クラースヌイ・ピスタリェート《красный пистолет》

大竹久和

プロローグ


 プロローグ



 今宵もまたとっぷりと陽が暮れ、悪名高き『共和国』の沿岸部に極秘裏に建設された軍事基地は宵闇に包まれていた。

「定時連絡! 正面出入口前、異常ありません!」

 すると軍事基地の正面出入口前で歩哨の任に就いていた『共和国』陸軍の兵士が無線機越しにそう言って定時連絡を終えたが、たとえその出入口前に異常は無くとも、その事実は基地全体には当てはまらない。何故なら件の歩哨が立つ正面出入口のまさに反対側に位置する、船舶が離発着するドックに於いて、今まさに外部からの侵入者が軍事基地の敷地内に足を踏み入れようとしていたからだ。

「こちらレオニード、協力者から得た情報通り、前方に侵入防止用の鉄柵を確認した。これより子の鉄柵を切断し、侵入経路を確保する」

 軍事基地のドックに繋がる真っ暗な夜の海中で、ウェットスーツとアクアラングなどの潜水用具に身を包んだ一人の成人男性がそう言って報告すれば、彼の耳に装着された極小の無線機越しに女性の声が応える。

「了解した。哨戒中の敵兵に発見されぬよう、慎重に事を運べ」

「了解」

 そう言って女性との交信を終えたウェットスーツ姿の男は、可燃性ガスと一緒に酸素も供給する水中用バーナーを巧みに操り、軍事基地のドックと外洋とを隔てる鉄柵を切断し始めた。そして人一人が通り抜けられるだけの隙間を開け終えると、まずはウェットスーツ姿の男がその隙間を通過し、更に二人の女が彼に続いて水中を移動しながらドックの内部へと侵入する。

「ミロスラーヴァ少佐、こちらレオニード。ドック内へと無事侵入した。これより予定通り、基地の内部での探索を開始する」

「了解だ、レオニード。ヴァレンチナとイエヴァの二人も、彼と共に予定された配置に就け」

 再びのミロスラーヴァ少佐と呼ばれた女生との交信を終えたウェットスーツ姿の成人男性、つまりレオニードはドック内で水面から顔を出して周囲の様子をうかがい、哨戒中の敵兵や監視カメラが存在しない事を確認してからそっと静かに上陸した。そして彼に続いて上陸した二人の成人女性、つまりヴァレンチナとイエヴァの二人と共にウェットスーツを脱ぎ捨てると、その脱ぎ捨てたウェットスーツと潜水用具をドックの片隅の物陰に隠してから身支度を整える。

「ヴァレンチナ、イエヴァ、準備はいいな?」

 やがて都市型迷彩服へと着替え終えたレオニードが小声でもってそう言えば、彼と同じく都市型迷彩服に着替えて自動小銃アサルトライフルを手にしたヴァレンチナとイエヴァの二人が首を縦に振り、無言のまま頷いた。

「よし、行くぞ」

 そう言った精悍な顔立ちの特殊工作員であるレオニードに先導されつつも、狙撃用に銃身とストックを伸長した自動小銃アサルトライフルを携えたヴァレンチナと、ストックを折り畳み式にして銃身を切り詰めた自動小銃アサルトライフルを携えたイエヴァの計三人は移動を開始する。そして薄暗いドック内を物陰から物陰へと移動しながら縦断し、上階の軍事基地の本丸へと続く非常階段に足を踏み入れたものの、やはりここにも哨戒中の敵兵や監視カメラの姿は見受けられない。

「想定以上に警備が手薄だな。地下のドックからの侵入は想定していないのか? それともまさか、罠の可能性は?」

 サプレッサーを装着した自動拳銃を手にしたレオニードはそう言って、その胸に去来する懸念を露にするが、無線機の向こうのミロスラーヴァ少佐はこれを否定する。

「いや、そんな筈はない。おそらくその基地は建設されたばかりだろうから、未だ警備態勢が整っていないのだろう」

「了解。しかしながらミロスラーヴァ少佐、念のため、他の部隊員達の意見も聞いておきたい。アガフォン、お前はどう思う?」

 そう言ったレオニードが、彼の耳に装着された極小の無線機を慣れた手付きでもって操作した。すると彼がアガフォンと呼んだ人物と思われる、如何にも肥満体の男らしい、ややくぐもったデブ声がその無線機越しに聞こえて来る。

「ああ、俺も少佐の意見に賛成だ。今のところ、協力者からの情報が外部に漏れた形跡は無い。そんな事よりレオニード、お前の愛銃の調子はどうだ? 潜水中に、水没していたりしないか?」

「大丈夫だ。そんなヘマはしない」

 レオニードはそう言いながら、手にした無骨なシルエットの自動拳銃、つまりカシン12の状態を改めて確認した。この名銃は彼の故国である『連邦』のカシン社が製造する軍用大型拳銃であり、装弾数は12発で大口径だが、銃身自体がずっしりと重いので反動は安定していて扱い易い。

「だとしたら、ガリーナはどうだ?」

 カシン12の状態を確認したレオニードがそう言えば、今度はガリーナと呼ばれた若い女性の声が彼の耳に届く。

「ええ、特に問題無いんじゃないかしら? レオニード、あなたが装備した動体センサーにも敵兵の姿は感知されていませんし、不審な電波や赤外線などの類も一切確認されていません事よ?」

 無線機越しにそう言ったガリーナの言葉に、慎重にも慎重を期していたレオニードもようやく納得したらしい。

「了解。それではこれより、俺達三人は地上へと移動する。アガフォン、ガリーナ、二人ともサポートを頼んだぞ」

 そう言ったレオニードがヴァレンチナとイエヴァの二人を背後に従えながらドックから続く非常階段を駆け上がると、やがて彼ら三人は一枚の鉄扉の前へと辿り着いた。重く冷たい鉄扉に耳を押し当てて物音の有無を確認するが、幸いにも周囲に人の気配は感じ取れない。そして哨戒中の敵兵に気取られぬようゆっくりと鉄扉を押し開けてみれば、そこはもう『共和国』の軍事基地の内部であった。

「よし、それでは予定通り、ヴァレンチナは単身で狙撃ポイントへと移動しろ。イエヴァは俺に少し遅れて基地内部へと侵入し、後方を警戒しながらの援護を頼む」

 宵闇に沈む『共和国』の軍事基地の一角で、レオニードがそう言って命じればヴァレンチナとイエヴァの二人が移動を開始し、やがて彼一人だけがその場に残される。

「さあ、ここからが本番だ」

 まるで独り言つようにそう言った精悍な顔立ちのレオニードは、手にしたカシン12自動拳銃を改めて構え直した。彼ら『連邦』の軍部に所属する特級秘匿部隊『クラースヌイ・ピスタリェート』の新たな戦いの幕が、今ここに切って落とされたのである。

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