美味問答
メシを食べ始めた時に和彦さんが、
「龍泉院さんでもサイゼリヤを食べられるのですか」
「井筒はん、龍泉院はやめてくれるか。うちも清次も龍泉院やからややこしいねん。マイって呼んでな。それとやけどサイゼリヤをバカにしたらあかんで」
そやった、マイは結婚してたんやった。羨ましすぎるで、
「ではマイさんや清次さんが酷評された幸楽園の料理ですが、そんなに不味かったのですか」
そしたらマイは大笑いして、
「不味いわけないやろ。英二はあれでも関白園の脇板まで進んだ男や。立板かって夢やあらへんかってんで」
和彦さんは困ったような顔になって、
「ではウソだったんですか?」
「ちゃうちゃう、清次が言うたんはホンマや。コトリさんも、ユッキーさんもそう感じたはずや」
和彦さんは訳が分からんて顔になり、
「不味かったのですか、美味しかったのですか」
「ほんなら、ちょっと聞くで・・・」
マイが尋ねたのは牛肉の味の差や。これも一番シンプルな焼肉で、タレも同じ条件としよった。これやったら、肉の差で味に差が出るはずや。
「グラム五百円と千円やったっらどっちが美味いと思うか」
「そりゃ千円です」
「そやったら、千円と千五百円の差がわかるか」
ぐっと詰まった和彦さんは、
「わかると思いますが・・・」
そういうこっちゃねん。値段が上がるほど美味いのは当然やけど、値段の差ほど味に差は出えへんねん。マイは千円と千五百円を例に出したけど、二千円と三千円、三千円と五千円の差を間違いなく見分けられる奴なんか滅多におらん。
「この辺は肉屋の目利きも入って来るけど、そこは置いとかせてもらうわ。言い出したらキリがあらへんからな」
千円と五千円ぐらい差が開いても料理法によっては、わからんことなんかなんぼでもある。そんな違いをバラエティにしてた番組があったやろ。あの番組では味の差をわからんやつを笑い者にしとったけど、
「あんなもん、わかる方が不幸やで。わからんかったら、安い肉で幸せになれるやんか。料理ってな、主観やねん。自分が美味しいと思て満足したら、それで十分やんか」
マイの言う通りや。高いもんがわかって、それやのうたら満足できへんかったっら、食費が高ついてしゃ~ないやん。
「あんまり言いたないけど、店にもランクがあるやん。ランクってぶっちゃけ値段や。値段が高いとこが高級店ってされて、安いとこが大衆店になる。そやけど大衆店が不味いわけやないやろ」
さすがマイやな。料理には美味いか不味いかしかないとエラそうに言い切ったやつもおるけど、そんな単純な物やない。料理には料理そのものの純粋の美味い不味いの他に、料理に対する満足感が占める部分が大きいんよ。
料理屋やったら、料金に対する満足感や。あからさまに言えば払うたゼニの期待に応えているかどうかやねん。
「さすがはコトリはんや。期待と味の差が大きいほど店は繁盛する。逆やったら潰れる。サイゼリヤの期待と味の差は大きいで。これをしのぐ店なんてそうはあらへん」
期待と味の差はコスパと言い換えられる。料理の純粋の味ならサイゼリヤを上回るイタリアンはなんぼでもある。
「そりゃそうや。サイゼリヤかって、この料理が一万円やったら誰も来るかいな」
そやけどコスパによる満足感は怖いんよ。この評価やけど人は怖いほどシビアや。いくら食べてる時に美味いと思うても、勘定を見たら味の事なんか全部忘れて、その店で食べたことすら後悔し、二度と来るまいと思うぐらいやねん。
「美味い不味いなんかトータルな主観やねん。その中で大きいのは味より満足感や。それを忘れたら店は潰れるだけや」
これをマイが言うから説得力あるわな。和彦さんは、
「幸楽園の味は結局どうだったのですか」
「コスパに合わん味やったってことや」
料金関係なしの味だけの評価やったら不味くはない。瓶詰のウニかって美味しいし、茹で麺かって不味くはないし、ダシの素のダシかって家庭やったら普通に使う。マイは少しだけ厳しい顔になり、
「高級ってされる料亭はコストが高い。つまりは料理に対する期待も高いんよ。その期待を上回る料理を出さんといかん。それだけやない・・・」
食材もそうやけど、料理もある水準以上になると味の差なんて微差になる。その差がわかる人間なんてほんの一握りや。そやけどあえて高級料亭で食べる連中は、その差がわかる人間の比率が高くなる。
「なおかつ、そういう連中の評価が店の評判を大きく左右する。清次もそういう連中を満足させるように腕を揮うとる。板場の連中もそういう味が出せるように死に物狂いで修行に励んどる」
和彦さんは困惑しきった顔になり、
「その差がわからないと食べる意味さえないのですか」
「そんなことあるかいな。その差がわからんでも普通に美味しいんよ。わかるやつの方がかえって不幸かもしれん」
そこまで言い切るか。
「そやけどな、幸楽園の昼懐石二万円やったやんか。あの料理をなんもしらんで食べて、和彦さんは二万円払うて満足するか」
「出来ないと思います」
「そういうこっちゃ」
いくら美味くとも、コスパを主観的に満足できない限り行く気も起らんってことや。
「でもそれでは経営が成り立たないのでは」
「そこは色々ある」
マイは笑って誤魔化したが、高級料亭の需要は食通だけやない。食通は店の評価を左右するけど、その評価だけで寄ってくる客が高級料亭の商売になる。これじゃ、わかりにくいか。
世の中には高い料理が必要な需要があるんよ。あからさまに言えば接待や。接待する相手の肩書に応じて店のランク、これも言い切ってしまえば料理の値段が変わる。そういかに値段の高い料理を食べさせるかが接待になってまう。
他にもおる。そういう店でいつも食べとることでプライドを満足させてる連中や。それだけカネもってるんやけど、持ってるだけにコストのハードルは低うなる。これも批判してるんやないで、そういう連中の食の満足がそこにあるってだけの話や。なんにカネ使おうがあれこれ言われる筋合いあらへんからな。
和彦さんかってそのうち接待する側になり、さらに接待される側になれるやろ。そうなったら経費で高級料亭の食事を取れるわ。コスト抜きで食べたら純粋に料理の味を楽しめるようになるで。
「コトリ、接待されて食べても、そんなに楽しめないよ。あの空気の中の食事だよ。食べてるメンバーだって、つまらない相手ばっかりだし」
あいたたた。そうやねんよな。メシって料理の味、店の雰囲気もあるけど、どういう目的で食べてるのも大きいのよ。仕事で食ってる飯は、しょせん仕事の一環やから楽しむには遠すぎるわ。最高に美味しいのは、
「好きな男と食べるメシ」
これに尽きるわ。これやったら、カップ麺でもコンビニお握りでも関白園に勝ってまうで。
「そんなもんに勝てるわけあらへんやん。料理ってホンマにトータルのもんやねん。コスパもそうやけど、食べてる環境にどんだけ左右されるかや。そやからこそ料理は心やねん」
マイのいう心とは作る人の心、食べてもらう人の心、それがハーモニーを奏でる事こそが、
「関白園の味の神髄や。真の美味は一つやない」
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