第15話 ライパチ

「――というわけで、今日からうちの部に矢作爽が入部することになった。みんなよろしく頼むな」


「……よろしく」


 練習前に皆を集めて爽が入部する旨を伝えると、部員はざわめき始める。


「おい、矢作爽っていえば助っ人専門だろ?入部するっつったって期間限定なんじゃないのか?」


 先陣を切って翼が言う。おそらく他の皆も大体似たような事を思っているだろう。


「期間はみんなの最後の夏の大会が終わるまでだ。つまり実質無期限」


『無期限』というワードに皆はさらに驚く。実績と信頼性は申し分ない爽がチームに無期限加入するのだ。これほどの補強は無い。


「マジかよ……、一体どんな手を使ったんだ監督さんよ……。金でも積んだのか……?」


「そんなわけ無いだろ。正当な交渉をしたまでだ」


 翼は驚きと疑念のこもった表情で聞いてくる。まるで僕が悪人みたいじゃないか。


 しかし、間違いなく金は一銭たりとも出していない。クリーンな交渉だ。

 ……強いて言えば積んだのはお金ではなくみんな大好き大塚製薬のカロリーメイト(チョコレート味)。明大寺先生から貰ったものを右から左へ流しただけなので、実質コストゼロ。さらには食料の廃棄も起きないというSDGsのお手本みたいなやり方だ、文句ないだろう。


 こんなミーティングでダラダラお喋りするより、とにかく一緒に練習してチームに馴染んでもらうのが先決だ。

 僕は皆をバラすと、すぐに練習を始めるように指示を出す。

 一通りウォーミングアップをこなしたので、まずは手始めに守備を見せてもらおうか。


「よーし、じゃあ外野ノック行くぞー。レギュラー3人と、爽と雅も外野に集合な」


「はいっす!」


「……わかった」


 外野手全員が揃ったので、手始めにレギュラー陣からノックを始めよう。1番手はレフトを守る針崎はりさき華音かのん。愛称は『のんちゃん』。

 僕は右手でノックバットを持って、左手でボールを上に放り投げる。そして落下してきたところをフルスイングで叩いた。打球は放物線を描いてセンターの定位置から少し後ろに落ちてくる。


「オーライ」


 華音は素早く落下点に入るとグラブを差し出して捕球する。野球の教則本を読んでいるかのような基本に忠実なプレーだ。見ていて安心できる。


「よーしナイスキャッチだ。じゃあ次行くぞ」


 次はセンターを守る夏山なつやましおり。愛称は『しおりん』。

 僕は先程と同じようにセンターめがけてボールを打つ。

 打ち上がったボールはかなり右に逸れるが、それでも栞の守備範囲内。彼女は足が速いので難なく追いつける。センターとしてはとても頼もしい。


 3番手はライトの美合みあい野々香ののか。愛称は『パチ美』。


 野球用語には8番打者でライトを守る人を俗に『ライパチ』と言ったりする。

 これはさして重要ではない8番という打順かつ、右打者が多いため軽視されやすいライトというポジションを守っている選手を指す。半ば蔑称に近いかもしれない。

 しかしながら彼女は見事に中学時代からその称号をほしいままにしていて、チームメイトからは愛を込めて『ライパチの美合』略して『パチ美』と呼ばれているのだ。


 ちなみに名付けたのはやっぱり翼らしい。あいつのネーミングセンスはその辺のガキ大将と同じだ。少年心をくすぐってくれる。


「パチ美、行くぞー!」


「ばっちこーい!」


 僕は先の二人よりも少し強めにボールを叩いた。狙いはぎりぎり頭を越えるか越えないかのところ。

 パチ美は出足こそ遅かったが、ちゃんと目を切って落下点に入りボールを捕った。

 これが雅とパチ美の大きな差。もし雅だったならばバンザイ後逸間違いなしだ。このプレーだけで1〜2点が軽く動くと考えると、パチ美が居てくれるのはとても有り難い。


「じゃあ次、爽行くぞ!」


 爽は打球を待ち構える体勢をとった。その姿はリラックスしていて、とても野球経験が浅そうには見えない。


 僕はさっきパチ美に打ったのと同じようなイメージでボールを打った。若干飛び過ぎただろうか、フェンスぎりぎりの難しい場所に打球が飛んでいく。


「……オーライ」


 爽は打球が放たれると同時に落下点へ一直線に走り出し、余裕を持ってグラブを構えて捕球した。

 まるで野球ゲームの親切設計のように落ちる場所がマーカーで表示されていて、それが彼女には見えているような無駄のない動きだ。

 ぶっちゃけるとパチ美の数段上を行っている。守備だけならばこの時点で爽をレギュラーにしてもいい。


 僕はそのずば抜けた爽のセンスにあんぐりとしてしまって、次の雅にノックすることすら忘れてしまっていた。


「ひどいっすよ雄大くん!いくら私が下手だからってノックすらしてくれないなんて!」


「ご、ごめんごめん、今打つから……」


 僕は慌てて定位置付近を狙って打球を放つ。これなら簡単に捕れるはず。


 しかし残念そこはやっぱり藤川雅。ちゃんと落下点に入ったのにも関わらず、ボールがグラブに入らない。


「こ、これはグラブが硬くてっすね……」


「そんな言い訳は要らん!」


「くっ……、もう1球お願いするっすよ!」


 ノック序盤から雅はまさかのやり直し要求。

 結局、ちゃんと捕球できたのは3回目だった。ザル守備を克服するには先が思いやられる。


 一方で爽は機械のように計算され尽くした動きで淡々とノックをこなす。彼女の一挙手一投足に無駄がない。


 これは雅の守備固めどころか、パチ美のレギュラーすら脅かしそうだ。

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