【番外編】ファムーラ建国物語~お姫様が従者の奴隷根性を叩き直すまでの二年間~

神崎右京

第1話 少年兵とミレニア姫

 まるで、新たな門出を祝福するような、雲一つない見事な晴天の元、ミレニア一行は帝都――クルサールは王制をとったため、正確な呼称は王都だが――を出発した。

 剣闘奴隷を主とした騎馬隊が、先導するようにして守りながら、物資を運ぶ荷馬車や、非戦闘員が乗り込んだ数台の馬車が道を行く。

 その中央――一番守りが深い位置の馬車に、ミレニアはいた。

 同乗しているのは、ヴァイオレットと名付けられた菫色の瞳の少女と、白い肌に黒髪黒目の剣を帯びた少年兵。御者台に乗っているのは、長い付き合いの老御者であるファボットだ。


「……クルサール殿の元を離れるのは、辛いかしら?」


「!」


 ぼんやりと、少し愁いを帯びた横顔で車窓を眺める少年兵に、困った顔で問いかけると、ハッとネロはミレニアを振り返った。慌てて顔を取り繕い、ふん、と生意気そうに鼻を鳴らす。


「そ、そんなことない」


「そう?……でも、これからが大変な時期でしょう。いくら、お前の闇魔法を制御する方法を探すためとはいえ――」


「いいんだ。……もう、決めたことだから。第一――光が支配するこの国に、俺は長くいられない。それは、最初からわかってた」


 ぎゅっと膝の上で拳を握り締める。ガタン、と馬車が一つ石を乗り越えて、大きく揺れた。


 ◆◆◆


 ミレニアを生かすならば――という条件の中で、光魔法の研究を率先してミレニアが行い、ネロを助ける方法も一緒に探す、と約束した。

 そのためには、ネロはミレニアの行軍について行く必要がある。研究対象である彼を傍に置き、その不思議な契約による制約から解き放つ術を探すべきだろう。

 最初、ネロはその条件に反対した。クルサールが国を治めていくこれからの未来を想えば、自分の闇魔法が必要になる時も多いだろう。そのたびに血を吐き、苦しんだとしても――仮に命が尽きたとしても、それは魔物に付け入られる隙を作った自分への神罰だと受け止めようと思っていた。

 しかしミレニアは、ロロから、彼が魔物と契約したときに聞かされたという闇魔法の概要を聞き、クルサールからネロについての情報を聞いて――初めてネロと出逢ったときに、ふと、思い付きを口にしたのだ。


「もしも、退魔の光魔法を、ネロに掛けたらどうなるのかしら」


「な――!?」


 クルサールは、絶句した。

「そ、そんなことをして、ネロの身に何かあったらどう責任を取るつもりですか!?」


「ん……そう言われると困りますが。ですが、高確率で、ネロの身体には何の影響もないと思いますよ」


「どうして、そんな――」


「だってそもそも、退魔の光魔法は、魔物を退かせる力はあっても、魔物を滅する力はないでしょう?」


 次の絶句は、先ほどとは全く違う意味合いを持っていた。

 そう。光魔法が魔物に対して出来るのは、その光で魔物を焼いて殺すことではない。

 出来ることは二つ。

 一つ、魔物が入って来られない不可視の結界を張ること。一つ、魔物をその場から退けること。

 帝都の魔物による大規模侵攻で、マクヴィー夫人の持つ聖印から放たれた光も、魔物を追い払いはしたが、一匹も殺すことはなかった。それをミレニアは覚えていたのだ。


「契約した魔物との対話が叶うということは、魔物は魔物で別に生きている、ということでしょう。ということは、契約者自身が人間から魔物に変化したわけではない。あくまで”契約”でしかないなら、彼らに見返りを提供する代わりに、人間は魔物の力をだけ……退魔の魔法を掛けたところで、人間の身体でしかないネロ自身には何も変化はないのでは?」


 万が一、仮説が間違っていたとしても、そもそも魔物を殺すような力は光魔法にない。命の危機に陥る可能性は、限りなく低いと予想できた。


「魔物が忌避する退魔の魔法をかけることで、闇魔法との反発を起こし、取り除いたり、あるいは身体への負担を軽減したりする可能性があります。……地水火風の魔法属性には相性がある。例えば、火と水は相性が悪いでしょう?ならば、光と闇も相性が悪いはずと思いませんか?」


 そう思えば、クルサールが言っていた、ネロが体調を崩すという話も、別の可能性があるのではと思えてきた。


「魔物は、恐怖や絶望と言った見返りを渡していないからだ、と言っているようですが――本当でしょうか?」


「……と、いうのは……?」


「光と闇は、相性が悪い。……ネロは、<贄>候補だったということは、もともとの魔法属性は光でしょう?単純に、闇魔法を使えば使うほど、体内で相反する属性を使う魔力がぶつかって、身体に影響が出ているのでは?」


 全く思い至らなかった可能性を示唆され、茫然とするクルサールを前に、ミレニアはネロへと向き直る。


「試しに、光魔法を使ってみなさい」


「ぇ……?」


「闇魔法を使っていた、ということは、魔法を使う基本的な知識はあるのでしょう?身体能力を強化しても、疲労を回復させるでも――何でもいいから、魔法を使ってみて、と言っているの」


 ネロは、困惑した顔のままぎゅっと眉根を寄せて、脳裏にイメージを描く。

 そして――


「っ、ガハッ……!」


「ネロ!」


 盛大に吐血し、咳き込む少年に、クルサールが慌てて光魔法で治癒をする。


「やっぱり。光魔法は使えないのね。……ロロ。確認だけれど、元の属性の魔法を使おうとしたら、体調が悪くなったりするものなの?」


「いいえ」


 ロロは、何十回とやり直した記憶の中、ただの一度もそんなことを経験しなかった。いつも通りの無表情で端的に答える護衛兵に頷き、ミレニアはそっとネロに手をかざす。


「大丈夫。何かあれば、必ず治癒で助けるわ。皇室専属の薬師だったグンテお兄様よりも優れていると言われた私の知識を信じなさい」


 言いながら、イメージを描く。彼の身体の中に巡る魔力に交じる、黒い何かを光で追い払うようなイメージ。

 パァッ――と眩い光が部屋の中に現れた。

 吐血した名残で、疲れた顔をしてはいたものの、光がその身を焼いてもネロの身体に何か影響が現れることはなかった。


「……どうかしら。もう一度、光魔法を使ってみなさい」


「え……う、うん……」


 言いながら、ぎゅっと再び眉根を寄せて、自分の疲労を取るイメージを描く。

 ふっ……と身体が全身軽くような感覚があった。


「出来た――……」


「やっぱりね」


 ふふん、と得意げにミレニアは笑んで、クルサールへと向き直る。


「魔物は、とても狡猾な生き物よ。己の欲のために、人間を都合よく利用することを何とも思っていない。この子のためにも、きちんと向き合って、闇魔法を取り除く方法を探すべきじゃないかしら」


 そして、小さな声で付け足す。


「――この国で、彼が、再び石を投げられないためにも」


 それは、ラウラからエルム教の教義を聞いたときから思っていたこと。

 エルム教は、魔物を邪悪なものと位置付けて、徹底的に排除すべしと教えていた。それは人の血肉を食らうだけではなく、人の弱い心に付け込んで唆す。魔物の誘惑に負けたものは闇の魔法使いとして、魔物の手先となってしまう。

 エルム神は決してそれを許さない。闇の魔法使いは、神に悖る最上級の存在。徹底的に排除すべし。


(治政において厄介というだけではなく、もう二度と、ネロのような哀しい子供を生みたくなかったから、そうした教義にしたのでしょうけれど……現在進行形で闇の魔法使いである彼は、その秘密を暴露されれば、酷い弾圧に遭う)


 だからこそ、クルサールはネロの存在を必死に隠そうとした。ミレニアとの交渉において、彼が冷静さを失い、剣を手にして問答無用で斬りかかったのは、唯一、その可能性を示唆したときだった。


「……わかった。俺、姫サンと一緒に、北へ行くよ。クルサール」


「!」


 沈黙の後、しっかりとした声音で言い切ったネロに驚きに目を見張り、クルサールは少年を振り返った。


「俺は――石を投げられることには、慣れているけれど。それでいい、って思っていたけれど。でも、万が一、クルサールが命令して俺に闇魔法を使わせてた、って民衆に思われたら、アンタの信頼は地に落ちる。アンタの邪魔にだけは、なりたくないんだ、俺」


「ですが――!」


「それに、姫サンがある日突然、クルサールに牙を剥こうとするかもしれない。いきなり、そこの馬鹿みたいに強い護衛兵を筆頭に、剣闘奴隷で造られた最強の軍隊を率いて、王国に攻め入ってくるかもしれない。……俺は、姫サンと一緒に北へ行って、監視する。クルサールとは離れるけど――それでも、アンタが目指した理想の国の実現のために、障害になりそうなものは排除する」


「まぁ。堂々と諜報活動を宣言するのね」


「どうせ、姫サンもクルサールと同じで、俺の闇魔法は利かない。だったらせいぜい、抑止力として厄介になるさ」


 三白眼を皮肉気に歪ませて、ネロは言う。


「いいでしょう。私が作るのは、『自由の国』。……神を信じる貴方も受け入れてこそ、だわ」


 そして、ふっと苦笑を漏らす。


「――貴方くらいの年頃の少年に、”姫サン”と呼ばれるのも、悪くないわね」


「……?」


 脳裏に描くのは、黄土色の髪をした、屈託のない笑顔を向ける少年奴隷。

 いつか、この皮肉気な笑みしか浮かべない少年も――彼のように、屈託のない笑顔を向けてくれるようになるのだろうか。


 だとしたら、いい。


 ――彼が歩めなかった分、ネロが、大空に羽ばたく鳥のように、誰よりも自由で幸せな人生を歩めるようになったら、いい。

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