おかえりなさい③

 速い、さすが最強の黒魔女とうたわれたグレタ。しかも速いだけじゃない、安定した飛翔だ。

 ……それはミルルの箒に慣れたせいか……。


 疾風の如く塔の頂上にまで飛んできた。隙間と言っていいほど小さな窓から、中の様子を覗ってみる。

 ミルルだ。

 カラスとコウモリの翼を広げて、有り余るほど大きな玉座に腰掛けている。鋭い角は前に傾いているから、うつむいているのだ。


 その姿は恐ろしくもあり、寂しくもある。


「中に入るわよ」

「こんな小さな窓から、どうやって……」


 グレタが塔に手をかざすと巨石がひとつひとつ抜けていき、窓は俺たちが通れるほどの大きさになった。

 俺たちが部屋に舞い降りると、抜かれた巨石は落下して、しばらくしてから微かな轟音が響いてきた。


 玉座のミルルが、真っ赤に燃えた瞳を向ける。

 これが最強の魔王と、最強の黒魔女の血筋。目が合っただけで、死を覚悟せずにはいられない。


 グレタは、臆することなく歩み出た。


「ミルル、言ったでしょう? 怒るのはほどほどにって」


 ミルルの瞳が踊った。迷いが見える、寂しさを感じる、優しい心を取り戻そうとしている。


「お父さんも、お母さんも、お祖父ちゃんも、私まで亡くして、悲しいのはわかるわ……。私も、あなたを置いてきたくなかったもの」


 瞳の業火が揺らめいた。憎悪を呼び覚まそうとしているのだ。


「でもね、あなたはひとりじゃないの。こんなに素敵なお父さんが来てくれたじゃない? 誰よりもあなたを想い、誰よりもあなたの幸せを願い、誰よりもあなたを愛している、とても私には敵わない、押しかけだけど本物のお父さんよ?」


 ミルルは俺を凝視した。燃え盛る炎から、青空のように澄んだ瞳が垣間見える。


 一歩、また一歩と歩みを進めたグレタはミルルの前で屈むと、小さな身体を抱き寄せた。


 その瞬間、グレタを瘴気が包み、電弧が走る。黒魔術と白魔術が老いた身体でせめぎ合っているのだ。

 いよいよ、本当に最期のとき。


「ミルル、お家に帰りましょう? お父さんも、お母さんも、私もそばにいる、新しいお父さんが待っている家へ」


 俺は跪いて、両手を広げた。小さな身体を抱きしめたい、折れてしまうくらい、強く、強く。


「……お父様……」


 グレタの肩越しに、今にも泣きじゃくりそうなミルルの見慣れた顔が覗いた。

 角が揮発し、翼はカラスとコウモリ、黒猫にかえっていくと、ミルルはおぼつかない足取りで両手を広げ、俺に向かって駆け出した。

 抱きとめようとして、俺はハッとした。

 ミルルは、グレタの肩をすり抜けたのだ。


 最期のときを悟ったグレタの眼差しは、春風に吹かれて散りゆく花のようだった。

 穏やかにして寂しい時間は、すぐに終わった。魔力を失った石壁に亀裂が走る。その端々が砕け散り、弾け飛んで煙を上げた。


「ミルル、アックス、この塔は崩れるわ。逃げるのよ」


 グレタの箒にミルル、俺の順に跨ると塔の床が崩壊し、奈落の底まで落ちていった。

 カラスとコウモリ、彼らに乗ったクロとともに窓から飛び立ったその瞬間、屋根が力を失って溶けるように崩れ落ちた。

 俺たちは轟音を背に受けて一路、館に向かう。


 魔法で宙に浮いたまま拘束されていたブレイドたちは、地面に落ちた身体を庇いながら起こしていた。

 グレタの魔法が、消えていく。


「アックス! ミルルも! 無事だったか!?」

 よろよろと立ち上がったシノブが、続いてブレイド、レスリーがミルルを囲んで、怪我はないかとしきりにていた。

「心配させて、ごめんなさい……」

 ミルルが気まずそうに作り笑いをして見せると、みんなは安堵の笑みを浮かべた。

「いいんだ、無事であれば。アックスは、大丈夫だな?」

「ああ、それもこれもグレタのお陰だ。改めて礼を言う、グレタ……」


 グレタの姿は、実像と残像を繰り返していた。


「もうくのか……」

「ええ、もう時間のようね」


 ミルルが瞳を潤ませて、消えゆくグレタに駆け寄った。


「お祖母様……もうってしまわれるの?」

「そう、時間は限りがあるものよ。だから悲しい顔はしないで頂戴? ホーリーさんのお陰で会えたの、私が大好きな笑顔で送ってほしいわ。泣くのは、私が消えたあとにして?」

「また……会える?」

「……ずっと見ているわ、信じていて。もし会えなくても、お父さんやお友達がたくさんいるんだから、寂しくなんかないわ、きっと。だから元気でいてね、また会えるその日まで」


 ミルルを撫でる手の平が消えて、棺の蓋が閉じられた。


 ありがとう、グレタ。

 俺を父親と認めてくれて。

 グレタこそ最強の黒魔女にして、最強のお祖母ちゃんだ。


 ミルルが黒衣の袖で、グシグシと涙を拭った。俺はグレタに代わって、父親として小さな身体を抱いた。


「ミルル、家に帰ろう」


 ぐしゃぐしゃに濡れた袖を払って、ミルルは力強くうなずいた。

 おかえり、ミルル。お前が大きくなるまで一緒に暮らそう。


「さぁて! 俺たちは、どうするかな!?」

 ブレイドたちは目的を達成し、根無し草のような清々しい空虚に襲われていた。

 俺も心に、ぽっかりと穴が空いていた。

 薄ら寒い風が吹き抜けると、次には暖かな春風が傷口を舐めてくる。

 すべてが終わって、艷やかな草原へと足を踏み出し、俺たちの新しい日々がはじまる。

 そんな気持ちに、俺は突き動かされた。


「なあ、みんな。提案があるんだが、聞いてくれないか?」

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