ないしょのお話②

 ☆  ☆  ☆


「ホーリー、お前はグレタと戦っていただろう。あれは……」

「グレタと戦うなんて……。私には、降りかかる火の粉を払うので、精一杯で……」


 黒魔女が火を放っていたのだから、グレタが森を燃やした。

 白魔術教会の僧侶が炎に抗っていたから、ホーリーは戦っていた。

 どれもこれも、すべては俺の思い込みだった、そういうことか……。


「そんなときにアックス、あなたが森から逃げて来たの」

「それで、俺を助けたのか」

 ホーリーは唇を噛んで、かぶりを振った。

「違う! 私も森を捨てて逃げたの! グレタに見つかったら殺される……そう思って、あなたを利用したのよ!」


 命を救われ、ともに旅をし、魔物と戦い、助け合った仲間のホーリーが、俺から森も妻も幼い娘までも奪い、グレタに罪をなすりつけ……


 ……そして、ミルルから両親を奪い、天涯孤独の身にしたのだ。


 耐え難い怒りに打ち震え、星の数ほどの言葉が形を成さずに駆け巡った。


 ○  ○  ○


「積もる話があって、ずっと話をしていたんだ」

「それじゃあ、ホーリーはまだ寝ているのか?」

 ブレイドのいぶかしげな視線が、俺の胸を貫いた。血がにじむような生温かさに、身体が締め付けられていく。


 レスリーが狼狽えながらブレイドの肩を掴み、通りへと歩み出る足を止めた。

「おい、どこに行くんだ? 顔も洗わないで」

「ホーリーを迎えに行く」

「ホーリーがどこで寝ていたのか、わからないだろう? アックス、起こしに行ってくれないか」


 俺の脚は、根が張ったように動こうとしない。そんな様子に不信感を募らせていくブレイドは、肩をぶつけて重く静かな小声で問いかけてきた。

「もう一度聞く、ホーリーはどうした?」

 今度は、ホーリーだけではなく、ホーリーと俺の間に何があったかを尋ねている。


 パーティーを率いる身であれば気持ちを見透かすのも容易いことか、それとも俺がわかりやすいのか。

 ブレイドが漂わせている不穏な空気がレスリーにもシノブにも、ねっとりとまとわりつく。

 今の俺に、ホーリーを迎えに行くことは期待されていない。それよりも、ホーリーと俺との間に起きたことが求められた。


 わかってくれ、ブレイド。

『知らないままの方がいい、そういうことだってある』

 そう言ったのはお前たちじゃないか。

 真実は、お前たちの旅を阻むことになる。

 すべてを知ることが、幸せとは限らない。


 膠着した俺たちを突き動かしたのは、すっかり聞き慣れた甲高くハキハキとした声だった。


「アックス! 朝ごはんは、みんなで食べるものよ! ホーリーお姉様を起こしてきて頂戴!」


 まったく、ミルルには敵わないな。さすが最強の魔女だ。

 仁王立ちして、ぷぅっと膨れるミルルの姿を前にして、自ら掛けた枷が解け、苦笑いは穏やかな微笑みに変わっていった。


 ☆  ☆  ☆


 すがる立場を守るために犯した罪、そして嘘。


 聖職者として?


 聖職者だから?


 すかさず俺は、ホーリーの襟首を締めんばかりに掴み取った。

「何故!? すぐに火を消さなかった!!」

「聖職者として……ふたりを助けることが出来なかった……」

「何故!? グレタに罪をなすりつけた!!」

「聖職者だから……黒魔女を赦すことが出来なかった……」

「何故!? 俺をあざむいた!!」


 ホーリーは、罪の重さに押し潰された。焦点を失っていた瞳は、怒れる俺を映し出し、身体中の水分が抜けてしまいそうなほど、涙を溢れさせていた。


「聖職者なのに……私は……聖職者なのに……」


 絞り出された嗚咽と涙は、留まることを知らなかった。白く細い両手だけでは抑えきれない激情が堰を切り、堤を崩し、濁流の底へと押し流していった。


「ごめんなさい……アックス……あなたから森も奥様も、幼い娘までも奪ってしまい……」

 口を突くいとまもないほどに湧き上がってきた言葉たちが、俺とホーリーの間を飛び交って、俺たちふたりを浅く、無限に切りつけた。


「アックス……あの錬金術師と魔女は、ミルルの両親なのね? 私は、あなただけでなく、ミルルからも大切なものを……」

 俺が黙ってうなずくと、残酷な真実がホーリーの首を締め上げた。飛び交う言葉のどれかひとつを拾い上げ、口から放てばホーリーは無惨に斬り裂かれるだろう。


「グレタに罪を負わせ、亡き者にしようと……私は……」

 ホーリーは重圧の末、聖職者からひとりの人間に回帰していた。信じる道を真摯に辿ったが故に残虐な選択をした後悔が、彼女を奈落の底に封じ込めた。


 もうホーリーは、僧侶ではいられないだろう。

 この旅が終わったら、もしかしたら明日にでも還俗げんぞくしてしまうかも知れない。

 信仰は両刃の剣だ。どう足掻いても解消しない命題に迷わされたとき、人の心を救い出す。が、それが人として誤った道であっても、一切の迷いなく導いてしまう。

 ホーリーのような信頼の厚い真面目な聖職者であれば、尚更だ。


 そのホーリーは、俺に首筋を差し出した。


「アックス、私を断罪してください」

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