第210話 アイドルからの認知

「なんで今日に限ってただのアイドルのライブなんだよ!! 俺は裸の女が見たかったのに! 俺はただのアイドルに興奮するむさ苦しいオタクじゃねぇのに!!」


 俺がマリアナ海溝よりも深い絶望を嘆いていると。


「「「……あ?」」」


 ホンアちゃんの応援にやってきた、男どもが全員俺の方を振り返る。


 え?


 ここにはモーゼがいるの? ってくらいにキレイに人だかりが左右にわかれ、現れた一本道から、ピンクの法被を着た厳つい大男が現れる。


 ゆっくりと俺のもとに歩いてくる。


「いま、お前、なんつった?」


 俺の目の前で立ち止まった大男は、俺の顔に自分の顔を近づけ、一センチない距離で凄む。


「あっ、やっぱり誠道さんが男の人とキスをしようと……」


 ミライは変な妄想やめてね。


 あなたが支援するはずのご主人様が厳つい男に好き放題やられそうなんですけど。


「あのぉ、あなたをむさくるしい男と言ったのは言葉のあやで」


「俺たちをむさくるしいオタクと言うのはいい」


「いいんかい!」


「なぜならどう考えても正しいからだ」


「自覚あるんかい!」


 そうやって自分を客観視できるのに、そのピンクの法被は恥ずかしくないんですかね?


「だがな、俺たちの惚れたアイドル、ホンアちゃんをただのアイドルって言うのは許せねぇんだよ」


 厳つい男の言葉につづいて、他のファンも「そうだ! そうだ!」とつづく。


 こいつら……アイドルオタクの鏡じゃねぇか。


「そうですよ。誠道さん、今回ばかりは私も誠道さんを許せません」


「なんでミライがそっち側についてんだよ? 何度も言うが、お前は俺を支援するメイドの」


「女の裸を見たいなんて、突然叫ぶ人を擁護できますか?」


「……反論のしようもございません」


 それに関しては、ミライが全面的に正しいです。


「おい、てめぇ、いますぐホンアちゃんに謝れ」


 厳つい男の剣幕がさらに鋭くなる。


「ホンアちゃんはなぁ、ただのアイドルじゃねぇ。世界最高のぷりちーアイドルなんだよ」


「ぶふっ!」


 思わず噴き出してしまった。


 唾が大男の顔にかかってしまう。


 でもその顔で、その厳つさで、いきなりぷりちー発言はずるいだろ。


「なに笑ってんだよ!」


「はいすみません! …………ぶふっ!」


 やべぇ、つい思い出しぷりちーしちゃった。


「てめぇ」


 大男がぽきぱき拳を鳴らしはじめる。


「痛い目にあわねぇと、わかんねぇようだな。ホンアちゃんが世界最高のぷりちーアイドルだってことがな」


「ぶふっ……っははは、もうだめっ、ぷりちーやめてっ」


「……覚悟はいいな」


 腹を抱えて笑う俺を見下ろす大男が、筋骨隆々な腕に力を入れ、拳を振り上げた。


 そのとき。


「みんなぁ、私のために喧嘩はやめてー!! 恋愛禁止のアイドルだけど、私はみんなに恋をする、みんなの恋人。私の大切な恋人たちが喧嘩するのは見たくないよっ!」


 ステージ上からホンアちゃんがかき氷のシロップくらい甘い猫なで声で叫んだ。


 すると、さっきまでものすごい剣幕だった大男の顔がすぐにふにゃふにゃにやけ顔になって、他のファンとともに。


「「「わかったよー、ホンアちゃーん!!」」」


 俺に背を向けて舞台へ走り出すその男の背中には『ホンアちゃん命』と書かれていた。


「……た、助かったぁ。…………ん?」


 と、俺は衝撃の光景を目撃する。


 舞台上のアイドル、ホンアちゃんが俺だけに向けてウインクをしてくれたような気がしたのだ。


 いや、気がしたじゃなくて絶対にしてくれた!


「ホンア、ちゃん」


 やっべぇ。


 なにこの優越感。


 これだけの人を魅了する大人気アイドルが、俺のこと認知してくれたんだ!


 なんだこの胸のときめきはっ!!


「ああぁ、やばいよやばいよ。ホンアちゃんはなんてぷりちーなアイドルなんだろうか」


 いまならこの男たちの気持ちがよくわかる。


 俺は世界最高のぷりちーアイドル、ホンアちゃんを応援するファンの中に加わろうと。


「誠道さん。なにやってるんですか。家に帰りますよ。あなたは引きこもりでしょう」


 不機嫌なミライに手を引かれ、その場から連れ去られるのでした。

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