いメイド服に身を包んだケリーの身体は、ダラリと力を失くしていて。それなのに確かに剣を構えている。赤黒いドロリとした涙を流す瞳は光を失ったままあらぬ方を向いていて。身の毛がよだつような不自然さに、ジリアンの全身が震えた。


「……死んでいるの?」


 ジリアンが震える声で問いかけると、スチュアートが再びニタリと笑った。


「私が契約している精霊『死者たちの王女ヘカテー』の魔法だよ。面白いだろう?」


 ジリアンの頭に、カッと血が上った。


「許さない!」


 ジリアンは素早く水魔法を練り上げて、一気に放出した。同時に温度を下げて巨大な氷を生成する。


 ──バリン!


 間髪入れずにスチュアートに襲いかかった氷の塊は、ケリーの剣であっけなく砕かれてしまった。その剣が熱を帯びている。


「ふふふ。『死者たちの王女ヘカテー』の魔法は、生前の力をそのまま使わせることができる。この女は、なかなか優秀な魔法騎士だったようだ」


 ソフィーに変装するジリアンの護衛も兼ねていた人だ。マクリーン侯爵に選ばれた優秀な魔法騎士だったに違いない。


「彼女には、私がいくつかの保護魔法をかけていたはずです。どうやってそれを破ったのですか」


 怒りで冷静さを失っているジリアンに代わって問いかけたのは、テオバルトだ。


「それのお陰で、ソフィー・シェリダンの正体に気づくことができた。感謝しているよ、マルコシアス侯爵閣下」


 テオバルトがギシリと歯を噛んだ。


「保護魔法?」

「はい。あなたを守るためには、彼女の護衛が必要不可欠です。ですから、魔大陸の魔法から保護するための魔法をかけてありました」


 テオバルトとケリーは、夜会の見送りの際に何度か顔を合わせている。そのときに魔法をかけたのだろう。


「しかし、それが裏目に出たということですね」

「そんな」

「並の魔族に破れるような魔法ではなかったはずです。……貴様、『黒い魔法石リトゥリートゥス』を使ったな!」


 今度も、スチュアートがニタリと笑う。


「使ったよ? 仕方がないからね」


 スチュアートがポケットから取り出したのは、まさに『黒い魔法石リトゥリートゥス』だった。


「あまり多用すると、私には辛いが……」


 手のひらの中でコロコロと黒い宝石を遊ばせながら、軽い足取りでケリーに近づいたスチュアート。その手がケリーの頬を撫でる。


が迫ってきたので、今夜にでもソフィー・シェリダン子爵令嬢を始末しようと思ったんだよ。もう必要なくなったから。先にこのメイドを消そうとしたら、なんと魔大陸由来の保護魔法がかかっていた! 驚いたよ」


 その手は、さらにケリーの肩を撫でた。恋人にするような艶のある仕草に、ジリアンの全身の皮膚が粟立つ。


(この男、普通じゃない!)


「仕方がないので、『黒い魔法石リトゥリートゥス』を使ったというわけだ。人形にしてから事情を聞いたら、なんとソフィーの正体がジリアン・マクリーンだと!」


 スチュアートが大仰に両手を広げてみせた。その仕草にアレンの背に緊張が走る。それを見たスチュアートがクツクツと笑った。


「トラヴィス・グウィン、君もジリアン・マクリーンの親しい人物なのだろう? ……ああ、わかった。あの日、彼女と一緒にいた金髪のネズミだな? すっかり騙されたが、気付いてしまえば実に滑稽こっけいな三文芝居だ」


 アレンがジリジリと後ろに下がった。その手がジリアンの肩に触れる。


「おい、マルコシアス侯爵」


 アレンが前を向いたまま呼びかけた。その声にテオバルトが苦笑いを浮かべる。


「なんです?」

「ジリアンを、頼むぞ」

「命に替えても」


 形勢は明らかに不利。この異常事態に、本来であれば屋敷の警備をしている魔法騎士が気づくはずだが、その気配がない。何らかの魔法がかけられているのだろう。


「アレン、テオバルト……」


 だからといって、二人の会話はあまりにも不穏が過ぎる。


「私なら……」

「ジリアン」


 大丈夫、と続くはずだった声はテオバルトに遮られてしまった。


「私が守ります」


 テオバルトがジリアンの腰を抱いて、耳元で囁いた。その様子を見たアレンが舌打ちする。


「ふふふふふ。面白い! 実に面白いよ、ジリアン・マクリーン!」


 スチュアートが再び両手を広げた。その顔には満面の笑み。言葉通り、面白がっているのだろう。


「マクリーン侯爵と王子に続いて、マルコシアス侯爵まで籠絡ろうらくしたか! 稀代きだいの悪女だなぁ」

「貴様!」


 このセリフには、アレンが肩を怒らせた。


「騒ぐなよ。……さて。ここで消してしまおうと思っていたが、それでは盛り上がりに欠ける、か」


 ──パチン。


 スチュアートが指を鳴らした。すると、彼の身体がろうのように溶けはじめた。服と皮膚がドロリと溶けていく。


「なんだ!?」


 溶け出した身体はグルグルと色を替えながら形を成して、再び固まった。

 そこに立っていたのは、透けるようなはかない金の髪とはしばみ色の瞳を持つ、青白い肌の青年だった。


「ハワード・キーツ!」


 1年前の事件の折、一瞬だけジリアンとアレンの前に姿を現した人物だ。

 スチュアート・ディズリーの正体であり、『黒い魔法石リトゥリートゥス』に関する陰謀の裏で糸を引く人物。


「私は人と悪魔の混血でね。オセ家の血を継いでいるんだ」


 それに反応したのはテオバルトだ。


「ソロモン72柱の一家門です。……ただし、何百年も前に滅亡したはず」

「滅亡?」


 ジリアンが尋ねる。


「凶悪な事件を起こして、一族がすべて処刑されたはずです」

「それが、どうして……」


 これには誰も答えなかった。ハワード・キーツもあやしく笑うだけ。


「それは、またの機会だな。まずは、私のいにしえの魔法をご披露しよう」


 ハワード・キーツの額に、何かが浮かび上がった。赤紫色に浮かび上がる丸い紋章。それを見た瞬間、ジリアンの腰を抱くテオバルトの手に力が入る。


「『仮面ペルソナ』か!」

「おや。博識だな」


 テオバルトが叫ぶと同時に、黒い光がほとばしった。『黒い魔法石リトゥリートゥス』の力を上乗せしているらしい。

 赤紫の光と黒い光がグルグルと渦を巻きながら一つになっていく。何かが起ころうとしているのだ。

 その何かを防ぐために攻撃を仕掛けようとするが、上手く魔力を練ることができない。


「ジリアン、私が必ず助けます!」


 テオバルトが叫びながらジリアンの右手に触れた。


「私を信じて!」


 右手の薬指にわずかな温もりを感じたと同時に、アレンがジリアンの身体をかばうように抱きしめた。


「ジリアン!」


 切なさに息を詰めた瞬間、ジリアンの視界が黒と赤紫に包まれたのだった。





「ソフィー! ソフィー!」


 呼ばれて目を開けると、そこには愛しい人のとび色の瞳があった。


「ミスター・デイズリー?」

「ああ! よかった!」


 スチュアートがソフィーの身体を抱きしめる。


「いったい、何があったのですか?」


 バラのアーチが黒焦げになっているのが見えた。その傍らには、マルコシアス侯爵とトラヴィス・グウィンがソフィーと同じように呆然とした表情でたたずんでいる。


「お二人と一緒のところを襲われたようです」

「襲われた?」

「ええ。魔法で。……恐かったでしょう?」


 スチュアートがチラリと目線を送った先には、赤黒いかたまりが横たわっていた。


(死体!?)


 思わず目をそむけたソフィーを、スチュアートが優しく抱きしめる。ソフィーは、震える手でスチュアートにしがみついた。

 覚えていないが、ソフィーは殺されそうになったらしい。しかも、魔法で。


 のソフィーは、全身を震え上がらせた。


「もう大丈夫ですよ。あなたは、私が守ります」


 耳元でささやく愛しい人の声に、ソフィーは息を吐いた。安心して、ようやく肩の力が抜ける。


「今夜は私の屋敷に帰りましょう」

「はい」


 スチュアートの優しい微笑みに、ソフィーもうっとりと微笑み返した。




 ──この日、ジリアン・マクリーンが消えた。



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