第51話 誰かの期待
気絶しているイツモフさんの横で、俺は動けずにいた。
ミライが大度出たちに攫われた。
そんなことはわかっている。
攫ったミライを大度出たちがどうするかもわかっている。
助けにいかなきゃ!
「全部わかってんだよぉ!」
どうして俺の体は震えるだけで動かないんだ。
立ち上がれないんだ。
ミライのピンチなんだぞ!
「……そうだ、聖ちゃんに」
無理だ。
彼女は今、レッサーデーモンを倒しにいっている。
「くそぉ、動け動け動け動け」
太もも、膝、ふくらはぎを何度もたたくが、足はちっとも動かない。
自分を鼓舞する声だけが虚しく空気に溶けていく。
体の表面は熱くなっているのに、心に勇気の熱が湧き上がってこない。
「どうしてだよぉ!」
「なにをそんなに苦悩しておるのじゃ?」
いきなり声がしたと思ったら、気絶しているイツモフさんの上に、俺をこの世界に転生させてくれた女神様リスズが浮かんでいた。
「おぬしの現状は、わらわもしっかり把握しておる」
「頼む。お願いだ!」
俺は女神様に土下座していた。
「女神様ならなんでもできるだろ? 助けられるだろ? 頼むよ! ミライが攫われたんだ」
「言われなくてもわかっておるのじゃ」
女神リスズは自慢げに腕を組んだ。
「わらわは女神じゃ。すべて知っておるからこそ、わらわは今ここにきたのじゃ」
「え? じゃあ……」
こんなにも誰かに感謝したことはない。
女神様が助けてくれるのなら、大度出たちなんて、ひとひねりだ。
「もちろん。わらわに任せておけ」
女神様は大きな胸をポンとたたいた。
「おぬしに新しいサポート人形を与えよう」
「……え」
言葉が出てこなかった。
新しい、サポート人形?
それは、ミライを見捨てるってことか?
まさかこの女神様、この緊急事態にわざわざ出しゃばってきて、俺の反応を見て遊ぼうとしているのか?
「どうした、そんなマヌケな顔をして。前にも説明したであろう。転生者に与えたサポートアイテムの所有権が移ったとわらわが判断した。それでお前に新しいものを与えると言っておるのじゃ」
「新しいって……ふざけんな!」
女神様を睨みつける。
そんな軽々と人の命を見捨てるような発言をするなんて、それが神様のやることかよ。
「なんじゃ、その目は」
女神様の目に鋭さが宿る。
「感謝されることはあっても、怒鳴られるいわれはない。新しいものを用意すると言っておるのじゃぞ」
「ミライはものじゃねぇ。あいつは、この世にたったひとりの」
「ものではない? おかしなことを言うのう。あれはただのサポートアイテムじゃが」
「だからそうじゃない!」
「ああ、そうか」
女神様は両手をポンと合わせてうんうんとうなずく。
「あいつの容姿を、初恋相手の容姿を失うのが嫌なのじゃな。安心しろ。わらわが渡す人形は、必ず初恋相手の容姿がトレースされるようにできておる。人間にとって、初恋相手は絶対に忘れることのできない特別な存在じゃからな。これでおぬしも安心であろう」
ふざけんな、と言い返そうとした言葉が喉元で止まった。
新しい人形を、それも鹿目さんの容姿をした人形を手に入れられる。
「そういえば、お前たちはしょっちゅう喧嘩もしていたようじゃから、新しい人形は鹿目未来の性格そっくりなものに変えてやろう」
助けにいかなくても、初恋相手の鹿目さんとまた生活ができる。
一生鹿目さんと、楽しく暮らしていける。
それでも、いいのではないか。
「どうじゃ。これで不満はなくなったじゃろう」
自慢げに言い放つ女神リスズ。
たしかに、今のミライは、俺に筋トレさせようとしたり、ゴブリンやレッサーデーモンを倒させようとしたり、見返したくないんですかって言ってきたり、バイトさせたがったり、正直言って本当にウザかった。
俺に期待ばかりする、現世にいるあいつらと同じだった。
――どうして?
中学受験に失敗したときの、母親の言葉がよみがえる。
俺がいつ受験をしたいって言ったかよ!
勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に諦めて、ふざけんな!
――うまくやれって言っただろ! なんでできてないんだ! もういい!
中学校でバスケ部に入ったときもそうだ。
必死でがんばってベンチメンバーに選ばれた。
ファウルアウト者が続出して出場することになったときに、顧問から「先輩たちに任せて、流れだけ読んでうまくやればいいから」と言われた。
流れを読むってなんだよ。
うまくやるってなんだよ。
そう思ったが、俺なりに必死でやった。
試合に出してもらえるってことは期待されているってことだから。
でもその試合に負け、顧問の先生に戦犯扱いされて怒鳴られた。
勝手に期待して、勝手に被害者ぶって、勝手に失望された。
「そうだよ。ずっとずっとそうだった」
人は勝手に期待して、勝手に幻滅して、勝手に糾弾して、勝手に被害者ぶる。
そんなのはもう嫌なんだ。
だから俺は人との関わりを断つために、勝手な期待を受けないために、引きこもりになったんじゃないのか。
「俺は……もう俺は、他人の期待なんか…………」
でも。
――誠道さんの情けない姿なんかもう見飽きています。こんなことで、私は失望なんかしませんよ。
ミライは、大度出たちに怯えていた惨めな俺を救ってくれて、そう言ってくれた。
俺が弱音を吐くたび、嫌だって言うたび、手を替え品を替え、俺を立ち直らせようとしてくれた。
筋トレさせようとしたり、ゴブリンやレッサーデーモンを倒させようとしたり、見返したくないんですかって言ってきたり、バイトさせたがったり、正直言って本当にウザかったけど、あいつは俺に変な期待ばっかりするけど、一度も俺に失望しなかった。
期待しつづけてくれた。
信頼しつづけてくれた。
だからこそ。
「俺は、今のミライがいいんです」
女神様に自信を持ってそう告げた。
「他の誰でもない。今のミライがいいんです」
日本にいるときに恋した鹿目未来じゃなくて、支援するって言ったのにふざけたことしかしない、俺をいじることしかしない、どうしようもないほどにウザかわいいミライじゃなきゃ嫌なんだ。
「なにをバカげたことを。そんなに足を震わせておるやつが助けられるとでも?」
女神様の言っていることは、残念ながら正しい。
俺の足はまだ震えている。
いったところで、絶対に無様に負けるだけだ。
「それにのう、攫われとるミライ本人が、助けてほしくないと望んでいるのじゃぞ」
「え?」
体に宿っていた熱源の中心に風穴が空いた。
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