200. 謎の仮面集団現る

 朝日が顔を出す頃には井伊谷城を出て、東海道へ戻る。

「大丈夫か、家康。顔色が悪いぞ」

「だ、大丈夫です!」

「次郎法師も無理すんなよ? うちのお転婆娘を任せることになっちまうが、我儘ばかり言うようなら俺に言ってこい。……あと飯と酒は、美味かった」

「勿体ないお言葉です」

 昨晩、何かあったんかな。

 お通夜みたいな二人に、ぽりぽりと頬を掻く。

 客の立場で非礼を働いたと詫びる予定は、信包の反対により消滅。どう考えても向こうが悪いと断言する弟が怒気を孕んでいたので、俺は大人しく従うしかなかった。忠勝と正信は普段通りだし、あまり気にしすぎるのもダメか。

「戦がなくなったら、宿場町を整えるのもいいよな。街道沿いに建物が並ぶようにして、両側に交番を置く。そこで関税とらなくたって宿に泊まれば同じだ。出入りする人間を見張るだけなら人数は多くなくていいし、名所案内や迷子預かりなんかも――」

「随分と呑気なものですね」

「直虎っ」

「遠江国の内情も知らないで、よくも好き勝手に」

「あら、お姉さま。父上が知らないはずありませんわ」

「五徳姫、こういう話には口を挟まぬものです。はしたないですよ」

「三十郎叔父上、小姑みたい」

 ぷいっとお五徳がそっぽを向き、奇妙な沈黙が一同を包む。

 今日も今日とて我が娘は馬に跨る。長すぎる髪は邪魔にならないよう、二つの輪っか付きポニーテールだ。ツインテールの良さを理解してもらえなかった俺が、大昔の人は男女問わずツインテ頭(輪っかつき)だと主張したのを覚えていたらしい。

 あえて言おう、非常に似合っている。

「うちの娘、天使か……!」

「兄上。耶蘇教に伝わる天使えんぜるは、羽の生えた男子ですよね。あんな髪の女人の天使もいるのですか?」

「じゃあ、女神の使い」

「もういいです」

 続きを言わせぬ笑顔で睨まれ、仕方なく口を閉じる。

 そして信包は冷ややかな視線を直虎に投げた。ぎくりと肩を小さく震わせたのは何故か、お五徳の方だったが。

「今が大変な時期なのは重々承知の上、我々も『今しかない』から危険をおして遠江国まで足を延ばしているのです。戦が絶えないのは当たり前ですか? 戦をなくす努力をするのは、愚かなことですか? 仕方ないからと、何でも諦めては望む未来など得られませんよ」

「ええ。その通りです、織田民部殿」

「信包でかまいませんよ」

 ではお言葉に甘えて、と家康は微笑んだ。

「信包殿は戦をなくせると思っておられるのですか」

「我が兄ならば、必ず」

「おい、三十郎」

「残念ながら、犠牲なくして平和は訪れないでしょう。今までが上手くいったからといって、今後も同じようにできるとは限りません。味方が敵に回ることもあるのです」

「ミカタがナントカ、っていう場所どこだっけ」

「……兄上」

 話の腰を折ってスマンでした。

 徳川家臣がいる時は頭を下げるな、とも言われていたので目線で謝る。信包も軽く苦笑するだけに留め、それから家康も交えて街道整備について話題が移っていった。興味があるらしい正信が参加して、反対側から来た若いのと口論になる。見たことある顔だが、誰だっけ。

 なんにせよ、議論するのはいいことだ。

 前提とするものや視点が変われば、考え方も違っていて当然だ。何を優先すべきか、何を利とすべきかで方針も変わっていく。不満そうな直虎は取り残された形になり、お五徳の声も届いていない様子だ。

 色々気を張りすぎなんだよなあ、たぶん。

 井伊家は一度没落していて、家康の手を借りて再興したばかりだ。

 身内に先立たれ、味方に裏切られて、頼れる者が少ない。今の徳川家を思えば、家康に頼るのも憚られるのだろう。女だてらに城持ちの武家の主である希少価値を武器にできるほど、図々しくなれないのなら仕方ない。お五徳が懐いているから何とかしてやりたい気持ちはあるんだが。

 そんなことを考えていたら、彼女と目が合った。

「先程問われた三方ヶ原のことでしたら、浜松城が近いですよ」

「ほう」

「三方に村があることから、そう呼ばれるようになったと聞いています。小高い丘もあり、天竜川という立派な川のおかげで作物を育てるには適した土地です」

「ああ、天竜川の流域は扇状地だったな。それなら水害を何とかすれば、農耕地も増やせるぞ。米にこだわる必要がないなら、って」

「本当ですか!?」

「お、おう」

 直虎が食い気味に聞いてきたので、とりあえず頷いた。

 安請け合いはよろしくないが、これは実体験に基づく知識だから大丈夫だろう。やっぱりどこの土地も水害に悩まされているようだ。灌漑事業で一儲けでき……いや、しないからな? 信包がこっちを見つめている。こわい。

 尾張国はもともと豊かな土地だった。

 山も海も近くて、大きな川が流れている。山側から海側への傾斜を念頭にいれれば、簡単に水を誘導できる。検地を行い、田畑の形を整え、水路を通していく。時間も手間もかかる大事業だが、いちいち畔を作り直す必要がなくなる。

 田植え時期に余裕ができ、副業は冬限定じゃなくなった。

 目指せ、庶民レベルの娯楽!

 今は相撲観戦と講談くらいだが、舞見物なんかもいいと思う。とにかく銭の普及が思ったよりも進まない。人力では限度があるので、プレス機械でも作って銅銭を生産増加させたい。それには動力の問題を解決しなければならない。つまり火力だ。大きな火力が要る。

「そのための化石燃料エネルギーである」

「兄上、結論だけ言われても分かりません」

「癖なんだ」

「知っています」

 あーだこーだ、何だかんだと雑談しつつ街道を往く。

 宿ではなく寺や城に泊まりつつ、ようやく相良村へ辿り着いた。遠江国人衆の相良家が代々領主をやっていて、黒い水の情報源も相良から家康に伝わったらしい。

 半兵衛のソース元は、別ルートなんだろうなあ。

 相良によれば、黒い水が出てから体調を崩す者が増えているという。土地を開拓しようとしたら毒水が出て困っている、と訴えられた。黒い水が俺の想像通りなら、丈夫な何かで全方位を囲わないと被害が拡大していく一方だ。

 あっちですと言われた方向に、ぽっかり空いた荒れ地がある。

 草木が枯れて、動物の気配もない。風に乗って漂う異臭に、誰もが顔をしかめた。

「おお……、懐かしい。ガソリンスタンドの匂いだ。これは期待できるぞ!」

「一人で行かないでくださいね。せっかく準備してきたんですから。えっと、兄上はこっちでいいですか?」

「うむ」

 ごそごそと荷物を漁る織田兄弟。

 家康たちが怪訝そうに見ているが、ちょっと待ってろ。着け心地が思ったよりも良くない。あっちをいじり、こっちをいじり、一益たちも一緒に屈んでゴソゴソする。すごく不審人物っぽい? 今更だ。

「イテッ」

「視界が狭すぎますね」

「……あなた方は一体何をしているのです。遊んでいる場合ですか!?」

「遊びじゃねえよ」

 くぐもった声で返す鬼面。

「角はなくてもよかった気がします」

 げんなりと肩を落とす般若面。以下十名、謎の仮面集団in相良村。

 直虎が怒るのも分からなくはないが、仮面は必要な装備だから仕方ない。装着した状態で問題なく動けるように練習しておくべきだったか。誰かとミアミスして、痛む箇所をさする。

 すると今度は腕を掴まれた。

「父上。父上、あたしのは?」

「ない」

「えー!」

「遊びじゃねえって言ってんだろ。この先に例のアレがあるらしいからな。近づく前に準備しておかないと意味がない。つーわけで、行ってくる」

「私も行きます!」

「人数分がない」

「仮面をつける理由は、教えていただけないのですかな」

 思いっきり面白がっている正信に、俺は溜息を吐いた。

 いいトシしてワクワクするとか、子供か。

 面倒臭いと思いながらも、後から説明することを考えれば同行してもらった方が早い。百聞は一見に如かずだ。なんとなく視線をやった先の一人が面を外したので、それを預かる。

「見ろ」

「布が貼ってありますね。尾張国で作っているのですか?」

「いや、特注品だ。ガス対策にガーゼで覆っている。石油は揮発性が高いから、地表に出ている分から空気に混ざる。体調を悪くする奴は風に乗って、流れてきたガスを摂取しちまったんだろう。死人が出たというなら、ガス中毒だな」

「がす」

「これを付ければいいのですね」

「あ、おい。直虎」

 ゴソゴソやって、お多福面がこちらを向いた。

 お面組とそうでない奴らの若干名が派手に噴き出す。複数のくぐもった声に目をやり、首を傾げつつ彼女は問う。

「似合いますか? 尾張守様」

 いや、うん。ノーコメントでお願いします。


**********


 相良村の外れには鬼の棲家がある。

 元々その近くには人も住んでいたのだが、井戸を掘ったら毒水が湧いてきたので誰も近寄れなくなったのだ。

 人も獣も毒すら、彼らにとっては糧となるらしい。毎日不思議な桶で汲み出しては、どこかへ持っていく。一体どんな恐ろしいことをしているのか。それは一瞬にして天を焼く大火であり、墨のように真黒な煙であり、異様なほどに光り輝く水であった。

 いよいよ末法の世も近づいた。

 生きたい者は『西の楽園』を目指して旅支度を始め、残りは村と共に死のう。悲壮な決意を固めた日の夜、いつものように盗賊たちがやってくる。女子供はもういない。食料もないと知って、盗賊たちは激昂した。ああ、これで楽になれると老人たちが安堵した時のこと。

「な、なんだてめえら!?」

 戸惑う声に続くのは悲鳴、罵声、絶叫。

 あまりの恐ろしさに手をこすり合わせて念仏を唱えていれば、いつの間にか辺りは静まり返っていた。ぺたぺたと体を触れば、己は生きていると分かる。

 どうして、一体何が。

 一人、二人と外へ出てきたのは村の民ばかり。

 襲ってきたはずの盗賊たちは影も形もない。あちこちに散乱した残骸から、確かに何者かがいたことを示している。皆は何が何だか分からないまま、次の朝日を迎えた。

「おはようございます。昨日は大変でしたね」

 朝日を背に村へやってきたのは、身なりの良い若者だった。

「り、領主さまの使い!? で、ございますか」

 にこにこと愛想のいい若者は、確かにそう名乗った。

 そして年寄りだらけの村に悲しそうな顔をしつつ、温かな食事を振舞ってくれた。もう盗賊は襲ってこないから安心しろ、村を去っていった者もそのうち戻ってくるだろうと言う。何の根拠もない慰めに、村人たちは空虚な笑みを交わし合った。

 だが若者は翌日も来てくれた。

 死を待つばかりだった村は少しずつ活気を取り戻し、平穏のありがたみを噛みしめられるだけの余裕も出てくる。となれば、やはり近くに棲みついた鬼が気になるのだ。

 盗賊は退治された。

 なのに何故、鬼を放っておくのか。

 そんな疑問を投げかけられた若者は、微笑みながら答えてくれた。盗賊を退治してくれたのは領主の軍勢でなく、鬼である。この辺りの悪い奴らは皆、鬼の一族がやっつけてしまった。

 だからこうして村に施しをする余裕ができたのだ、と。

 民は大いに驚いた。すぐには信じられなかった。

 鬼は鬼である。二本の手と二本の足が生えているだけで、どいつもこいつも恐ろしい顔をしている。大体、あの毒水の傍にいて平然としているのもおかしい。盗賊が退治されたのも、鬼にちょっかいを出して自業自得なのではないか。

 すると若者は笑う。

 だったら、ちょっかいを出さなければいい。彼らは村に来ないし、村がちゃんと機能するようになるまでは私が責任もって面倒を見る。もしも鬼たちが襲ってくるようなら、この刀で追い払ってみせよう。

 領主の使いである彼は護衛兵を何人も連れていた。

 盗賊よりもずっと強そうだ。大鍋とたくさんの食料を運ぶだけの力もある。食事が終わるまでは一緒にいるので、村人たちは彼らと少しずつ打ち解けていた。

「あんたらが言うのなら、信じてみよう」

 最年長の年寄りが小さく呟いた。

 誰かを信じるなど、もう何十年もなかったことだ。村の子供はまず諦めることから覚える。仕方ないのが当たり前なので、仕方ないなんて言わなくなる。そもそも「領主の使い」を名乗る一団のことだって、ちっとも信じていなかった。領主とは奪う側であって、与える側ではなかったから。

 今は違う。

 疑うには、親しくなりすぎていた。

 鬼の一族の存在も、すっかり「当たり前」になっていた。

 誰が呼んだか、相良村には油田という地域がある。そこには鬼の一族が棲んでいて、こんこんと湧き出る毒水を守っている。いや、あれは毒ではない。油だ。



「――という伝承が出来たんだって」

「マジか」

 思わず頭を抱えたものの、伝承は噂よりも厄介だ。

 下手にいじろうとしたら何が起きるか分かったもんじゃない。俺のちょっとした思い付きがとんでもない事態を生み出した、のはこれが初めてでもないか。

「ガスマスク代わりの仮面がそんなことになるとか」

 頭を抱える俺を見やり、半兵衛がくすくす笑う。

「近くで見たらお面だって分かるけど、遠くからじゃあ分からないですよー。それに鬼の一族には畏怖を抱く者も多いし、今川も武田も手を出しにくいでしょーねー」

「虎のおっさんはさすがに騙せないだろ」

「かもねー」

 岐阜城と浜松城はかなり遠い。

 実際に街道を往復して強く実感できた。遠江国に武田軍が侵入してからじゃあ間に合わない。既に勝豊隊が相良村で活動しているが、彼らには油田を守る責務がある。とはいえ、三方ヶ原が浜松城に近いのは計算外だった。

 下手すれば、家康が危ない。

 詳しく覚えていないのが歯がゆいばかりだが、本当に危なかったはずなのだ。変顔の肖像画を残すくらいだから間違いない。そこしか覚えていない俺にも呆れてしまう。

「半兵衛」

「遠江国に兵を送る方法?」

「あ、ああ。何かないか」

「油田開発のためだといって、少しずつ送るしかないかなあ。あ、最大でも一万が限界ですよ。援軍を出したせいで、美濃国が侵略されちゃったら意味ないでしょ」

「うむむ」

 家康にはくれぐれも油断するなと言い含めた。

 一番怖いのは土一揆だ。この時代は仏教徒過激派の一向宗が有名すぎて、一向一揆を「一揆」と略してしまうことも多い。それに働き手の流出も痛い。噂の「西にある楽園」とやらは、尾張国のことだろう。

 三河国が豊かになってきて、そこが「楽園」だと思っている民もいる。

 だが尾張国の賑やかさは段違いらしい。宇喜多さんちの直家が思い出話として書いて寄越してきたのだから、たぶん間違いない。まるで別世界のようで、衝撃を受けすぎた直家はバッドステータス『混乱』のまま俺と面会した。

 ある意味、直虎も似たようなもんか。

 お多福面をつけたまま井伊谷城へ戻った、と聞いている。お五徳には「己への戒め」だか何だか説明して納得させ、他の面子は触らぬ神は何とやらだ。美濃国へ帰る際、井伊家伝来の姫鎧を譲られそうになってメチャクチャ慌てた。そんなん持って帰ったら、お濃に何を言われるか分かったもんじゃない。

 実のある旅だったが、色々ありすぎて疲れたかな。

 信包がいなければ滞在一か月で終わらなかっただろうし、本当に頼りになる弟だ。勝豊も飲み込みが早くて教え甲斐がある、と嬉しそうにしていた。信包が伊勢国へ戻れるのは、まだまだ先になるかもしれない。

 子供に顔を忘れられても知らないぞー、っと。

 俺のせいか。俺のせいだな、うん。

「信長様、信長様ってば」

「何だよ」

「嫌な予感ほど、よく当たるっていうよね」

 思考を中断させられて寄せた眉が、一気に開く。

 俺ワールドに入っている間に、遠江国から急使が届いたようだ。書状の署名が家康じゃないのはこの際どうでもいい。流麗な文字で綴られた一節ごと、ぐしゃりと握りつぶした。


『武田本隊、甲府より出陣』


 油田開発に織田・徳川の者が多く流入したことも一因か。

 俺は半兵衛を連れて、すぐさま遠江国へ送る援軍の準備にとりかかった。





********************

まだ元亀2年ですよ!

鬼の一族伝承は完全に創作ですが、相良村全域に炊き出しを行っているので結構な人数が入り込んでいます。これを見逃さない武田信玄じゃあないんですよー、っていう話。

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