第20話 心の距離を縮めてほしい


 現実時間では深夜の4時を過ぎているらしい。

 外の様子は相変わらずの小春日和である。


 一般プレイヤーであるレモンティーは「落ちますニャ」とパーティーメンバーが見られるチャットで宣言してログアウトしようとした。


「落ちる?」

「パソコンの電源を“落とす”と言いますでしょう? 今日はもうバイバイって意味よ」


 カイリの疑問に、ルナが解答した。カイリは納得したように頷いてから「じゃあ、レモン先輩。また明日です!」とレモンティーに手を振る。


「明日というか今日というか。マァ、また6時間後ぐらいにはログインするニャ」

「そうなんですね! 待ってます!」

「アンタはまだ寝なくていいのニャ?」


 レモンティーは17歳の高校2年生であるカイリを心配してくれている。いくら明日(日付が切り替わっての今日)が土曜日とはいえ、流石に寝たほうがいいのではないか、と。転生者にはログアウトという概念はない。ゲームの中に常駐しているNPCのようなものである。カイリにもルナにも、現実の生活は存在しない。


「えーっと、まだあんまり眠くないっていうか……」


 カイリが返答に詰まっていると、ルナが「カイリちゃんとは今日の反省会をしたいから、終わり次第ね」と援護した。援護してくれたのはありがたいが『反省会』という単語に戦慄するカイリ。


 わたし、なんかやっちゃいました?

 思い当たる節がありすぎて困る。


 TGXの世界にやってきてからこの時間までの自身の行動を脳内で振り返ってみよう。まだ1日経過していない。嘘みたいな本当の話。

 ルナとのベッド上での出会いから《ビキニアーマー》を手に入れて、最初のクエストに手こずり、丸焼きで萎縮し、虹色の魚を撲殺して、寝たきり老人とおしゃべり成金との文面のやりとりを手助けし、その間に1回死んで、山の上に《トーフ》を持って行って、温泉旅館に泊まる――生前の六道海陸の人生からは考えられないほど、充実した時間だった。こんな日々がこれから続いていくのである。


「お姉様も、あんまり睡眠時間を削るとお肌に悪いですニャ」

「そうね。短めに終わらせるわ」

「今度こそ落ちるニャ」


 畳の上に立っていたシャムネコのアバターが忽然と消える。

 一般プレイヤーのレモンティーがログアウトして、残されたのは転生者が2人。ギルドメンバーでログインしているプレイヤーは、今日の戦利品の中でギルドでは必要のないアイテムを出品している露店放置のメンバーぐらいなものである。パソコンの電源は入っているがその画面は見ていない。


「レモさんとは仲良くなれたみたいね」

「はい! お風呂でお話ししました!」

「どんな話?」


 ルナになら話してもいいだろう。

 座椅子に座って頬杖をつくルナの向かい側に座って、カイリは六道海陸であった頃の話を身振り手振り交えながら話し始める。


「両親が火事で死んじゃって、わたしは叔父さんに引き取られたんですけど」

「待って」


 ルナからストップがかかって、カイリは「なんですか?」とムッとした顔になる。レモンティーからもここで話題を年齢に変えられてしまった。大方の人間にとって“両親の死”は悲劇的な出来事だが、カイリにとっても六道海陸にとっても過去の出来事で、そこに感情はない。起きてしまった出来事を淡々と語っているだけである。


「あなたが炎属性の魔法を使えなかったのって、そのトラウマかしら」


 レモンティーは気付いていながら指摘しなかったが、ルナはお構いなしに突っ込んだ。対してカイリは「こう言うと誤解を招きそうなんですけど」と前置きしてから「わたしはわたしの両親が亡くなったこと、別になんとも思っていません」と誤解を招きそうなセリフを並べる。


「……ご両親のこと、嫌いだったとか? 何かされてたとか?」

「そもそも! 今のわたしは生前の六道海陸じゃなくて死後生まれ変わった“賢者”のカイリなんで、六道海陸が両親のことを本当はどう思っていたかは知りません! だから、そのうち《ファイアボール》も使えるようになりますよ!」


 カイリは(自分の都合のいいときばかり六道海陸とカイリを別物として扱うのって卑怯じゃないかしら?)と心の中でぼやきながら、しかしこの設定によってルナの追及を退けつつ「叔父さんからは『好きなことをやっていい』って言われたんで、叔父さん家から近かった神佑大学の図書館によく遊びに行っていたんです」と叔父さんに引き取られた後の話を続ける。


 カイリの反応を見て、ルナはカイリの両親の話を振るのは危険だと判断した。追及はやめよう。本人がヘソを曲げないように、話したいように話してもらおう。ルナはこれからもカイリと共にTGXの世界で生きていかなければならない。こうやって腹を割って話せる相手は転生者同士しかいないのだし、ゲームの知識に上書きされて忘れてしまう前に過去の話は聞いておきたい。

 初歩的な魔法攻撃の《ファイアボール》の詠唱中に倒れてしまったのは、(本人は強がっていても)火が原因となった両親の死によるものとみて間違いないだろう。他にも弱点は把握しておかなければならない。


「読書が好きなの?」

「好きっていうか、学校に行っても周りからに変に気を遣われて面白くなかったんでしょうね」


 ルナは「私は、図書館ではなくこのTGXの世界に逃げていましたわ」とこぼした。まだTGXがβテストを行なっていた時期の話である。逃避といっても、ルナの両親は現実の世界で健在だ。変に気を遣われていたのではなく学校に友達といえる存在がなくクラスでも浮いてしまっており、頼りにしてくれるネット上の友人が多いMMORPGの世界へのめり込んでいった――という違いはある。


「そこで、わたしは博士に出会ったんです」


 カイリの耳には届いていなかったようで、カイリは目を輝かせながら自分の話を続けていた。カイリの言う“博士”とは氷見野雅人のことを指す。能力者に関する研究の第一人者である。が、ルナは“博士”とだけ言われても誰のことだかはわからない。名前を聞いたところで通ってもいない神佑大学の“博士”がどんな風貌でどんなことをしているのか知る由もないのでルナは「ふーん?」と話の続きを促した。


「博士は『六道海陸は【発火】の能力者だ』って教えてくれたんですよ」

「能力者?」

「おかしな話ですよね。現実で火を操れる能力らしいですよ!」


 くすくすと笑うカイリ。六道海陸の話し相手は博士と博士の作った“人工知能”の知恵ちゃん以外にいなかった。その2人以外に能力について話すのはこれが初めてである。博士との出会いのエピソードは、誰かに話したくて話したくて仕方なかった。なぜなら、六道海陸が人に必要とされたシーンだから。


「それから図書館から研究室に連れて行かれて、知恵ちゃんに――あ、知恵ちゃんっていうのは、……なんて言えばいいんだろう。ブイチューバー? みたいな子なんですけど、その子から博士の研究を手伝ってもらえるかって頼まれてですね!」


 火を操れる能力と聞いて、ルナは恐ろしい想像をしてしまっていた。六道海陸がその能力で、自宅に火を放ったのではないか、と。


「わたしはその場でオーケーしました! 叔父さんも『海陸ちゃんがやりたいならいいんじゃないか』って言ってくれましたし……あれ? ルナさん、顔色悪いですよ?」


 この場で両親の話を蒸し返すのは悪手だろう。せっかくこれだけの話をしてくれるほどに積み上げた信頼が崩れるかもしれない。ルナは立ち上がり、「お茶でも飲まない?」と提案した。





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