第4話 レンズ

 大きなレンズが横に移動して、カメラマンの顔が現れた。


「緊張してる? 普段みたいに笑ってくれたらいいよ」


「普段も、笑いません」


 わたしの答えに、カメラマンはぷっと吹き出した。


「何かおかしいですか?」


 思わずわたしは抗議した。森川と名乗ったカメラマンは、ひょろりと背が高く、大学生のような格好をしている。もらった名刺に書いてあったプロフィールを見ると、わたしよりも五歳年上だったが、そうは見えなかった。大きなカメラを首から提げていなければ、アルバイトの学生にしか見えないだろう。


「さっき、先に撮ってきたんだよね、うつわの方を。で、どんな人が作ってるんだろうと思ってたら」


 言葉を一度切って、森川は再びカメラを構えた。


「あなた、そっくりだ。うつわと」


「どういうことですか?」


 むきになって聞き返した。相手のペースに乗せられていることが分かっていても止められなかった。


「どういうことか口で説明できたら、俺はこんな重い機械をぶらさげてないよ」


 シャッターを押さずにカメラを下ろすと、森川は、うーん、とうなって首をかしげた。


「よし、あなたの工房で撮ろう。俺、ちょっと編集長に交渉してくる」


 止める間もなく森川はさっさと部屋を出ていった。わたしは途方に暮れて、緊張して座っていた姿勢を崩す。テーブルにひじをつく。取材なんて受けなければよかった。


 わたしの目の前には、作品が配置されている。手をのばし、小皿をつまみあげてみる。触れた瞬間に、その皿を引いたときの情景がありありと思い浮かんだ。主張が強い土だった。扱いに困って、何度もやりなおした。当時はとても満足していたその皿も、今は何となく物足りない。今ならもっと、土の声を引き出せるような気がする。いらないものをそぎ落とせる気がする。


 うつわにそっくり、という森川の言葉を、悪くないと思った。このうつわは、わたしと飯沼の子供たちだ。

 本当は、人前に出て、写真を撮られたり何かを語ったりするのは好きじゃない。でも、雑誌に掲載されれば、飯沼の目に留まるかもしれないと思ったから引き受けた。

 わたしが中学を卒業して一か月も経たないうちに、瑞穂は飯沼と別れた。飯沼が今どこで何をやっているのか、瑞穂も知らないと言う。あの工房には、今はもう誰も住んでいない。

 この記事が掲載されるのは陶芸の専門誌ではなく、ライフスタイルを提案する女性向けの雑誌だから、飯沼が手に取ることは期待できないだろう。でも、可能性が少しでもあるなら何でもしたかった。


 ばたばたと足音をたてて、森川がようやく戻ってきた。


「さあ、日が落ちる前に、移動しよう」


 生き生きと目が輝いている。さっきまでと別人のようだ。


「工房で撮った写真を掲載するんですか?」


 工房はお世辞にもきれいとは言い難い。ほこりっぽくて、飾り気がない。そんな場所で土まみれになって作陶している女の写真なんて、この雑誌には似合わない。


「いや、掲載はされない」


 わたしは混乱して、森川を見つめた。


「勝手にやれってさ。陶子さんの許可が出たらね。だから、さっさとこっちを済ませて移動する」


 森川はてきぱきと動いて照明を調整していく。


「許可を出した覚えはないです」


「大丈夫。あなた、工房で撮ったほうが絶対いいから」


 会話がかみ合っていない。どう反論しようか迷っていると、森川がカメラを構えて、真剣な顔をした。とたんに空気が変わった。


「その姿勢でいい。少しあご引いて、端に置いてあるお皿を見て」


 言われたとおりに視線を移動する。さっき自分で載せた皿の位置が少し歪んでいた。あ、と思ったらシャッターを切られた。


「そのまま動かないで」


 何度かシャッター音が鳴り響いた。


「はい、オッケー」


 と、言って、森川はカメラを降ろした。あっけなかった。


「これでよかったんですか」


「ばっちり。ばっちり。あなた綺麗だから絵になるよ。こういう撮り方ならいくらでもできる」


 じゃあ行こうか、と、森川は大きな鞄を重そうにかつぎ上げた。


「どうして」


 わたしは尋ねた。そのあとの言葉が続かなかった。


「撮りたいものに久々に出会ったから」


 と、森川は答えた。ふたりでエレベーターに乗りこむ。森川はうっすらと汗をかいていた。どこかなつかしい匂いがした。飯沼とふたりで工房にこもっていたときのことを思い出した。



 一ヶ月後、雑誌が届いた。一風変わったデザインの食器が並ぶテーブルの向こうに座り、いとおしそうな目で作品を眺めて微笑んでいる女性。それが、わたしだった。笑った覚えなんてないのに、騙されたみたいだった。

 工房で撮った写真は、しばらくあとに、森川から直接送られてきた。薄暗い明かりの中で、一心に作陶する姿は鬼気迫っていて、何かにとりつかれているかのようだった。まるで飯沼みたいだと思った。


「この写真を公募の賞に送っても構わないかな」


 電話をかけてきて、遠慮がちに、森川は言った。


「入選するかどうかは分からないけれど、納得がいくものが撮れたから」


 構わない、と答えて、写真に目を落とす。この写真を飯沼に見てもらいたい。賞を獲れば、目に触れることもあるかもしれない。


「ところで、編集長がまたあなたを特集したいと言っていた。先月の記事が好評だったそうだ」


 そういえば、問い合わせの電話も増えた。作品を卸しているショップからも、追加の注文が相次いでいる。まさか、こんなに効果が出るとは思わなかった。もちろん雑誌のブランドイメージのおかげだが、森川の写真でなければ、ここまで反響は出なかっただろう。あとで知ったことだが、瑞穂の店に置いてあったあの本の表紙も、森川が撮ったものだった。


「編集長があなたのうつわをなんて評価してるか、知ってる?」


 わたしの答えを待たずに、森川は続けた。


「何を載せても合わない」


 思わず、わたしは吹き出した。その言葉は、わたしのうつわの特徴をよく言い当てている。


「それって、うつわとしてどうなんですか、って俺がきいたら、そこがいいのよって力説されたよ」


 熱弁をふるう編集長と、あきれ顔の森川の姿が思い浮かんで、おかしかった。


「笑ってるね」


 電話の向こうで森川が言った。


「今度はその顔を、撮らせてよ」

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