9 永遠の愛
――と、思ったんだけど、その前にちょっとした問題が起きた。
みちるが、控室に入ってご両親と暁輝くんに対面した途端、大泣きを始めて止まらなくなったのだ。
で、俺は急遽、一条家の控室に呼ばれた。何とか式に臨める程度に泣き止ませろということらしい。
「えっ、そんなの無理じゃないかな」
俺は呼びに来た山崎さんに言った。「ご両親でもダメなんでしょ?」
「そこを何とか。皆待っとうとけん」山崎さんは焦った様子で言った。「新郎さんの頼りやけん」
「ええ〜でもなぁ」
「貴志、行きない」親父が言った。「時間のなかんだから」
「俺の行ったら、余計に泣くかもっちゃけど」
「そいばってん行け。ぐずぐず言うな、男らしくなか」
いまどきそんな言葉使わねえよと思いながら、俺は控室に向かった。
ドアをノックして開けると、部屋の真ん中に置かれたソファにドレス姿のみちるが座っていて、そのそばにご両親、窓際に暁輝くんがいた。
「――貴志……」
みちるはぽつりと言うとうわぁん、と声を上げた。ほら、やっぱり。
俺は近付いて行ってみちるの前に立ち、腰を屈めて顔を覗き込んだ。
「可愛いな。泣き顔なんてもったいない」
ご両親や暁輝くんの前で言うのは恥ずかしかったが、今は泣き止ませることが先決だ。
「花嫁がそんなに泣いてちゃ式が始められないんだって。みんな待ってるから」
「わ、分かってるけど――」
みちるはハンカチを口元に当て、グズグズと鼻を鳴らした。「ここへ来てお父さんやお母さん、暁輝の顔を見たら、つい、いろんな思いが溢れて――」
「そうだな。嬉しいよな」俺はみちるの手を取った。「だから、さあ、チャペルに行って、みんなにもお祝いして貰おう」
「……でももう、ひどい顔になっちゃった」
「ひどいもんか。最高に可愛いよ」
あーもう、恥ずかしいんだけど。
でも実際、本当に可愛かった。ドレスは胸元から肩、腕に渡ってレースの刺繍があしらわれた上品なデザインで、みちるによく似合っていた。腰をタイトに絞り、いわゆるスカートの部分はふんわりと丸く、幾重にも重なったボリュームのあるシルエットだ。ボブの髪を上手くアップにして、王冠のようなヘアアクセサリーを付けている。花の形をしたピアスと、同じデザインのチョーカー。急ごしらえとはとても思えない、完璧な装いだった。
「……ホント? おかしくない?」
「似合ってるよ。ディズニー映画のお姫様みたいだ」
「ほんとに。お姫様と王子様ね」
お母さんがにこにこと笑った。「見惚れちゃう。ねえお父さん?」
「……そうだな」
お父さんも感無量なのか、言葉少なに頷いた。
するとみちるはまたうわーんと泣いた。あっ、バカ、いやその、ストップストップ。
そこで俺はあえて言い方を変えた。みちるが昨夜言っていた、自分はどんなときにも頭の隅っこでは冷静に考えているという、その習性に訴えるのだ。
「――みちる、あのさ、水を差すようなこと言って悪いけど、時間ないぜ」
みちるは「え?」という感じに顔を上げた。
「ここでのタイムロスはあとあと響く。式のあと、写真も撮るらしいんだ。それで、聞いたところによると、今の時点ですでにギリギリなんだってよ」
「……そうなの?」
「ああ。で、万が一飛行機に乗れないってことになったら、一週間後の休みだってどうなるか」
「今回は慶事休暇を取ればいいよ」とお父さんが言った。
「ええ、それはそうなんですけど――」
余計なこと言わないでよと思った。仮にそうしたとしても、俺の場合、その前に三日も休んだあととなれば、次に出勤したときは肩身が狭い。だって、あんたらキャリアと俺とでは立場が違うんだから。それに、何より今は泣き止んでもらわないと。
「来週、大阪に来るんだろ?」
みちるはうん、と頷いた。その拍子に涙がぽろりと落ちる。
「もしそれがダメになったら、しばらく会えないぜ」
「……そんなの、やだぁ」
みちるは言ってまたうぇーんと涙を溢れさせた。
「うわしまった、ごめんごめん」
は? 俺のバカ、何言ってんだ。俺は思わずみちるの肩を取って抱き寄せた。もう恥ずかしいなんて言ってられない。頭をヨシヨシと撫でて、それから真っ直ぐに向き合い、顔を覗き込む。頬に伝う涙を指で拭いながら言った。
「な? 嫌だろ? だったら泣き止んで、式を始めよう」
「……分かった」
みちるが言った。良かった、助かった。
俺は立ち上がって、あらためてお父さんとお母さんに一礼した。ここで顔を合わせるのは初めてだったからだ。
「すみません、遠路はるばる」
「いいえ。楽しませていただいてますよ」
お父さんが言った。俺は頷き、ちらりと暁輝くんに視線を送った。暁輝くんは(ほらね)とばかりに肩をすくめた。
そして、ようやく式が始まった。
まずは列席の人たちと牧師さんがチャペルに入り、開式が宣言された。続いて俺が入場して、そこで俺はごくごく簡単に挨拶をした。親父がえっもう終わり? という顔をしたが、俺はしれっと前に向き直った。時間が押してるのに、ダラダラと中身のない話をするつもりはない。
続いてオルガンの演奏が流れ、扉の向こうからお父さんと腕を組んだみちるが入って来た。そしてその後ろから、淡いピンク色のワンピース姿に着替えた愛美がベールの裾を持ってしずしずとついて来ている。なるほど、この役目のために愛美も式場でおめかししてもらっていたのか。
みちるとお父さんが俺の前にやってきた。みちるは――結局泣いていた。まぁ、この場面で泣いてる花嫁はめずらしくないし、もうこの際しょうがないなと思った。
讃美歌、聖書朗読、牧師の祈りと続いて、誓約に移った。そう、牧師さんの問いかけに応じて“永遠の愛”を誓うのだ。ずっと泣いてて大丈夫かよと思ったが、みちるは何とか問いかけに答えた。
それから指輪の交換。買いたてほやほやの指輪を互いの指にはめ、俺たちは顔を見合わせて思わず微笑んだ。まさか誰もこれが“あくまで仮の”指輪だなんて知らない。
そしていよいよウェディングキスだ。過去に参列者として何度も教会の結婚式に出たことはあるし、その度に人前でキスなんてマジ勘弁とか思ってたけど、いざ自分がやることになって分かった。ここに立たされると、そんなことどうでも良くなるんだな。俺はみちるのベールを上げた。
みちるは最高潮に泣いていた。ひくひくと鼻を啜り、瞳からはポロポロと涙が伝っている。いやもうちょっと泣きすぎじゃね? と思ったけど、とりあえずキスしないと終わらない。俺はみちるの耳に口元を寄せ、彼女にだけ聞き取れるくらいの声量である言葉を囁いた。
「…………」
するとみちるは頬を赤らめてすっと息を止め、やがて嬉しそうに微笑んで顔を上げた。俺はそれに合わせてキスをした。
牧師が結婚成立を宣言し、俺とみちる、牧師が証明書にサインをしてそれを列席者に報告をし、式は滞りなく終了した。
そのあと慌ただしく写真撮影が行われた。列席者全員が揃った集合写真と、厳かなチャペルの中やイルミネーションの美しい教会玄関で撮った二人の写真など、それこそきちんと許可を取っていないロケの撮影のごとく、目にも止まらぬ勢いでバチバチとシャッターを切られて、あっという間に終了した。本当に大丈夫かと心配になったけど、カメラマンは最後にちゃんと画像を確認して「オッケー、完璧」と指を丸めた。プロって凄い。
着替える前にまた俺はみんなの前で挨拶をさせられた。何回やるんだと思ったけど、強行突破とはいえちゃんとした式を無事に終えられたのは他ならぬみんなのおかげだ。そのことへの感謝と、披露宴を後日あらためて行なうことの意思表示をしろということだった。そしてそれらを俺に命じた親父は、
「夫婦として礼を言え」
と言った。それを聞いた俺は、そうかもうそういう扱いをされるんだなとちょっと気持ちが引き締まったのも事実だった。
やがて列席者の人たちが帰り、着替えを済ませ、両親と二人の姉の家族、みちるの家族と俺たちが残ってそれぞれにタクシーを待っていると、親父が俺たちのところへやって来て言った。
「ええか貴志、近いうちにまた日ば改めて二人で帰っちこい。今日来れなかったもんば含めた会社ん皆と、親戚ん皆で一席設けるから」
「ああ……分かった」
「みちるさんも、仕事の忙しくて申し訳なかばってん、ちょっと都合つけてもらえますか?」
「もちろんです。きちんとご挨拶させてください」みちるは大きく何度も頷いた。
「こいつは、ほんなごとええ加減なやつばってん……一応、十二代目ば継ぐ立場やけん」
「あ、はい」とみちるは今度は少し戸惑って答えた。「……わたし、そんな立派なお家の嫁が務まるかしら」
「そんなの気にしなくていいって」俺は顔の前で手を振って笑った。
「そう。そげなこつは全然気に病む必要なかですよ」と親父も言った。「こぎゃんええ加減な息子でも当主の回っちくるんやから」
「ええ加減ええ加減って、何回言うんだよ」
「ええ加減やからしょんなか」
そう言って親父はがははと笑い、「じゃ、連絡待っとうと」と言い残してみんなの元へ戻って行った。
まもなく親父たちを乗せる大型のハイヤーが二台やって来て、一同はそれぞれに分かれて乗り込み、窓から俺たちに手を振って去って行った。今からみんなでもつ鍋か、いいなぁ俺も行きたいなと思いながら見送っていると、みちるがぽつりと言った。
「……お義父さん、嬉しそうでいらしたわね」
「そうかな」
「きっと、ずっと心配してらっしゃったのよ。貴志のこと」
俺は俯いた。「……そうなんだろうな」
「良かったわね。安心させてあげられて」
「うん」
俺はみちるの手を握った。誰もいなくなった教会前のベンチに座った俺たちは、ごく自然に顔を寄せてキスをした。
空港に着いたのはそれぞれの便の出発三十分前を切っていた。大急ぎで搭乗手続きを済ませ、搭乗口に向かう。俺の乗る便の方が十分ほど遅かったので、みちるの乗る便の搭乗口の前で俺たちは別れることになった。
みちるはまた瞳を涙でいっぱいにした。もはやお約束だ。だけどさすがにここでのんびり慰めている時間はない。俺はちょっとだけ厳しい口調で言った。
「いいか? これからはこういうのに慣れていかないと。毎回、そのあとずっと悲しいまま一人で過ごすことになるぜ」
「……分かった」みちるは頷いた。
「一週間後にまた会えるだろ。それに俺たち、もう夫婦なんだから。今までとは違うんだから。離れてたって、そんなに孤独に感じる必要はないんだ」
「……うん」声が小さい。
「家に着いたら、LINEして。ちゃんと起きて待ってるから」
「……うん。待っててね」ついに目をパチパチし始めた。
「じゃあ、気をつけて帰れよ。車、安全運転でな」
「うん」
そう言うとみちるはまさに後ろ髪を引かれる感じで何度も俺に振り返り、搭乗して行った。
俺は自分の搭乗口へと走った。あんな約束をしたから、家に着いて即寝るってことができなくなった。飛行機の中で仮眠を取って、家に着いてもベッドの中で待機してなきゃいけない。明日は仕事だし、結構キツいなと思いながら、家庭を持つってこういうことかなと変なところで悟ったりした。つまり、自分のことだけに注意と関心を払っていればいい状況とは永久にオサラバしなきゃならないってわけだ。
まぁ、それもいいんじゃないか。二日前までの自分と比べたら、数段まともには違いない。
搭乗し、席に着くと、俺は左手の指輪を眺めた。
ここにこういう物が光るなんて、一生無いと思っていた。
みちるは俺に、この奇跡をくれた。
だから俺は、彼女に永遠の愛を誓う。
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