第92話 それでいいのか

 私が、私のことをイツモフ・ザケテイルなんて名前で呼びはじめたのはいつだっただろうか。


 ジツハフに出会う前だったか、後だったか。


 今はそんなことどうでもいいか。


 私は、小さいころ親に捨てられた。


 名前も聞かされないまま、売られたのだ。


 だから私の記憶のはじまりは、他の小さな子供たちと謎の洞窟で、謎の鉱石を掘り進めていたシーンだ。


 今もいったいあれがなんのためだったのかはわからない。


 ただただ看守の言う通りにしなければ暴力を振るわれるから、私は必死で頑張った。


 私はへまをやらかさなかったので受けたことはないが、他の子供たちは毎日のように殴られたり蹴られたりしていた。


 挙句の果てにはナイフで切りつけられるものもいた。


 彼らの悲鳴や謝罪の声を聞きながら、私はいつも胸を押さえてうずくまっていた。


 劣悪な環境下で、衰弱死や病死したり、落石に巻き込まれて死んだりするものが多かったが、私は幸か不幸かそこを生き延びた。


 次に私がやってきたのは戦場だった。


 私は武器や防具も持たせてもらえず、ただ戦場に連れていかれる。


 ただそこを歩いていればいい、敵がいたらケガをした振りをして泣けばいいと、そう言われた。


 そのときの私は、ああ、この戦場で私も死ぬんだ、と心のどこかで安心していたと思う。


 こんな最低な人生に執着などなかった。


 ここで死ぬなら、それも悪くないと。


 しかし、私の思惑通りにことは運ばなかった。


 私を見つけた敵兵は、先ほどまで戦意むき出しだったにもかかわらず、一瞬戸惑う。


 急いで駆け寄ってきてくれる優しいものもいた。


 その一瞬こそが、その優しさこそが、戦争では命取りになるとわかっていながら。


 戦場に幼い子供が丸腰で歩いている強烈な違和感に気がついていながら、兵士たちは子供である私に切りかかることをためらう。


 敵兵には容赦なく切りかかれるというのに。


 戦場において最も強い防具は、明らかに弱いということだった。


 そこで私は、大人たちが切り合い、死んでいくところを見つづけた。


 味方の兵も、敵の兵も、みんな死ぬ。


 私を助けてくれようとした心優しい兵士も、私の目の前で切られて死んだ。




  ***




「だから私の体は動かない。戦いが、暴力が恐ろしくて、動かしたくても、悲鳴が、声が、血が、倒れていく兵士たちが、脳に貼りついて、どうしようもないんです」


 イツモフさんの体はひどく震えている。


 そんな辛い――こんな言葉じゃ言い表せないほどの壮絶な過去があったなんて知らなかった。


 だって、イツモフ・ザケテイルなんて名前だぞ?


 つまり家族の話も全部作り話だったということだ。


 カーペンターさんなどいないということだ。


 ってか、あれ?


 イツモフさんの話によると、ジツハフとは本当の姉弟じゃないってことか?


 まあ、そんなことどうでもいい。


 だって、俺が見てきたイツモフさんとジツハフくんは、紛れもない姉弟だった。


 互いを思い合い、支え合い、愛し合っている、素敵な姉弟だった。


「だからお願いします。虫がいい話だってわかってます。カイマセヌと戦ってほしいなんて、ジツハフを救ってほしいなんて、二人になんのメリットもないのに!」


 イツモフさんが俺たちの前で正座をして。


「だけど! 私はジツハフを救ってほしい……です」


 泣きながら深々と頭を下げ、床に頭を押しつけた。


「私が持っているお金、全部差し上げます! なんでもします! だからお願い、します。ジツハフを、助けてください」


「なに言ってんだよ。……バカだな」


 俺は土下座するイツモフさんの前でかがみ、優しく微笑みかけた。


「そんなもんもらわなくたって、俺たちは協力するさ。な、ミライ?」


「え? もらえるものはもらった方がよくありませんか?」


「そこは素直にはいって言えば、俺たち二人で格好よくなれるところだろうが!」


 そう言い返すと、ミライはなぜが恥ずかしそうに体をもじもじさせはじめた。


「そんなことしなくても、誠道さんはすでに格好いい男ですよ」


「お、おう」


 なんだよ、いきなり照れるじゃねぇか。


「誠道さんはこう、引きこもりですけど内面の優しさというか、本人が引きこもりだからこそ、そういういいところも外側に現れにくく内側に引きこもっているというか」


「やっぱりバカにするつもりだったのね! 格好いいなんてお世辞に騙されるところだったよ」


「本心なのに……」


 しょぼくれるミライは放っておいて、俺はイツモフさんに向き直る。


「でもさ、イツモフさんは、それでいいのか?」


 だって彼女は今もなお悔しそうに、腹立たしそうに唇をかみしめているのだから。


「大切な弟を自分の手で救いにいかなくて、それでいいのか? ジツハフは俺たちじゃなくて、お姉ちゃんのことを待っているんじゃないのか?」


「でも……それはわかってますけど…………私は」


「俺は、これまでのイツモフさんとジツハフくんを見てきたから助けたいと思ったんだ。二人の互いを思い合う愛を見て、心を動かされたんだ。……って、なに言ってんだろうな、俺」


 自分でもよくわからなかった。


 でも、この気持ちは伝えるべきだと思ったから、言葉にすることをやめない。


「とにかく、俺は二人の関係性が素敵だって思った。だからこそ俺は、絶対にそんな二人を離れ離れにはさせたくないって思ったんだ」


 んじゃ、俺たちちょっくらいってくるわ。


 俺はミライと目配せして、うなずき合う。


 震える体を抱きながら、なにか言いたげにこちらを見ているイツモフさんを置いて家を出た。


「イツモフさんを残していって大丈夫でしょうか」


 隣を走るミライは少し不安げだ。


「無理やり連れてくるのは違うだろうし、俺は信じてるから。だから俺たちは、どうやってジツハフを救出するかだけを考えよう」


「そうですね。話を聞く限りでも相当強いですよ。カイマセヌさんって男は」


「ああ。でも俺にだって、記憶はないけど大度出を倒した【無敵の人間インヴィジブル・パーソン】がある。どうにかなるだろってか、どうにかしないと」


「私も、この鞭で微力ながらお手伝いします」


「頼りにしてるよ」


「間違って誠道さんを縛ってしまっても、喜ばないでくださいね」


「喜ばねぇわ! ってか絶対間違えんな!」

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