第62話 まだ子供なのだから

 しばらくすると、玄関の扉がノックする音が聞こえてきた。


「俺、いってくるよ」


「私はイツモフさんを見ていますから」


 ミライにその場を任せ、俺は一階へ降りる。


 ドアを開けると……誰もいない。


「あれ? たしかにいまノックが」


「あの、こっちです」


「なんだ。下にいたのか」


 来訪者が子供で背が低かったから視界に入っていないだけでした。


「で、どうしたんだい。ジツハフくん」


 しゃがんで、目線を同じ高さにして話しかける。


 やってきたのは、イツモフ・ザケテイルの弟、ジツハフ・ザケテイルくんだった。


「……え、どうして僕の名前を?」


 ジツハフくんは驚いたように目を見開いたが、すぐに。


「あっ! オークションのときの!」


「そうだよ」


 思い出してくれたか。


 ってあの時自己紹介したっけ?


 覚えてないからまた名乗っとくか。


「お兄さんの名前は石川なるみ」


「ド変態ロリコンクソ野郎の神様でしょ?」


「違うよ。お兄さんの名前は石川な」


「ド変態ロリコンクソ野郎の神様だよね?」


「だから、お兄さんの名前はいしか」


「ド変態ロリコンクソ野郎の神様じゃなきゃおかしいよ」


 もうやめろぉ。


 そんなウルウルした純粋な目で見つめられたら、首を縦に振っちゃいそう……にはならねぇから!


 ってかド変態ロリコンはいいとして(よくないけど)、クソ野郎とは一度も言われてなかった気がするんだが。


 もしかしてジツハフくんの本心が出ちゃったのかな。


「ジツハフくん。お兄さんの話を最後まで聞いてね」


 ま、俺は子ども相手にキレるような人間じゃないので、冷静に、諭すようにを心掛けて。


「お兄さんの名前はいしか」


「だからド変態ロリコンクソ陰湿野郎でしょ? 誠道お兄ちゃんこそ、人の話を最後まで聞こうよ」


「おいてめぇ完全な悪口になったなぁ!」


 神様という単語がなくなったらそれはもうただの悪口だからね。


「あと俺の名前ちゃんと覚えてるじゃねぇか! 誠道お兄ちゃんって呼んだのバレてるからね!」


 俺がそう声を荒らげると、ジツハフくんは怯えたように腕で防御姿勢を取る。


「ひぃぃ! ごめんなさいぃ! お願いだから僕を襲わないでぇ! 僕は誠道お兄ちゃんの睾丸なんか触りたくないんだぁ!」


「だから俺にそんな趣味はないんだって!」


「ジツハフ! あなたどうしてここに?」


 俺が怒鳴るのとイツモフさんが弟に駆け寄ってくるのは、ほぼ同時だった。


「あなたの悲鳴が聞こえたから急いできたら、いったいなにがあったの? もう大丈夫だからね」


 イツモフさんがジツハフくんを抱きしめる。


 それで安心したのか、ジツハフくんはお姉ちゃんの胸の中でわんわん泣きはじめた。


「誠道さん。子供相手に声を張り上げるなんて、大人げないですよ」


 遅れてやってきたミライにたしなめられる。


 ……え? え? なんで?


 納得いかないんですけど。


 なんで俺が悪者になってるのかなぁ。


 まさかジツハフくん、こうなることを全部予見してたのかなぁ?


「誠道くん。事と次第によっては、わかってますね」


 イツモフさんから睨めつけられる。


 この人、弟がピンチになると途端に迫力増すんだよなぁ。


 それだけ大事に思ってるってことだから、微笑ましいけどさ。


 ただ今回はジツハフくんが悪いからね。


 俺は二人に、ここであったことをすべて話した。


「つまり、俺はジツハフくんにド変態ロリコンクソ陰湿野郎って罵られたから怒ったわけで」


「誠道くん」


 イツモフさんが俺の声にかぶせてきた。


 濁りのない瞳で、真っすぐ俺を見据えている。


「オークションで服が透けて見えるようになる魔本を落札したのは事実ですよね?」


「それは……」


「だったら、私の弟から変態と呼ばれても文句は言えないのでは?」


 イツモフさんめ。


 痛いとこをついてきやがる。


「それに」


 まだ言うか、このフマジメンタリスト!


「聖さんという女の子も落札しましたね? だったらロリコンと呼ばれても文句は言えないのでは?」


「そうかもしれないが、クソ陰湿野郎と言われる筋合いはないぞ」


「そうです! それはおかしいです!」


 おっ、ミライが言い返してくれるようだ。


 さすが俺を支援するメイド。


 ものすごく頼もしい。


「陰湿は引きこもりなのであってますが、クソは言いすぎです!」


「陰湿もダメだからな!」


 一応そう叫んだけど、積極的な否定はできないのが悲しいよぉ。


「みんなやめて。僕のために喧嘩しないで」


「僕のためにじゃなくて僕のせいでだろうが!」


「え、僕が、原因なの?」


 いや、ジツハフくん。


 いきなりそんな悲しそうな顔しないでよ。


 なんか怒鳴った俺が悪者みたいになるからさ。


「ジツハフを責めるのはやめてください。まだ子供なんですよ」


 イツモフさんもそう言っているし、ここはもうすべて水に流そう。


 相手は子供。


 年上で、精神も成熟している俺の方が大人になるべきだ。


「そうだそうだ。お姉ちゃんの言う通り、僕はまだなにも知らない子供なんだぞ」


 やっぱりちょっとだけ覚えておこう。


 だってなにも知らない子供が「まだ子供なんだぞ」なんて使うわけないからね。


 もう怒らないけどさ。


「それで、どうしてジツハフがここにいるの?」


 イツモフさんがジツハフくんに尋ねると、ジツハフくんは不安げに唇を尖らせた。


「だって、お姉ちゃんの帰りが遅いから、心配で。僕、ずっと起きてて待ってたんだよ」


 たしかに、よく見ると泣いて赤くなった目の下には大きなくまができていた。


「朝になっても帰ってこないから、出かける前にお姉ちゃんが『ここにいくからね』って教えてくれたとこまできちゃったの」


 なるほど。


 地図がなにかに印でも書いて、どこにお姉ちゃんがいるかわかるようにしていたのか。


 ほんと、こういうとこなんだよなぁ。


 ジツハフくんみたいな子供にとって、一晩中起きていることがどれほどつらいことか。


 この二人にはたしかな姉弟愛があるから、最終的になにを言われても許してしまうんだ。


 互いを心から思い合っていることがわかってしまうから。


「ジツハフ……ごめんね。心配かけて」


「いいよそんなの。またお姉ちゃんに会えたから」


 抱きしめ合っている二人がキラキラと輝いて見える。


 本当に互いが互いを思い合い、必要とし合ってるんだなぁ。


「それでお姉ちゃん」


「なに? ジツハフ?」


「バカな顧客からお金を騙し取ってくるねって言ってたけど、それはどうなったの?」


「あっ、しっ! ジツハフ!」


 慌てて弟の口を押さえる金の亡者。


 もう後の祭りですけど?


 ばっちりこの耳で聞いてますからね。


「俺たちを悪人呼ばわりした挙句、バカな顧客? 本性表したなこの金の亡者! 姉弟愛なんて金にならないもので許してやるもんか!」


「いやぁ……これはそのなんというか言葉のあやなんですよ」


「そうですよ、誠道さん」


 イツモフさんの苦し紛れの弁明に、ミライが加勢する。


 いやなんでだよ!


「イツモフさんは私たちにきちんとポジティブシンキングを教えてくれました。楽しい時間を過ごせたのがその証拠です! きっとバカな顧客は私たちの前の客のことでしょう!」


「ミライはどっちの味方なんだよ! 盲信しすぎだろ!」


「そうです! ミライさん! もっとこのケチ道くんに言ってやってください」


「イ・ツ・モ・フ・さん」


 俺がぎろりと睨みつけると、イツモフさんはあからさまに目を泳がせた後で。


「アレー、サテナンノコトヤラ、ワタシイコクジンデコトバワカリマセーン!」


「だからごまかし方下手すぎか!」

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