思わぬ修羅場
英二が土下座状態になったところで部屋にもう一人入って来よった。昼時の忙しい時間帯に板前が呼び出されたのをようやく知ったようや。遅いで、こんなもん即座に報告するもんやろが。
「支配人の平井でございます。なにかお気に召さないことでもありましたか・・・ど、どうして和彦がいる」
こいつがオーナーの平井か。
「井筒はんは客として通されてるんやで。それを呼びつけとは御挨拶やな」
清次、任せたぞ。
「気に入らんことでっか。瓶詰のウニを出し、スーパーで売ってるような茹で麺の蕎麦を出し、ダシの素を使ってることでんな。ここまで手抜いてる店は初めてで驚いてま。それでこの昼懐石二万円でっか。エエ商売しとりまんな」
平井は驚きながら、
「何を証拠に」
「証拠でっか。わての舌でんがな。味は能書きで味わうもんやおまへん。自分の舌で味わい決めるものどす」
顔が歪んできとるわ、怒鳴りつけてきよった。
「お前はクレーマーだな。営業妨害で訴えてやる」
清次は涼しい顔で、
「お好きにどうぞ。料理の感想を言うただけで大層な剣幕や。お嬢はん、お口汚しやったと思います。もう十分でっしゃろ」
「そやな。わざわざ福井くんだりまで来て、こんなもん食わされるのがビックリや」
平井はプルプル震えながら、
「うちの板長は関白園の板長にまでなり、龍泉院の名まで許されているのだぞ。お前ら若僧に何がわかる」
わからいでか。
「関白園の今の板長はここにおる清次や。その前は提島、その前が親父で、その前が爺さんや。いつ英二が板長やっとったか教えてくれるか」
「親父と爺さんって・・・」
仲居に名前書いてメッセージ渡したやろが、ホンマに躾けのなっとらへん店や、
「うちは龍泉院舞香や。こっちが今の板長の清次や」
「龍泉院って、まさか・・・」
アホか。
「英二、ようこんな料理を恥ずかし気もなく出せるもんやな。それでも料理人か。それとやな、お前も関白園の板場におってんから知らんとは言わせん。味の龍泉院はどうやったら名乗れるかや。お前の苗字言うてみい」
これすら答えられんか、
「お前の苗字は円山や。どこをどう間違うても龍泉院やあらへん。それとも家庭裁判所で改姓が認められたんか」
平井に向かって、
「龍泉院の苗字は一族の中でも本家だけや。分家に龍泉院はおらん。息子がいても本家を継げへんかったら婿養子に出される」
「そ、それは耳にしています」
それぐらいは知っとったか。
「本家でも龍泉院の名で味を語れるのは一族会が認めたものだけや。今やったら爺さんとうちと清次だけや。前の板長の提島でも名乗れん。親父は離縁されて家から叩き出されたから取り上げられたから名乗れん。どこのどいつが英二に龍泉院の名を与えたか教えてくれるか」
カラクリはようわかったわ。
「平井はん。あんたオーナーやろ。どないな料理出して、どんなゼニ儲けしようが、店の勝手や。そやけどな、関白園と龍泉院の名を使うとるのは気に入らへん。こんなんを詐欺って言うんやないか。違うんかい」
下向いてまいよった。
「黙っとるってことは、詐欺やったんを認めるんやな」
よっしゃ、トドメやと思たんやが、平井が顔上げよった。
「この料亭の責任者は私だ。関白園と龍泉院の名を使うように指示したのも私だ。全責任は私にある」
ほぉ、開き直ったか、
「関白園の名も、龍泉院の名も取り下げます。関白園には後日、お詫びの御挨拶を改めてさせて頂きます」
筋を通すと言うこっちゃな。名前の件はそれでエエが、
「英二はどないするつもりや」
「これだけは信じて欲しい。宣伝のために関白園と龍泉院の名を使ったが、板場は円山にすべて任せている」
この期に及んで悪あがきかい。往生際の悪いやっちゃ、
「英二、念のために聞いとくが、お前の裁量で手抜き料理にしたんか」
「お嬢はん、出来心ですねん。許して下さい」
な、なんだって。英二が自分でやったと言うんか。
「なんのためにや」
「ちょっとおカネに困ってまして」
困るか! お前がどれだけのお手当もらっとるかぐらいわかるわ。どんだけ遊ぶんにカネ使うとるんじゃ。そんだけ遊び回ってまともな料理なんか出来るわけないやろ。
「英二、お前、まさか、自分で名乗ったのか」
「お嬢はん、出来心でしてん。お許しください」
ウソやろ、ウソやと言うて、
「お前が自分で名乗り、自分で全部やらかしたんか」
「すんまへん。もう二度としまへん。堪忍どす」
目の前が真っ暗になるとはこの事や。
「英二、うちが何を嫌いかよう知ってるやろ」
「お嬢はん、それだけは、それだけは勘弁して下さい。反省してます。二度としまへん。後生どす。これからは心を入れ替えます」
これが、これが許せるものか。心を入れ替えるだと・・・お前は、お前は、そのセリフを何度・・・うちはこれでも龍泉院の娘や。
「料理は心や。ウソを平気で恥ずかしげもなく吐ける人間に真っ当な料理など作れるか。お前の料理は全部わかった。全部まがい物や。嘘で塗り固められたクズ料理や。うちの前に二度とその汚い顔をさらすな」
なんちゅうことや。これはうちの責任や。うちが英二を躾けられへんかったから、こうなってもたんや。涙が、涙が止められへん。もう立っとられへん。清次が抱き支えてくれた。
「お嬢はんの責任やありゃしまへん。英二、まだおったんか、はよ出さらせ。その歳になってお嬢はんを悲しませるとは・・・なにしとんじゃ、出て行かんかい」
清次は英二の首根っこをつかまえて縁側から庭に放り出し、
「関白園の最大の罪はお嬢はんを泣かせることや。その罪の重さを思い知れ。たとえお嬢はんが許してもこの清次が許さん。お嬢はんの世話になった誰一人たりとも許さんからな」
清次、うちは悲しい。なにを間違うとってんやろか。英二は、英二はこんな事をする男やなかったはずや。そやのに、そやのに。
「お嬢はん。行きまひょ。ここの仕事は見事にケリつきました」
そやけど清次、
「人の心は弱いもの。魔が差し、翳に包まれてしまったとしか言いようがありまへん。英二はお嬢はんの知ってる英二ではなくなっとります。そうなったのは、決してお嬢はんの責任ではございません」
悲しみに包まれたうちは英二に抱きかかえられるように店を出た。
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