12
「……早く。はやく……」
遠ざかる声。近づく足跡。ここはどこ?
夢の中みたいな景色で、私は何も持っていない。
「待って」
見えなくなってきたその手を掴む。
その途端、視界が真っ白になった。
「っ……!」
息を詰めて飛び起きると、そこはホテルの部屋だった。……ああ、夢か。
嫌な汗を拭いながら起き上がる。寝間着の背中に張り付く髪の毛を払って、窓の外を見る。車?
隣を見ると、憧子の代わりに愛生がいた。
「早く来てくださいまし」
腕を引っ張られ、ベッドから降ろされる。
「え、あ、憧子は」
「とにかく来て下さい!!!」
こんなに声を張り上げる愛生は初めて見た。言われるまま部屋を出て廊下を走る。エレベーターに乗り込んで下へ降りる。ロビーを抜けて外へ出る。
「あれですわ」
指さす先にはあのリムジン。急いで乗り込むと、鈴木さんの運転で車が急発進した。
「こ、これ……何?」
運転席に向かって言うと、鈴木さんはちらりとこちらを見てただそれだけ答えた。
「異常事態なんです」
そうして走り出した車はどこかへ向かっていた。
「落ち着いて聞いてください、戸倉さん」
愛生がやがて口を開く。いつもの馬鹿馬鹿しい愛生のお嬢様言葉がかえって重たく頭を擡げる。
「佐伯さんが」
……希乃が?異常事態なんです、という言葉。すごく、冷たい汗が伝う。
「もう、ききたくないよ」
声が出た。幼い、あどけない、憎たらしい声が搾り出された。
「憧子はどこにいるの?希乃が殺したの?」
「……」
愛生の顔が歪む。
「憧子が死んでも、私は隣で呑気に寝てたんだよ?なんで私は死んでないの?どうして、どうして?憧子だけがいないのはなんで?おかしいよね、ねえ、教えてよ!なんで私が生きてるの!?」
言いながら涙が出てくる。愛生は何も言わなかった。いや、言えなかったんだろう。
「……おねがい、憧子を返して」
沈黙に耐えかねて、やっと絞り出すように言った。
「私なんかどうなったっていいから、お願いだから憧子を帰して……」
「ごめんなさい」
愛生の声は震えていた。私は、ほぼ錯乱状態だった。
「謝らないでよ!!そんなんで許されると思ってんの!?憧子はどこ!?」
「ごめんなさい。わからないの」
ふと我に返ってまた泣いた。彼女に当たってしまった。自分の無力さが恨めしかった。
しばらくして、鈴木さんの携帯が鳴る。路肩に止め、電話に出た鈴木さんが一言二言話すとすぐに切った。
「着きましたよ」
車が止まる。外を見ると、そこは見覚えのある場所だった。
愛生の家だ。車から降りて玄関まで走る。鈴木さんが鍵を取り出しドアを開ける。中に入ると、そこには誰もいなかった。
愛生の部屋に案内される。相変わらずの豪邸ぶりだが、今はなんだかひっそりしている。
「戸倉さん」
部屋の電気をつけて、彼女は言った。「落ち着いて聞いてくださいね」
「うん……」
「佐伯さんが憧子さんと村木さんを殺害しました」
やっぱりか……。
涙は不思議と出ない。
「戸倉さんを狙っておりましたので、何故一番の標的を残していたのか甚だ疑問ですが……とにかく、二人とも亡くなりました」
「……そう」
「警察はもうすぐここに到着します。それまでここに隠れていてください」
そう言って部屋を出る彼女を横目に、私はベッドに腰掛けた。そしてそのまま仰向けに倒れる。白い天井を見上げていると、次第に頭が冷静になってくる。そうだ、落ち着け。まだ、終わってはいない。ああ
、……嘘じゃないんだな
………………………………。
何分経っただろうか。何もする気が起きず、ただぼーっとしていた。すると不意に、扉をノックされた。返事をせずに待っていると、ゆっくりと開いた。
「失礼しますわ」
入ってきたのは愛生だった。
「戸倉さん。辛い気持ち、よくわかります。村木さんと佐伯さんと私、そして戸倉さんは四人で仲良くしていましたもの、とても悲しいでしょう。最愛の家族、憧子さんまで……でも、どうか前を向いて下さいまし」
彼女の目は腫れていた。きっと一晩泣き明かしたんだろう。……それでも尚、私を励ましに来たんだろう。私の今いる淵からもう抜け出している。その姿を見て、彼女を頼もしく思う。
「……ありがとう」
「いえ、私は何もしておりませんわ」
「ううん、違うよ。……あなたはずっと泣いてたでしょ?それなのに、私のことをこんなにも思ってくれるなんて」
「私は、お友達として当然のことをしただけですわ」
「……そっか」
「ええ」
しばらく沈黙が流れる。やがて彼女が口を開いた。
「佐伯さんのことですが、……多分、今も我々を見ています。戸倉さんのことを付け回すのだけは、本当に得体が知れませんがとにかくしつこいですから。警察も何度か呼びましたが異常なしと。今できることは一つです。絶対にここから出ないようにお願いしたいのですが……よろしいですか?」
「……うん、わかったよ」
「では、私はこれで」
「あの、愛生」
「はい」
「……もし私が外に出たら、どうなるのかな」
「それは……」
「答えられないならいいよ」
「すみません」
「いいよ、気にしないで」
そうして愛生は部屋を出て行った。一人になった途端、寂しさが込み上げる。
「憧子」
呟いてみる。
「憧子」
何度も呼んだ名前。もう、呼ぶことは無いかもしれない。
「憧子……」
はじめて、涙が溢れた。
どれくらい時間が過ぎただろう。
「憧子」
私はひたすら憧子の名を呼び続けた。
「憧子、憧子、憧子」
涙も出た。出過ぎて仕方がない。前方を見ることさえ困難だ。景色が滲んでしまう。
「憧子、憧子、憧子」
声は枯れていた。それでも呼び続ける。
外には虹がかかっていた。雨上がりらしい。呑気にてらてらする虹に、すごくムカついてきた。そんな憤りさえ、空虚に帰す。
涙だけが、とめどなく伝った。
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