4-3
さて、双龍丸は昨日の夜に着いて今は沖合で待機中である。
これから受け入れ準備を整えるためにみんな忙しそうに働いていた。
駐機場では釧路駐屯地所属のジャイロコプターが既に待機していた。普通は港に備え付けのガントリークレーンで荷下ろしをするが、今回は相手が大きすぎて使えないのだ。
そのため科学技術庁の浜口が自衛隊に要請して、ジャイロコプターに来てもらっている。
準備が一通り終わって双龍丸に連絡を入れると九時半過ぎに入港してきた。
左舷を岸壁に横付けすると、甲板の仮設倉庫の天井がゆっくりと開いていく。
それに呼応するかのように分室の解体作業場の天井も次第に開いていった。
それを待ちかねたようにジャイロコプターが離陸して、甲板で顕わになった怪獣の体を鷲掴みにすると、ゆっくりと上昇した。
釣り下げられたゴマラザウルスは手足をだらんと垂らし、少し哀れを誘う。
分室の作業場に降ろし終えたジャイロコプターは、そのまま空に消えていった。
実にスピーディーで見事である。以前から何回も同じ事をしてきたのだろう。屋外で作業を見物していた貴志から自然と感嘆の声がもれた。
ゴマラザウルスを受け入れた解体作業場の天井がゆっくり閉まっていく。
岡田の後について、貴志も建物の中へと入っていった。ここは扉を開けて入ると長い廊下の先にまた扉があってセキュリティーカードを挿入してようやく解体場に入室できるのだ。
入室してちょうど天井がゆっくりと閉まり終えて暗くなり、それから照明がパッと灯いた。周りを見ると作業員はみんな防護服を着用している。
岡田と貴志も規則通り防護服に着替えるため更衣室へと向かった。防護服は清潔な白色を基調として、作業用つなぎに見えるデザインである。今回は危険レベルS・A・B・CのCランクに設定されており、ランクごとに違うデザインとなっている。Cというのは人に対し重篤な病原菌などの報告がないランクである。日本政府が怪獣の購入に際して事前資料を入手しているので、それから判断しているようだ。
この分室の仕事は怪獣の解剖、そして標本や剥製の製作などがメインの仕事で、総勢二十名程度である。ここの人たちは研究員というより職人と呼んだほうが実務的に近いのかもしれない。
今の季節、北海道のここでは最高気温で十度にも達しない。最低気温なら零度以下である。腐敗の観点からは非常に作業のしやすい時期といえよう。
さて、怪獣を受け入れてから採寸と写真撮影が始まった。
バタバタしているようだがじっくり見ているとみんな非常に手際が良くて、さすがはプロだと思わせる働きぶりである。
しかし手際よくやってはいるものの、物がでかいだけあって採寸と写真撮影が終わったのは午後三時過ぎぐらいであった。
午後の休憩を取った後にようやく貴志の出番が来た。
山崎班長の指示でとりあえず、カッター車で腕関節に切り込みを入れて様子を見てみましょうという話になった。皮膚が非常に硬いので、どのくらいの速度で解体できるか見当を付けましょうと言う意味である。
カッター車というのは、ショベルカーの先端がショベルの代わりに丸ノコになっていると思ってもらえば良いだろう。カッターは縦横に動いて刃の向きも回動可能な構造になっており、これで怪獣の体を切り分けていくのだ。
他にも重機オペレーターは三人いるのだが、一人は先月に退職、一人は病気で休職中、もう一人はこことは少し離れた二号解体倉庫で尻尾の解体作業中、沼田所長もそれを見越して貴志を派遣したと思われる。
実際にやってみるとこれが予想以上に硬い。へたに切断すると剥製が汚くなるので慎重に操作する必要があり、あっという間に終業三十分前となった。そこで今日の作業は終了となったが、まだ関節の二割くらいしか切断できていない。
まあ、良い頃合いだということで、みんな片付け作業を始めた。貴志も水洗い場にカッター車を持って行きカッター部分を水で綺麗に洗い流して、その後消毒液を散布する。
終業まであと十分というところで、残っていた人たちもみんなは事務棟の方に戻りだした。この一号解体倉庫と事務棟までは徒歩で数分かかるのである。それだけ敷地が広いということだ。
出て行く他のみんなとすれ違いに美咲が入ってきた。ちゃんと規則通り白長靴を履いている。
「他の人たちがみんな事務所に戻って来ているのに、お父さんや岡田さんが戻って来ないからどうしたかと思って来ちゃったわ」
「山崎さんと岡田さんは暫く前にそこの会議室に入っていくのを見ましたよ」
「今行ったらまずいかしら……?」
「多分大丈夫だと思いますよ。行ってみましょうか」
そう言って貴志は会議室へ歩き出したが、美咲が後ろに付いてくる気配がない。あれっと思って振り返ると美咲は怪獣の方を見ていた。
「どうしました?」
「今なんか変な物が見えた! 怪獣の尻の辺りで何かゆらゆら動いてて……」
貴志は目を凝らして見たが何も見えない。
「気のせいじゃないですか」
「……、そうねきっと見間違いね」
会議室の手前で貴志は防護服を脱いでハンガーに掛けた。それから美咲と一緒に長靴をスリッパに履き替えて会議室に入ると岡田と山崎班長がどういう手順で剥製を作るか議論していた。
岡田は腹を裂いて内臓を抜き取った後、残りの肉をくりぬいていくという方法を主張している。
この方法だと内臓を傷付けずに取ることが出来るので、内蔵を標本で残すならこちらの方が良いと言うことらしい。
山崎班長は職人らしく見た目重視で、背中から割って背骨を抜いた後、どんどん中に切り込んでいく考えである。
見栄えに関して言えば、岡田のやり方だと正面に大きな割線が入るので見た目が悪い。
貴志と美咲は椅子に腰掛け、二人の話が終わるのを待つ事にした。
と、その時、会議室の内線電話が鳴り、山崎班長が受話器を取った。
「山ちゃん、まだ上がんないの? 私は今日、孫の誕生日なんでお先するよ」
「室長、お疲れ様でした。私たちもそろそろ上がりますから」
「解体場の戸締りよろしくね。お疲れさん」
そう言って佐藤室長は受話器を下ろすとカバンを手に取り、普段通り事務所を後にした。
最終的に剥製作りの方針は、岡田と山崎の折衷案として見た目を考慮し、なるべく目立たないように脇腹から切断して内蔵を抜き取った後、背中から肉をどんどん削り取っていくという方法に落ち着いた。ようやく結論が出たところで、我々も早く事務棟へ戻りましょうと片付けを始めた。
結局この部屋に残っているのは山崎班長と部下の寺田、岡田と貴志に美咲の五人である。
帰る準備を始めていると、突如いびきが聞こえてきた。いびきのする方を見ると寺田が赤い顔をして椅子に寄りかかり、今にも崩れ落ちそうな姿勢で寝ているではないか。
「おいおい寺田、こんなところで寝るやつがあるか」
山崎班長は寺田の肩に手を掛け、肩を揺すった。
「酔っ払いみたいな顔をして寝るなよ。ほら帰るぞ」
そう言ったと思ったら、山崎班長は全身の力が抜けたような感じで、両膝と手の平を床に付けて、
「美咲、お前、高校は辛かったんだよな。おまえが辛い時期に力になれなくて、父さんほんとにすまないと思ってる。父さんを許してくれ」
そう言って涙声で謝り始めた。
「ちょっとお父さん、こんなところで恥ずかしいからやめてよ」
岡田も貴志もわけがわからず、ぽかんした表情で山崎班長を見ている。
それから十秒も経たないうちに山崎班長は床に突っ伏して寝息を立て始めた。
美咲が慌てて山崎班長を起こしにかかった。
「あら、何かしらこれ」
岡田が山崎班長のふくらはぎ辺りに、赤い血の跡があることに気が付いた。
貴志も山崎班長の血痕をよく見ると、ズボンに何か穴が開いているようだ。ごわごわした防寒ズボンに穴が空くなんてあまり無いと思う。ひょっとして釘にでも引っかけたのだろうか。でも、かぎ裂きの跡とも違うようだが……。
と思っていると、岡田が「痛!」と声を上げた。
岡田の足首を見ると、なんか白っぽい紐のような物がついている。
貴志はテーブルに置いてあった軍手をはめると、その紐をぐいと引っ張った。紐はピーンと伸びて根元あたりからプツンと千切れ、千切れた紐はうねっている。
蛇……、いや、違うな。
その頭部と思われる部分は岡田の足首に吸い付いたまま、まだ血を吸っており、吸った血はそのまま千切れた体から滴り落ちていた。
「何これ!」
美咲が大声を上げた。
貴志は直ぐその頭部らしき部分をもぎ取った。頭部には目のような点状の物が八個付いていて、円形吻をパクパクさせたその中に鋭い刃のようなものが見てとれた。
貴志はそれを床に叩きつけ、足で二回、三回と踏みつけると、床には赤い血が飛び散った。
ズボン姿の岡田の足首からは結構な血が出ている。
美咲が救急箱を持ってきて応急措置をしたが、無理に引き剥がしたのがまずかったようだ。
それにしてもいったい何処から来たんだろうか、ひょっとして誰かの体にくっついて一緒にこの部屋に入って来たのか……と貴志が考えている内に、岡田のろれつが回らなくなって、ヘラヘラ笑い出した。
「タカシィクゥン、コンドワ~ノミヤガァ キタワ ネェー」
飲み屋は行くものであって、来ないのである。言ってることが支離滅裂である。
「ナンカ~、アツイワネェ」
そんなわけはない。今、会議室の室温は十八度である。
岡田は完全に酔っ払ったように上着を脱ぎ始めた。
美咲と貴志が慌てて止めに入るが間に合わない。岡田はブラジャー姿になるとバタンと倒れて寝息を立て始めた。
美咲が慌てて壁の非常ボタンを押すと警報音が鳴り始めた。
「この警報は?」
「非常事態が発生した場合、警報はこの建屋に入るなという合図なんですよ。その時はまず室長に連絡して指示に従う。不在なら室長代理に、それでもダメなら次は班長にと連絡手順が決まっているんだけど……」
「全部ダメならどうなります」
「その時は研究本部の沼田所長になります」
あー、成る程と思った。
次に美咲は内線電話で事務棟に連絡を入れた。
しかしいくらコールしても誰も出ない。
「やっぱりもうみんな帰ってしまったのかしら……」
内線電話で繋がる所は全部連絡を入れてみたが誰も出なかった。
この分室は残業がほとんど無いというのはホントのようで、みんな帰ってしまったようだ。
「貴志さん、ここには外線電話が無いので事務棟に行ってきます。みんなをお願いします」
そう言うと美咲は会議室を出て行った。出て行ったのだが一分もしないうちに戻ってきて椅子にへなへなと腰砕けで座り込んだ。
「だめ。だめよ。だめ。あんなのがいたんじゃ事務棟に行けない」
貴志は何のことかまったく理解できなかった。
美咲が外、外と叫ぶので様子を見に会議室を出て事務棟へ向かう。
事務棟へ行くには警備装置付きの扉を抜けるわけだが扉のところに何かいる。白い塊が二、三十匹うねうねとうごめきながら扉の前に固まっていた。
蛇、いや寄生虫の類い?
大小様々な個体の中で、一番でかいのは胴回りが人間の腕ほどもある。
さすがにこれを見た貴志は気分が悪くなり、美咲と同じようにすぐさま会議室へと踵を返した。
「居た、すごくいっぱい居た」
まるで幽霊でも見たかのような慌てた口振りである。
美咲は半べそをかいている。
「他に出口は?」
「搬入出用の大扉があるけど、警報で自動ロックされるの。事務棟に戻らないと操作できないわ。貴志さん、ど、どうしましょう」
貴志はわざと落ち着いて、
「たかがサナダムシのでかいやつじゃないですか。どうにでもなりますって!」
強がっては見せたものの貴志としては正直、気持ちが悪くて虫唾が走るのだ。どうもうねうねされると背筋がぞくぞくとする。
「恐らく奴らもこの寒さでは活発に動けないはずです。二人でスコップですくい上げドアから排除しましょう。もし暴れるやつがいれば僕が対処します。その間に美咲さんはドアを開けて脱出して下さい。そして電話で外部に連絡をお願いします。その間に僕は奴らを処理しますから」
貴志はみんなを早く病院に連れて行きたくて焦っていた。なにせこの生物の毒性は未知なのだ。
美咲は膝がガタガタ震えてなかなか立ち上がれない。
「僕が美咲さんを必ず守ります。一生守ります。ですから安心して立ってください」
貴志はちょっとセリフが臭かったかと恥ずかしく思いつつ、美咲に手を差し伸べた。
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