第5話 怪獣香水を調合せよ
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貴志が袖を捲り上げて腕時計を見ている。さっきも見たばかりだが、時間を気にしているのかといえばそうでもない。ただ暇なのだ。
時計はまもなく夜の十一時になろうとしていた。
その時、扉が開いて警察官の先導で沼田所長が入ってきた。
「所長!」
貴志達は一斉に鉄格子にしがみついた。
貴志達というのは岡田に南原、林、森野、そして貴志である。
そう、実を言うとここは警察署の留置場なのだ。
沼田所長は鉄格子の前に立つと、
「この大馬鹿もの!」と大声で一喝した。
所長の顔は真っ赤である。血圧の持病があればそのまま倒れるのではないかと思うほどであった。
「まあまあ、そう興奮なさらずに。話を聞く限り彼らも被害者のようなので、身元引受人としてお呼びしたわけです」
「そうですよ所長! 相手が悪いんです」
「こっちは被害者ですから!」
岡田と南原が必死に弁明する。
「だまらっしゃい!」
一喝されて岡田達は、みんなシュンとなってしまった。
何でこんなことになっているかと言うと、それは二ヶ月前に遡る。
そいつはまだ暗い未明の晴海埠頭倉庫街に突然現れた。何が面白いのか倉庫街という殺風景なところに現れて、建造物を破壊しながら道路沿いをウロウロと徘徊した。
貴志はそれを朝六時頃、麻美に起こされて知った。普段の貴志はいつも六時四十五分に起床するが、テレビでは緊急速報が流れ、植物学の権威らしい博士が解説をしていた。
その説明によれば、怪獣は元々南米原産の植物で、植物のくせに二本足で歩行可能という動物の生態を持っていた。まさに奇跡の変異体である。しかも甘い匂いで動物をおびき寄せ、捕獲して吸血するという。
現れてからもう三時間は経過しており、通勤の時間帯に突入したものだから世間はてんやわんやである。
東京は朝から電車も全線運休して貴志も自宅でのんびり待機かと思ったところへ電話が鳴った。
ひょっとして所長かと思ったら案の定、所長だ。可能な限り早く研究所に出勤して欲しいという。
普段は始業が八時三十分だが、たまーにこんなこともあるのだ。
沼田所長と南原は車で出勤すればいいが貴志は車を持っていない。そもそも家が逆方向で乗せてもらうのも気が引ける。
家から研究所までは五駅あって、それなりの距離だが麻美の自転車を借りれば一時間もかからず行けるだろう。
ちなみに研究所に一番近いのは岡田である。なんせ一駅なのだから歩いても行ける距離だ。林も駅三つでなんとか行けるだろう。森野と島崎は電車がないと厳しい。植村班長は一戸建ての自宅持ちで距離的には遠いのだが、車で出勤して八時くらいに到着か。
貴志はすぐに支度をすると七時には家を出て、八時前には研究所に到着したが、予想通り沼田所長と岡田と南原、林が既に出勤していた。
まだ島崎や森野、植村班長は来ていない。これも貴志の予想通りである。
「岡田君、スマンが宜しく頼むよ」
「所長、お任せ下さい。これからイーグルで飛ぶわよ」
岡田が朝から張り切っている。
貴志達はすぐに撮影機材を車に積むと、林の運転で飛行場へ向かった。
飛行場に行くと整備士の遠野が手を振って出てきた。
「遠野さん、おはようございます。出勤は大変じゃなかったですか」
「なに、地元育ちで家も近くですからね」
挨拶をかわしてすぐに林が離陸を開始する。下を見ると手を振る遠野がみるみる小さくなった。
立川から晴海までは五十キロも無い距離である。イーグルなら数分で飛べるだろう。
離陸してまだ三分も経っていないところへ沼田所長から無線が入った。
テレビで実況を見ていた所長の話では、銀色の巨人が光線を放つと怪獣は爆砕して破片が辺りに飛び散ったとのこと。
そんなわけで撮影はやめて怪獣の残骸回収に切り替えてくれと言うことらしい。
岡田や南原はそれを見越してファルコンではなく、双腕車を搭載しているイーグルにしたのだろう。それなら読みは大当たりである。
数分後、格闘の跡地と思われる場所に到着した。上空から見ると崩壊した倉庫が散見され、所々で煙も上がっている。逆に言えば長時間徘徊した割には被害が少なかったといえるだろう。
やはり無意味に壊して回るのは怪獣にとってもムダに体力を消耗する行動だったのだろう。自衛隊も下手に刺激して余計な被害を出さないようにしたため、手間取ったようだ。
それにしても怪獣本体の爆砕状態がひどい。文字通りの木っ端微塵に体がバラバラに爆破された印象を受ける。
着陸してイーグルには林が留守番で残り、岡田と南原、そして貴志が外へ出た。そして南原は自衛隊へ挨拶に行ってしまった。
貴志と岡田は南原が戻るまで爆砕した破片を見て回ることにした。
回収はほとんどを自衛隊に頼ることになるが、めぼしいものは貴志が双腕車を操縦して研究所に早速持ち帰る予定である。
爆砕した破片も大小様々で、間近で見ると緑色の部分と黒っぽい部分があるのが見て取れた。
「岡田さん何かいい匂いがしますね!」
「確かにそうね」
緑色の破片を前に二人は頷き合った。緑色はどうも体表部分のようだ。表皮から中心に行くにつれてだんだん色が褐色から黒へとなっていく。黒いというのは別に焦げたわけではなさそうだ。
こちらは何というか、脂っこいと言うか、生臭いと言うか、はっきり言って良い匂いでは無い。刺激臭のある油の臭いであった。
「緑色の部分で光合成でもするんでしょうかね?」
「さあ。それも持ち帰って分析しないと分からないわね」
辺りを観察していると南原が自衛隊の担当者を連れてきた。
南原と岡田は回収の打ち合わせをするようで、貴志はどれを持ち帰るか大まかに検討しておくよう命じられた。
それから三十分程で打ち合わせを終えた二人が戻ってきたので、貴志は検討結果を二人に説明して双腕車をイーグルから降ろす準備を開始した。
既にイーグルの前に陣取っていた新聞社やテレビ局が、まってましたとばかりに撮影を始めている。貴志はまた『特掃隊 作業に奮闘』とかの見出しでニュースになるのかと考えると、なんか小馬鹿にされている様な気がしていい気はしないのだ。
岡田と南原は回収物に次々と旗を立てて回っている。特に岡田は顔の部分を真っ先に持って帰りたがった。
なにせ木っ端微塵となったせいで、胴体や手足などほとんど、どれがどれやら分からない状態だ。しかも内部組織に大きな違いがあるようには思えなかった。
唯一顔の部分には目玉が残っており、これが顔だと判別する手がかりとなっている。
人間で言うと脳にあたる部分は鮮やかなオレンジ色になっており、他にも所々に黄色の塊があったりで、それが岡田の興味を引いたようだ。
結局双腕車でその部分を持ち帰ることにしたが、やはり大きすぎるため部分的に持ち帰らざるを得なかった。
残りの回収は過去の文献で病原菌の報告もないため、自衛隊にお任せである。
結局旗を立てなかった残骸は自衛隊で焼却処分してもらうことにした。みんな同じような組織ばかりだったので面白みが無い。これほど内蔵らしき物が見当たらない怪獣も珍しいと思われた。まさに植物の主茎の集合体のようだ。やはり植物の変異体だからだろうか。
昼前にサンプルを確保して研究所に戻ると島崎、森野、植村班長も既に出勤していた。
「どうじゃったかね?」
南原がすかさず答える。
「所長、それがまるで古木をダイナマイトで木っ端微塵に爆破したような有様でしたよ。それと興味深いことに内臓らしき組織が全然見当たりません」
「そうそう、みんな似たような組織ばっかりで面白みがないのよね」
と岡田が口をはさんだ。
「それでも頭部とおぼしき部分のサンプルは回収してきました。残りもめぼしい部分は自衛隊の方に回収を頼みましたので明日にでも届くと思います。ただし粉々になった細かい部分は全部消却をお願いしてきました」
「そうか、まあ仕方がないじゃろう。さて今回は誰に研究調査を頼もうかのう」
「それはもう決まってるでしょ。島崎君、あんたがやりなさいよ」
「そうそう、テレビに解説者として出ていた二宮教授は君の恩師なんだよね?」
「ま、まぁ、た、確かにそうなんですけど……」
島崎がどもりながら答える。
「それに植物学の博士号を持ってるあなたがやらないで誰がやるって言うのよ」
「そ、そうです、よね」
「あら、島崎さんは植物学の博士号を持ってたんですか。すごいですね」
森野が感心してそう言った。
確かに貴志もちょっと感心した。なぜなら普段の島崎は影が薄く、あまり話題に上がる様な人物では無い。
貴志自身、島崎を正体不明の人くらいにしか思っていなかったのだ。おっと失礼。
それでも研究員をしているという事実は彼がやはりすごい人であることを証明しているのである。
「それじゃあ、やはり君じゃね、島崎君。岡田君、南原君も必要があれば手伝ってやってくれんか」
そう言って所長は島崎の肩をポンポンと叩いた。
さてそれから一ヶ月くらい経った頃、島崎は報告書をまとめ上げた。
島崎はコミュニケーションが苦手な為、見た目はパッとしないが、報告書をまとめるなどの事務的な能力は非常に優秀である。
岡田が行動力で標本などを集めて研究を進めるタイプなら、島崎は理詰めで研究をするタイプである。島崎の研究報告書に対して、実は誰も心配してはいなかった。何故なら、いつの間にか理路整然とまとめ終えてしまうからである。
島崎はやるべきことを終えてほっとしたのか、ある事に興味が湧いた。それは前から気になっていた残骸の匂いである。この怪獣は他の怪獣と違って、腐敗進行がほとんどない。言い換えれば木が倒れてそのまま朽ち木になったようなもので、動物の腐敗臭がほとんど無いのだ。
それと怪物の残骸は色で区分するとおおよそ五色からなっていた。
中心部は黒から茶褐色で樹液のようなものが染み出し、大変油っぽい変な臭いがする。
表面近くは緑色をしており、うっすらと甘くて柔らかで落ち着くような匂いがした。独特の香りである。さらに人間で言うところの脳の部分はオレンジ色で非常に匂いが強いがとても甘い匂いで、人によって好き嫌いの分かれるところだ。少し癖があり、何か妖艶な感じがしなくもない。別の表現だと、生臭みのある湿った甘酸っぱい匂いとも言える。
さらに所々黄色い塊があり、そこは柑橘系に似た爽やかな匂いがしている。さらに詳しく言うと、酸味のある独特の香りで、一番匂いが強いのはこの黄色い部分の所である。ムッとくるような強烈な香りだが、少しするとまた嗅いでみたくなる癖のある不思議な匂いだ。
報告書にもそのことは数ページを割いて記述してある。
そもそもが吸血性という特異な植物で本来の生態もよく分かっておらず、現地では匂いで動物をおびき寄せ捕獲すると言われている。
恐らく食虫植物に近い種と思われた。
食虫植物は世界に六百種ほど存在すると言われており、オーストラリア、東南アジア、南米やアフリカなどに自生している。その中のウツボカズラ種は大変大きく成長する種類もあって、大きな物になるとカエルやネズミも捕らえることが可能だ。現地では『肉食植物』という恐ろしい名前で呼ばれることもあるという。
この材料を使って島崎がやりたい事は、香水を作って岡田にプレゼントすることであった。何を隠そう、島崎は岡田のことが好きなのだ。
単純に考えれば市販品を買ってプレゼントすれば良いのだが、岡田がそんなありきたりの物で満足するとは、島崎にはとても思えなかった。だからこそ怪獣で作った香水なら、あの人もきっと喜んでくれる。優秀過ぎて凡人の考えとは少しずれている島崎らしい考えではあった。
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