第44話 雨曝しなら濡れるがいいさ
試合は膠着状態で進む。
翼の投球内容としては、3回表にまた橋目にツーベースヒットを打たれたが後続を断って無失点。
一方で打線の方はフォークを織り交ぜてきた広幡の前に沈黙している。
依然としてスコアは0-1、光栄学院の1点ビハインド。
善戦しているといえば善戦しているが、なかなか点の入らないもどかしさがどんどん積もっていく。
◆
5回表が始まる直前、異変が起こりはじめる。
「……雨、降ってきた」
ベンチ前で杏里とキャッチボールをしていた爽が、降り出した雨に真っ先に気がついた。
「おいおい……、突然降り出した割に雨脚が激しいじゃないか……。サーヤ、一旦キャッチボールはやめだ、ベンチに戻ろう」
杏里がグローブを傘代わりにしながらベンチへ戻って来る。
スコールと形容しても良いような激しい雨だ。ここ数年、こんなゲリラ的な雨がよくある。
審判も一時ゲームを止めた。
こういう雨は勢いこそ激しいが、しばらくすると止むことが多い。両チームベンチに戻ってしばしの雨宿りだ。
「……ったく、調子が出てきたのに文字通り水を差されちまったぜ。雨はどうしても好きになれねえな」
マウンドから一時退却してきた翼がベンチに腰掛ける。
気持ちで投げるタイプの投手だけに、こういう長い中断は今後の投球に影響を及ぼしかねない。
出来るだけ早く雨には止んでもらいたいところだ。
『雨が止んだら足元に注意だ。硬球は特に水分でバウンドが変わる。内野手は最後までボールから注意を切るなよ』
軟式野球のゴム製ボールとは違い、革と糸で出来た硬球は水分を吸収しやすい。
一度水分を吸収したボールは乾燥時の面影が全くと言っていいほど無くなる。もはや別競技をプレーしているようなものだ。
夏の大会では雨天になるケースも沢山あるだろう。
硬式野球の経験が薄い僕らにとっては、本大会前に雨を経験することが出来たのはありがたい。
この状況で上手いこと相手を抑えることが出来れば、それは大きな大きな経験値になるだろう。
逆に言えば、ここで崩れてしまうと雨が苦手であるという意識を自分たちで植え付けてしまうことにもなりかねない。ここは慎重にいくしかない。
◆
10分もすると雨脚が弱まってきた。
日進女子の部員たちがグラウンドに出てきてせっせと整備を始め、あっという間にグラウンドコンディションは回復した。
『――よし、試合再開だ。気を取り直して行こう!』
ナインたちが守備に戻り、打席にはこの回の先頭である6番打者が入った。
しかし、僕の嫌な予感は的中する。
雨のせいなのか中断のせいなのか定かだはないが、翼が急にボール先行の投球になり始めたのだ。
「――ボール、フォア!」
先頭打者がフォアボールで出ると、続く7番打者はバントの構え。
確実に送りたい場面であるので、翼の投球とともに一塁手と三塁手が猛チャージをかける。
バットに当たったボールは三塁線を転がる。
本来ならば翼の球威を殺して転がすのはなかなか難しいのだが、雨の影響でボールは程よく勢いを失いながら地を這った。
「――サード!ボール
転がるボールを見て翼が指示を出す。
しかし三塁手の響子は欲が出てしまったのか、相手の進塁を潰すために二塁へと送球してしまった。
一塁ランナーはスタートをかけていたので、判定は誰が見ても明らか。
「セーフ!!」
記録は三塁手の
ほぼエラーに近い野選と言ってもいい。
雨と中断の影響なのか、野手陣も集中が切れてしまったのだろう。
「…………ご、ごめん翼」
「……仕方ねえさ。そういうこともある」
翼はグッとなにかを堪える。
ぶちまけたい気持ちはあるのだろうが、ここで吐き出しても意味がない。
ノーアウトランナー1,2塁、この試合初めての複数人ランナーを背負う。
ここで危惧するべきはランナーを溜めた状態で1番の橋目を迎えることだ。
橋目は完全に今日の翼のボールを捉えていて、おそらくストライクゾーンに投げようものなら容赦なくヒットにしてくるだろう。
出来ればランナーがいない状態、最悪でも敬遠出来るよう塁に余裕が欲しい。
しかし、なかなか思い通りにはいかない。
翼は続く8番打者を三振に取るが、9番打者には痛恨のデッドボールを当ててしまった。
これでワンナウト満塁。
最悪の状態で橋目を迎えることになった。
『……爽、伝令に行ってくれ』
「……わかった」
この試合2回目となる守備のタイムをとる。
伝令役にはこれまた雅ではなく爽。耳打ちをして作戦を伝えると、彼女は表情ひとつ変えずマウンドへ向かっていった。
雅のことを毛嫌いしているわけではない。
ただ、この指示をナインに伝えるのはおそらく爽でないと無理だ。
「――んで?
「……あの1番打者とは勝負しない」
マウンドで爽はまるで音声案内のような無機質な口調で皆にそう告げる。
もちろんナインからは驚きの声が上がる。
無理もない。
僕が指示した作戦は『満塁だが申告敬遠をする』という、誰がどう考えてもトチ狂った作戦なのだから。
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