140. 儲かりまっか

 大砲を完成に導いてくれた加藤清忠が死んだ。

 そのことを俺が知ったのは、秀吉が休暇願を出してきた時だった。親戚の法事だというから何か包んでやろうと思ったら、よりにもよって清忠の一周忌だという。早すぎる死に呆然とし、残された家族は既に津島に移っていたことも聞いた。俺が引き取って面倒みると言い出すんじゃないかと思われていたらしい。清忠め。

 刀鍛冶は長生きできない、というのは加藤のおっちゃんの口癖だ。

 幼い息子・虎之助を残して逝くのはさぞ心残りだったろうに。一つ違いの幼馴染である市松と口を揃えて言うには、元服したら秀吉の軍に入るんだそうだ。鍛冶師継がないのかよ。

 それにしても小生意気なガキどもだった。

 年齢的にも茶筅丸たちの遊び相手にいいかもな。どうやら秀吉の親戚筋らしいので、それとなく話を通しておこう。秀吉子飼いの将は有能揃いだ。織田塾に放り込んで文武両道に育ててやろう。脳筋はうちの側近たちで十分だ。

 後で聞いたところによると、秀吉は俺の誘いを断ったと青ざめていたらしい。

 いや、怒ってないぞ? 本当だぞ?

 そろそろ岐阜城に戻るかどうか考えていたら、吉報が届いた。

「殿! 一益から朗報です。服部党の頭目、服部友貞を討ち取りました」

「やったか」

 那古野城を出て小牧山城を経由し、海西郡の小木江城に向かう。

 小牧山から小木江までの道はまだ整備できていない。街道を無視して最短距離で馬を飛ばせば、当たり前みたいに恒興もついてきた。戦勝報告や随伴の役目は小姓に任せておけばいいものを、昔のまま変わらないところは嫌いじゃない。

 城に着くと、海側から戻ってきた嘉隆と行き会った。

「おっ、大将! 尾張に来てたのなら、早く言えよ」

「そっちが呼んだんだろうが。船が出来たって報せが来たぞ」

「呼んだんじゃなくて、報告しただけなんだが……まァ、大将なら直に見ようと考えるわな。それとも服部党の後始末が目的か? 彦坊なら、執務で部屋に詰めてるぞ」

 直接褒めてやれ、と言わんばかりの台詞に肩を竦める。

 妻帯して大人しくなるどころか、弟たちの躍進はますます目覚ましい。有体に言うと、勝手気ままに動き始めたのだ。信包は小牧山城下の整備に乗り出し、信治は岐阜城に残って奇妙丸の勉強を手伝っている。長島から離れられないはずの長益も何やら暗躍しているようで、長利は師匠と共に伊賀衆との交渉に余念がない。

 そして伊賀衆との取引を聞いた信興が、一益や嘉隆と共に服部党を攻めた。

 小木江城と複数の砦を建築し、友貞を追い詰めた上で大将首だけを獲る。その戦い方はどこか今川軍との死闘を思い出させる。だが信興たちは友軍の被害をかなり抑えて、勝利を収めることができた。うちの弟、有能すぎない?

 嘉隆は信興のことを気に入ったらしく、えらく上機嫌で話す。

「これで尾張国全てを手に入れたことになるな。おめでとさん」

「いや、これからだ。小木江城は伊勢長島への楔になる」

「長島にも弟がいるんだろう? 堺とも上手くやってるそうじゃねェか」

「俺は何も言ってねえ」

「まあまあ、そう拗ねんなよ。いつまでもちっちゃいままでいてほしい気持ちも分からんでもないが、子供はいつの間にか成長するもんだ」

「やかましい」

 ぽんぽんと肩を叩いてくる手を払った。

 正式に織田家臣となった嘉隆だが、九鬼家の当主は甥の澄隆すみたかが継いでいるらしい。そのため、九鬼家そのものは織田家臣団には含まれないという複雑な状態になっている。嘉隆には九鬼水軍そのものじゃなく、織田水軍の強化訓練を頼んだ。船の建造はその一環だ。

 鉱山を持たない織田家は、どうしても鉄などの資材を輸入するしかない。

「船は出せるか?」

「おう、いつでもいけるぞ。って、本気で会っていかねェのかよっ」

「戻ってからでも別に」

「兄上」

 ぎくり、と肩が揺れる。

 この声は信興じゃない、信包だ。

 ああ、奇妙丸の後ろで甚九郎が申し訳なさそうに縮こまっているぞ可哀想に。また止められなかったんだな。前野・平手の二人が護衛についているので、帰蝶が許可を出したようだ。そうか、後で怒られるのは俺か……。

「殿。往生際が悪いのは、美しくありませんよ?」

「うるせえよ、長康。お前も止めろ、五郎」

「そんなの無理に決まってるじゃないですか。諦めてください。この人は言い出したら聞きません。ついでに若様と信包様の護衛もしたんですから、むしろ褒めていただきたいくらいです」

「僕にダメだと言っておきながら、自分は行くなんて狡いですよ。父上」

「そうですよ、兄上」

「モテモテだな? 大将」

 その言葉、尾張で流行ってんのか。

 ニヤニヤする嘉隆と軽く殴り合ってから、新品の鉄甲船を見に行った。

 造ると言い出したのは俺だが、一年かそこらで完成するとは思っていなかった。さすがは不思議の国尾張。貿易船を運用できるようになれば、いくらでも儲けが出る。狸の皮算用もいいところだが、俺は渋る貞勝を言い含めて資金を捻出させた。

 鉄甲船の運用は主に、水軍による上陸戦である。

「おお、いい眺めだ」

 天気も良く、風もほとんどない。

 風雨の日に無理矢理漁船を出したこともあったが、今はもう懐かしい。あの頃とは段違いの立派な船は甲板も広く、海面も遠い。これはテンション上がりまくりだ。

「いざ鎌倉ー! 面舵いっぱーい」

「いっぱいに切ったら、出航できねェだろうが。この馬鹿大将! あと鎌倉じゃねェ、堺だろが。行き先くれェ明確にしとけっ」

 というやり取りがあったものの、鉄甲船は何事もなく出航した。

「堺の皆さん、腰を抜かしませんかねえ。フフフ、楽しみです」

「奇妙丸? さっきから口が閉じていないよ。大丈夫?」

「んっ、しょっぱい!? んにゃーっ」

 たちまち騒ぎ出す奇妙丸。

 波が跳ねて、開けっ放しの口に入ったらしい。そういえば潮干狩りに連れていったこともなかったなあ。奇妙丸、初めての海だ。ううむ、感慨深い。

 なんかこう、腹の底からせり上がるものが――。

「……殿、酔い止めの薬って輸入できるんでしょうか」

「買イ占メヨ」

「その薬が堺にあればいいですが、その前に吐くなら海へ存分にどうぞ。まかり間違っても、この美しい船を汚すなんていう愚行はなさらぬようにお願いしますよ」

「ウゲゲェー」

 吐きまくる俺に同情してくれるのは恒興だけだ。

 川の小舟はそこそこ耐えられるのに、大きい船の揺れだけは慣れそうにない。あえて食事量を控えめにした意味がなかった。胃液もほとんど出しても、まだ気持ち悪い。頭がぐるぐるする。

 堺の港までどれくらいかかるのだろう。

 気が遠くなりそうだ。

「奇妙丸、船の探検をしようか! 縁にいると、また海水が入ってしまうから」

「はい、叔父上っ」

 血縁者はあんなに元気なのに、俺だけグロッキー。

 気が付いたら船倉のどこかに寝かされていた。臭い。すごく臭い。船の構造に関しては完全にお任せだったが、衛生面が心配になってきた。陸地にある町も酷かったのだから、周囲を海水に囲まれた船は色々なことがフリーになっていそうで怖い。

「う、うえぇっ」

 揺れない方が酔うのか、揺れるから酔わないのか。

 天候にも恵まれて順調な航海の間、俺はずっと床から離れられなかった。


**********


 ゾンビ状態から復活の俺、ノブナガ。

 織田産エリクサーこと奇妙丸の応援があれば、いくらでも立ち上がれるのだ! という前フリはさておき、堺の町はすごかった。京の町のような整然とした街並みじゃない分、全体の活気がとんでもない。やっぱり戦火の影響は大きいんだなあ。

 今後も城下町は燃やさないようにしよう、復興が面倒だから。

「堀がある町など、初めて見ました……」

 呆然としたまま恒興が呟く。

 ちなみに嘉隆は鉄甲船が奪われないように居残りである。そういうこともありうると言われて、やっと気づく程度の温さも俺だから仕方ない。気付いてくれる奴がいることこそ大事っ。

 とはいえ、留守番役の土産くらいは必要だろう。

「お市への輿入れ道具もここで揃えていくか」

「そうですね。後で届けさせればいいわけですし」

「えっと、叔母上はきれいなものが好きです!」

「何か発言したいのは分かるけどなー、奇妙丸。跳ねなくても見失ったりしないから大丈夫だぞ。なんなら手を繋いでおくか」

「恥ずかしいから嫌です……」

 思春期真っ盛りの息子は人の多さに圧倒されているようだ。

 赤くなって俯いたところへ、監物久秀が動いた。素早く後ろへ回り、奇妙丸を肩車したのだ。一気に広がった視界に、一拍遅れの歓声が上がった。

「後は頼めるか、五郎」

「ええ、そう仰ると思っていましたよ」

「参りましょう、若君。この世の美しいものを探しに」

「じゃあ、松姫の贈り物を探したい」

「それは大変良い考えです。この長康にお任せください」

「うんっ」

 長康と監物久秀の背を見送って、俺はそっと息を吐く。

 堺の商人たちにどこまで三好家の影響が浸透しているか分からない。危ないから嫡男である奇妙丸や信包を連れてくる気はなかったのに。

「あの、申し訳ありません。兄上……何度も置いてけぼりをされるのは、辛くて」

「分かっている。俺も怒っているわけじゃない。どうしても駄目なら、船にも乗せなかっただろうしな。まあ、これは勘だ」

 かなりご都合的主義で、甘ったるい希望的観測ともいうが。

 ここで何かあっても、奇妙丸は必ず守られる。何故だか、そんな気がするのだ。魚屋与四郎という人物と茶を飲み交わしたからかもしれない。与四郎はなんともいえない不思議な空気を持つ人物だった。

「そういや、恒興。魚屋って知ってるか」

「はい?」

「ととや」

「堺の商人ということは存じております。ただ、居場所までは」

「まっ、そうだよな。アポなし訪問でも大丈夫かどうか分からんし」

 ここは津島じゃない。

 賑やかで活気あふれた町も、様々な思惑が交錯する闇を内包している。当初の予定通りにお市の嫁入り道具を選びつつ、小牧山城の家族の分もいくつか見繕った。身なりで判断する癖がついているのか、商人どもはすぐ足元を見ようとする。

「鉄砲の買い付けなんか、わざわざやるわけ――」

「殿?」

「カステラ発見!!」

「あ、兄上っ」

 予想通りだ。

 堺の港には大陸からの貿易船も来る。江戸幕府と違って、貿易権を完全に掌握しているわけじゃない。それこそ九州出身の武家に生まれ変わっていたら、いち早く南蛮文化を堪能できていただろうと思うだけで悔しくなる。

「……岐阜城に帰りたくねえな」

 カステラをむしゃむしゃしながら、ザラメの甘さに打ち震える。

 宣教師が持ち込んだものを真似て作ったらしい。俺にとってはこれがカステラだ。

「酒がほしいぞ。すげえ度が高い奴」

「まだ日が高いですよ、殿!」

「麦の生産も追いついてきたし、麦の酒とかいいよなー。あれ、小麦の方だっけ? 果実の酒もいいよなー。もう、いっそ九州まで足を延ばしちまうかあ。芋焼酎が飲みたい。ん~、米焼酎は長頼に頼んでみるかあ」

「変な目で見られていますから! 兄上!!」

 なんだよ、二人ともうるさいな。

 カステラを丸ごと手づかみで食べるのが夢だったんだから、別にいいじゃねえか。町中の注目を浴びるというのも一興。奇人変人、上等じゃねえか。どうせ田舎者の俺たちが行儀良くしたって、たかが知れている。

 おっと、人ごみをかき分けて誰かが走ってくるぞ。

 上機嫌の俺はカステラまみれの手を振った。

「俺はここだー!」

「探す手間が省けましたよ、上総介様っ」

「お、おお? 与四郎じゃねえか」

「はい、魚屋与四郎です」

 ぜえぜえと息を切らせながら、それでも丁寧にお辞儀をする。

 今日も仕立ての良い羽織を着ているが、渋い系が好みなのだろうか。

「先日は失礼いたしました。堺に来られるのでしたら、一言申し付けてくだされば案内もできましたのに」

「いやいや、こういうのは自分の足でウロウロするのが面白いんだよ」

 とか何とか言っている間も移動している俺たち。

 まるで酔っ払いを連行する補導員みたいになっているんだが、気のせいだろうか。お探しの与四郎先生を見つけられたんだから無問題、もーまんたい。そうだそうだと思いついて嫁入り道具について交渉しようとしたら、それは屋敷の中でと遮られた。

 確かに歩きながらは行儀が悪いか。

「三十郎」

「はい、兄上」

 どうしましたかと首を傾げる信包。

 その両腕に抱えた荷物はまさか、と思って目を眇める俺。にこーっと笑う弟に流されるものかと、なけなしの心を強くした。

「カステラは日持ちがしない」

「!!」

「恒興、返してこい」

「家中で配れば問題ありません!」

「……お前もかよ」

 よく見たら、二人の頬にカステラの欠片がついていた。

 貞勝に怒られても知らないからな、俺は。

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