第18話 カロリーメイトとライパチ

 12km地点を過ぎたあたりで後方集団に異変があった。

 それまでなんとか食らいついていた爽が完全にダウンしてしまったのだ。


 僕は遠くから爽が座り込む姿を確認した。念の為、怪我などしていないかチェックしに行こう。


 そう思って爽の方に近づこうとすると、先に行ってしまった後方集団の中から一人、爽のもとに駆け寄ってきた。


「矢作さん!大丈夫?」


 現れたのはパチ美こと美合みあい野々香ののか

 僕は慌てて物陰に隠れ、2人の様子を見守ることにした。

 これはチャンス。僕は2人がどんな会話を交わすか興味津々だ。


「……大丈夫、少し休めばまた走れる」


「で、でも……、もうずっとそんな感じだし無理しないほうが……。怪我でもしたら大変だし」


 野々香は純粋に爽のことを心配していた。

 ポジションを争うライバルとしてではない、ただ一緒に野球をする仲間という意識で彼女は爽に接しているように見える。


「……問題ない。それより、あなたは早く先に行くべき」


「そんな……、矢作さんを無視して行けるわけないじゃない。こんなに苦しそうにしているのに……」


「……でもそれはあなたにとって、好都合でしょう?」


「ど、どういうこと……?」


 爽は突き放すような言い方をしている。疲れていてそこまで思考が回らないせいもあるだろうが、これではちょっとぶっきらぼう過ぎる。


「……私がこのまま脱落すれば、あなたはおそらくレギュラーになる。私をここで助けるのは、理に適っていない」


 野々香から親切心で差し伸べられた手を、爽は利害関係だけで跳ね除けてしまった。

 今まで所属してきたチームでは友達が上手く出来ず、もしかしたら爽は他人に対して少し疑り深くなっているのかもしれない。


「レギュラーって……。確かに試合には出たいけど……、苦しんでる矢作さんを見捨ててまでレギュラーなんて獲りたくないよ」


「それでは困る」


「……どうして?」


「私に友達が出来なくなるから」


 野々香は爽の言っていることがイマイチ理解できずに首を傾げた。


 毎度思うが、爽は説明するときに言葉が足りなすぎやしないかと思う。最小限の言葉は簡潔に伝わる分、あらぬ誤解を生みかねない。


 ……それにしたってこの少ない言葉数できちんと会話を理解しろと言う方が無理だ。誰でも野々香みたいになるだろう。


「私は、今まで色々なチームの和を乱してきた」


「……それって、他の人からレギュラーを奪って来たからってこと?」


「そう。そうして私は馴染めなくなって何度もチームを出ざるを得なくなった。だから私には友達がいない」


「………」


 野々香は爽の言い分に対して何かモヤモヤしているように見えた。言いたいことがあるのだろうけれども、言葉が見つからなくてもどかしいというそんな感じ。

 それ以前にこの会話で爽の意図を少しでも汲み取れているのが凄いんだけど。野々香は只者じゃないかもしれない。


 一方で、爽は早く行けという眼差しで野々香を見つめる。


 少しの沈黙が流れたあと、野々香はやっと口を開いた。


「矢作さん。これは私の勝手な考えなんだけど、ちょっと聞いてほしい」


「……わかった」


「多分ね……、多分だけどね、矢作さんが今まで友達が出来なかったっていうのは、レギュラーを奪ったからじゃないと思うんだ」


 爽はそう言われて少し目を見開いた。表情に乏しい彼女だが、誰にでも明らかに驚いたことがわかるそんな表情の変化だ。


「それは……、何故?」


「矢作さんはね、ちょっと言葉が足りないんだよ。確かに間違えたことは言ってないんだけど、捉え方によっては誤解しちゃうようなそんな言葉の使い方というか……。うーん、説明が下手でごめん!」


 野々香、僕の言いたいことを全部言ってくれてありがとう。君のそういうホスピタリティ的な部分はおそらくチーム随一だ。


「だからみんなとのコミュニケーションをするときに、大切な自分の気持ちがうまく伝わらなくて友達が上手くできないってことになっちゃうんだよ」


「そう……、なの?」


「そうだよ。……実際今の会話だって私から色々聞かなかったら誤解を生んだままになっていたかもしれないし」


 爽は自分のコミュニケーション能力の低さについて面と向かって言われてしまって、少ししょんぼりとしている。

 今の今までこのようなコミュニケーションの壁にまともにぶつかったことがなったのだろう。爽はどう身を振るべきか迷っている違いない。


「私は……、どうしたらいい?」


「私としてはね、もっと素直に立ち振る舞えばいいと思うの。――例えば今、私に助けを求めてみたりするとか」


 爽はちょっと恥ずかしそうにしている。

 人に頼ったり、弱みを見せるというのはなかなか勇気がいるものだ。


「矢作さんはどちらかというと頼られる側で、しかも完璧超人みたいだったでしょ?だから、今は逆に私に頼ってみるの」


「それは……、迷惑がかかる」


「迷惑なんかじゃないって、人に頼られるって結構嬉しいものなんだよ?」


 爽は確かにそうだなと納得していた。


 確かに今まで色々なチームの助っ人をしてきたので、基本的に他の人から頼られること自体は嫌いではないのだろう。むしろ好きじゃないと、他人のために助っ人なんて出来ない。


「確かに……、そうかも」


「でしょ?だからここは、私に頼ってみない?」


 野々香は改めて爽へ手を差し伸べる。


 今度こそ爽はその差し伸べられた手を跳ね除けることはせず、そっと野々香の手をとった。


「ゆっくり走って一緒にゴールしようよ。もし遅くなって監督に怒られたとしても、2人なら怖くないでしょ?」


 爽はコクリと頷くと、重い腰を上げてパチ美とともにゆっくりと走り出した。あと3km、このペースでも日が暮れる前にはなんとかゴールできるだろう。


「あの……、ありがとう。美合さん」


「いいのいいの。でもせっかくだし『美合さん』じゃない呼び方がいいな」


「じゃあ、野々香」


 いきなり呼び捨てかよ爽、距離感がチャラすぎるだろ。


「そ、それはそれで恥ずかしいかも……。みんなと同じく『パチ美』でいいんだよ?」


「それは嫌、野々香って呼ぶ」


 爽の頑固な姿勢に思わず野々香は顔を赤らめて恥ずかしがる。野々香にもあんな一面があるんだな。


 やっぱり自分では部員の本音を聞き出すのには限界がある。こうして物陰から見守ることも監督として時には必要なのかもしれない。


「……んもー、わかったわかった。じゃあ私も爽って呼ぶから!覚悟しといてね!」


 もうヤケだとばかりにカラ元気になる野々香。これはこれで青春って感じがしてとても羨ましい。


 どうやら僕の出る幕はなさそうだ。万一モメてしまったときの為にクラウチングスタートみたいな構えをしてはいたけれども、スタートの号砲が鳴らなくてホッとした。


「……そういえば爽、漫画とかアニメとかは好き?」


 走りを再開してすぐ、野々香が質問を投げかけた。


「割と好き。最近のイチオシは『鬼滅迴戦』」


「えっ!?ほんと!??私もそれにハマってて――」


 まさかまさかで野々香と爽は漫画の話に没頭し始めた。そんな共通の趣味があったのか。


「……やっぱりそうだよね!主人公は右側だよね!」


「……解釈一致で助かった」


「でも原作ではもう二人の絡みは見られないのよね……。私の推しはもう……」


「崩御あらせられた」


 いやなんの話なんだ?『主人公は右側』とか、『推しが崩御』とか言葉のクセがありすぎるだろ。そもそも皇族以外に『崩御』が使われるのは初めて見た。


 ……まあ、結果的に爽と野々香が仲良くなったから良しとしようか。

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