ご近所さんができたよ①

 森の入口でミルルが仁王立ちでフンッ! と鼻を鳴らして空を見上げた。

「ちょっと! ベルゼウスさん!?」

 途端に空が暗くなり黒いもやが形を成すと、いつものようにベルゼウスが姿を見せた。


『我が名はベル「どういうつもりなの!?」

と、魔王の台詞に被せるくらい怒っている。


『……何のことだ』

「黙ってマンドラゴラを植えたでしょう!? 私もアックスも一晩中、畑で気絶していたのよ!!」


 魔王への苦情申し立てである。

 これが魔物やモンスターなら命はないし、ブレイドのような白魔術世界の人間であれば、勝負を挑むに違いない。

 ミルルの世話をしていなければ、俺もその立場にあったのだ。


 しかし相手は目に入れても痛くない孫娘。叱責されても困惑して落胆して、悲しく寂しくガッカリと凹むだけだ。

『すまん』

 まさか素直に謝るとは思わなかった。これでも一応、魔王だぞ?


『ミルルよ、マンドラゴラをどうした』

「お母様に教わったレシピで、アックスがスープにしてくれたの。灰汁あくがたくさん出て、取るのが大変だったけど、美味しかったわ」

『それは素晴らしい……フハハハハ!』

 ベルゼウスは肩を弾ませて喜んでいる。不気味な笑い方だが、植えた野菜を孫に美味しく食べてもらえて、純粋に嬉しいのだろう。


「まぁ、お母様ほどじゃないけどね」

『おのれアックス』

 俺だけが竜巻に襲われて、幾筋もの落雷が檻となって囚われた。

「やめてくれ! 次はもっと美味く作る!」

『アックス、精進するがよい! フハハハハ!!』

 竜巻も雷も、ピタリと止んだ。焼けた土の匂いが立ち上り、恐怖の余韻を成している。


 料理が自慢だった母の味に敵うなど、まったく無茶を言ってくれる。祖父だと打ち明け、お抱え料理人にでも再現させればいい──


 ──ダメだダメだ。

 魔王と魔女の血を引き、史上最強の魔力を持ちながら制御出来ない魔女ミルル。それが魔王の下で育っては、世界はひっくり返って破滅する。

 勇者ブレイド、一刻も早くベルゼウスを倒してくれ。孫を寄越せと言い出す前に……。


「ミルル、気が済んだか?」

「もういいわ、お家に帰りましょう」

「さて、今日は雨漏りの修理を……」

 森の奥から響き渡る乾いた音が、耳から郷愁をくすぐった。その懐かしさに屋根修理の気持ちは削がれ、視線は木立の向こうへ引き寄せられた。


 これは木を切り、削り、組み立てている音だ。


「森に誰か住んでいるぞ」

「ご近所さんだわ! ご挨拶しないと!」

 喜び勇んで森に入るミルルの手を引いた。怖さを知らないこと、それに勝る恐ろしさはない。


「闇雲に入ると迷うぞ。小川を辿って歩こう」

「そんな遠回りしたら、お会い出来ないかも知れないわ」

「水がなければ生きていけないのは、みんな同じだ。川のそばで暮らしているに違いない」


 森を歩いている俺は、緩んだ頬をどうすることも出来なかった。

 ほどよく保たれる湿度、木が放つ微かな体温、優しく降り注ぐ木漏れ陽、ほんのり立ち上る土の吐息、しっとりと包む青葉の香り、くすぐったい小川のせせらぎ──。

 何もかもが、懐かしい……。


「アックス、嬉しそうね」

「懐かしいんだ。俺は元々、森で暮らしていたからな」

「そう? 作った甲斐があったっていうものね」

「まったく、ミルル様々だな。ただ、森のことは作ったミルルより、俺のほうが詳しいぞ」


 ブレイドたちと森を探検したこともあったが、いつ現れるかわからないモンスターに気を張っていたから、こんな感覚は久しぶりだ。


 ……おかしい。

 昨日までは、おどろおどろしいモンスターの森だったはず。こんなに明るい雰囲気は、まったくなかった。

 森に異変が起きている、俺にとっては大歓迎の変化だが……。


 小川に沿って森を進むうち、様相を変えた原因と思えるものに出くわした。

 ドワーフだ。

 彼らが森を切り開いて暮らしはじめたことで、明るく変化したのだろう。もしかしたら、どこかにエルフがいるのかも知れない。


 倒木を切り出し、小柄な彼らに合った家を建てている。そこかしこで家具を作っているが、どれもこれも小さい。

 だが、さすが器用だ。その手さばきに惚れ惚れと見とれてしまう。


「こんにちは!」

「よぅ! こんな可愛い嬢ちゃんがいたのか!」


 ドワーフたちは手を止めて、俺たちを興味深そうに囲んだ。誰も彼も小柄だから、俺はもちろんミルルまでも見上げられる格好だ。


「こんな森があったなんて、知らなかったぜ」

「ここの木は、みんな質がいい。家だろうと家具だろうと、何をするにも持って来いだ」

「本当にいい森だな。当分、住むことにするぜ」

 称賛を得て鼻が高いミルルである。そんな態度にドワーフたちは、不思議そうに首を傾げた。


「喜んでもらえて、嬉しいわ。好きなだけ暮らしてね」

「何でぇ、嬢ちゃんの森なのかい?」

 ゲラゲラと笑い転げるドワーフたちに、ミルルは聞いて驚けという態度をとった。


「そうよ。私が昨日、作ったの」

「昨日だって? バカ言っちゃいけねぇ。こんなに深い森が、そんな簡単に出来るわけ……」

 ドワーフたちは続く言葉を失った。

 青ざめ、引きつり、自慢の髭が逆立って、大工道具に手が伸びる。


「私はミルル、黒魔女グレタの孫よ」

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