第25話 大将vs王様

 翌日の練習、ユニフォーム姿の杏里がグラウンドで待ち構えていた。

 昨日道端で倒れていたあの姿からは想像がつかないような凛々しい表情でマウンドに仁王立ちしている。


「待っていたぞ竜美翼!さあエースの座を明け渡してもらおうか!」


 ちょうどグラウンド入りした翼に対して威勢よく杏里が言い放つ。

 古来、決闘を申し込むときなんていうのはこんな雰囲気だったのだろう。


 名指しでエースの座を寄越せと言われた翼は、突然の事態に驚いたのか、それとも聞く耳を持っていなかったのか、杏里の宣戦布告をスルーしてウォームアップを始めようとした。


「お、おい!無視するなんてひどいじゃないか!言っておくけどボクは本気だぞ!今度こそお前からエースの座を――」


「うるせえ」


 翼は冷たく一蹴する。


 やっぱりそうだ、間違いなくこの2人はめちゃくちゃ仲が悪い。少なくとも翼は杏里のことなど眼中にないのだろう。


 僕はこの険悪な雰囲気をなんとかしようと気の利いた言葉を捻り出そうとするのだが、あいにくそんなユーモアは持ち合わせていない。

 こういうときは『おしゃべり界の98年横浜ベイスターズマシンガン打線』こと藤川雅に頼るに限る。


「いや、昔からあの2人はあんな感じっすから。今更何言っても無駄っす」


「そんな……、せっかくチームに救世主が来たと思ったのに、こんな雰囲気じゃ練習すらやりにくくなるじゃないか」


「大丈夫っす、だいたいの場合は杏里が返り討ちにあって終了っすから。成り行きに任せるのが一番っす」


 僕はがっくりとうなだれた。

 頼みの綱が綱ではなくてツナだった気分だ。

 雅の言う通り、成り行きに任せるしかない。


 しかしそんなことなどつゆ知らず、杏里は勝手にヒートアップしていく。


「うるさいだと!?そんなエースの座にふんぞり返っているのも今のうちだぞ竜美翼!今からボクと勝負しろ!」


「……するわけねえだろ。これから練習だ」


「ははーん、そうやってボクから逃げようってのかい。もしかしてもしかして、久しぶりに会ったボクに負けるのが怖いのかい?」


 人間なにか一つぐらい才能があるものだが、こと杏里に関して言えば人の感情を逆撫でする才能があると思う。

 いかにも返り討ちにあいそうな噛ませ犬感、謎の自信、その声や言い方、これで煽られてキレない奴はガンジーの後継者候補の最右翼だ。


「黙れ」


 翼は言葉少なに怒りをあらわにする。

 おそらくかなり怒りをコントロールしてこの程度に抑えているのだろう。


 流石に険悪すぎるので僕が間に入ることにした。このまま練習すら行われなくなってしまったらそれこそまずい。


「まあまあ……、いがみ合ってる経緯いきさつはよくわかんないけどさ、とりあえず杏里の球筋くらい見ても良いんじゃないか?翼だって久しぶりに会うんだろ?」


 世の中には『男子三日会わざれば刮目してみよ』なんて言葉があるが、女子だってそうだろう。

 ましてや3日どころか年単位で会っていないのだ。成長期の女子なら大化けしている可能性だって大いにある。


「……ちっ、監督あんたが言うなら仕方がねえな。1打席だけ立ってやるよ」


 意外にも翼は素直に話を聞いてくれた。


 嫌々そうにバットケースから愛用している重めのバットを取り出し、ヘルメットをかぶった翼は、右打席に入って足場を慣らす。

 いつの間にかキャッチャーの林檎と球審の爽も準備を整え終えていて、いよいよ杏里と翼の勝負が始まろうとしていた。


「ふんっ、バッティング用の手袋もプロテクターも無しとは……。あんまりナメてもらっちゃ困るんだよね。今までのボクとは違うんだ」


「つべこべ言ってねーで早く投げろ。練習時間が勿体無いだろうが」


 杏里は握っていたロジンバッグをマウンドに投げ捨てると、セットポジションから投球モーションに入る。


「それじゃあ、ボクのボールをとくと味わうがいい!」


 左投げのサイドハンド。


 打者から見るとピッチャーズプレートのかなり右寄りに位置どった杏里から、対角線をえぐるようなストレート――クロスファイアが翼の足元へ投げ込まれた。


「クソッ!打ちにくいっ!」


 翼はインコース低めの難しいところを強引に当てにいく。

 その打球は三塁方向のファールゾーンへ力なく飛んでいった。


「おいおい、あれだけバカにしていたボクの真っすぐに差し込まれているんじゃないかい?」


「あ?バカ言うな、思った以上に遅すぎてタイミングが合わなかっただけだ」


 翼の豪速球を毎日見ているので感覚がバグっているが、別に杏里のストレートも遅くはない。


 横投げからのあのクロスファイアはなかなか打てる球ではないし、それを苦し紛れにファールにするのもなかなかだ。この勝負は見応えがある。


「それじゃあ、こいつならどうかな」


 杏里が2球目を放る。

 その球は先程よりも幾分緩く、右打者である翼のアウトコース低めに逃げるように沈んでいく。


「……ストライク」


 球審の爽がぼそっとコールする。

 爽の判定はかなり正確なので、ぎりぎりゾーンをかすめたのは間違いないだろう。


 2球目の正体はシンカー。

 サイドスロー投手の生命線とも言える変化球で、杏里のそれは『キレて曲がる』というより『ずっしり沈んでいく』という表現がぴったりだろう。


「へっ、しょっぺえ逃げの変化球なんて使いやがって。次同じ球が来たらスタンドインだな」


「手が出なかったくせによく言うよ。次でおしまいにしてやる」


 杏里は初球と同じくピッチャーズプレートの右端に立ってモーションに入る。

 決め球はやはり初球と同じクロスファイアか。


 僕はそう思っていたのだが、杏里から3球目が放たれた瞬間にその予想は覆される。


 今までの2球に比べてリリースポイントが少しだけ早かったのだ。てっきり僕はボールに指がかかりきらずにすっぽ抜けてしまったのかと思っていたが、そうではない。


「くっ……!遅過ぎるっ……!」


 翼はストレートにタイミングを合わせていたのか、完全に打撃フォームを崩してしまった。


 杏里が放ったのはクロスファイアでもなければシンカーでもない。

 それよりもさらに遅くて変化量の大きなドロップカーブだ。


 恐ろしく回転がかかったボールは、大外高めから打席に立つ翼の右足つま先目がけて曲がって来る。『弧を描く軌道』というのはまさにこのことであろう。


 もちろんボール翼のバットに当たることはなく、空振り三振。1打席勝負は杏里に軍配が上がった。


「どうだ!これがアメリカで修行したボクの成果だよ。さあ翼、エースの座を譲ってもらおうか」


 翼を三振に取ったのが余程嬉しかったのか、杏里はかなり気が大きくなっている。まるで敵国の大将の首を獲ったかのような、そんな高揚感に彼女は陶酔していた。


「……勝手にしろ」


 翼はそう一言だけ吐き捨てると、道具を片付けてグラウンドを出ようとした。

 この状況はまずいと思ったのか、すぐさま雅が翼を止めに入る。


「ちょ、ちょっと翼ちゃん!どこ行くんすか!」


「今日は帰る。やる気が失せた」


「帰るって……、明日練習試合なのに準備しなくていいんすか!?」


「別にいいだろ。明日はそこの『エース様』が投げりゃいい」


 不思議と翼は悔しそうな表情をしていなかった。むしろ、何かを諦めてしまったかのような冷めた顔で、早くこの場を立ち去りたいと訴えているようにも見える。


「おやおや、三球三振で敗走とはエースも大したことないねぇ。じゃあ遠慮なく、明日の練習試合はボクが投げさせて貰うよ」


「勝手にしろ、じゃあな」


 雅が去って行く翼のあとを追いかけたが、結局この日は戻ってこなかった。

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